ぼろぼろの封筒に入った夢
20歳の時に「僕は文章を書いて飯を食う」と決めた。
大学3回生になった時に「小学校の先生から文章だけは唯一褒められたから」という、今でも狂ってるとしか思えない理由でそう決めたのだった。
当時の僕は渋谷のスクランブル交差点でGPSがバグった地図を見ながら右往左往する田舎者ぐらい、とにかく迷っていたし悩んでいた。現在地も分からず、向かう先も分からず、バンド活動とスプラトゥーンをしていた。
ただ、当時の僕の思いなんか所詮こんなもんだ。
・普通の職業に就きたくない
・ビッグになりたい
・大きな既得権益に反抗し続けたい
・でも、彼女と結婚したい
・でも、お金は稼がなきゃいけない
書いてて思ったが、本当に理想と現実が分かっていないテンプレ大学生だなと当時の自分をぶん殴りたくなる。ただ、そんな中でなんとなく「文章を書いて飯を食う」と決めた。
「文章で飯を食う」には仕事をもらおう。できればデカいところ。
ここから、文章を仕事にするための愚行を紹介したい。
結論、この行動は仕事になったが完全に「運が良かった」のと「相手が優しかった」だけだから、再現性はない。
でも、大事なことを伝えたいから書き残そうと思う。
僕がやったことは、、、
「文藝春秋の元社長に手紙を送る」
という愚行だ。
自分で自分にインタビューして、その記事を送りつけた。
しかも「俺、文章書けるんで文春で記事書かせてもらえません??www」みたいな調子に乗ったクソガキがだ。
今考えると、本当に恥ずかしいし無礼なことをしたと思ってる。僕の人生で一番の黒歴史と言っても過言ではない。でも、この愚行が人生の転機になった。
なんと…
返信がきた
彼はこんな僕に返信をくれた。
返信の内容は僕が書いた記事いっぱいの赤字修正だった。
今でもこの赤字だらけの原稿を見ている時に
「やっぱり、俺じゃあ無理かもな」
と思っていたのを鮮明に思い出せる。
でも、最後に書かれてた一言で僕は「文章で飯を食う」という漠然ではあるが持った夢を捨てずに済んだ。
それは、「対話より、一人語りインタビューはやりにくいのによくまとめられている」の一言だった。当時の僕にとって、この一言は自分の学生生活の全てを文章に打ち込むには十分な理由になった。
若者でなく大人として扱われた瞬間、本当の夢を持てた
当時の僕は前述したように、はねっかえりのクソガキだった。
もしかすると今でもそうなのかもしれない。
でも、これだけは断言できるのは「僕の夢は大人として現在地を把握してから明確になり生まれた」ということだ。
そして、それには僕を「大人として扱う大人」が必要だった。
就職活動や将来に悩んで模索している方。
「やりたいこと」という自分にしかできない何かを探している方。
周りに居る「大人として扱ってくれる人間」から言われたことを思い出してほしい。大人として扱われるということは、決して悪いことだけではない。
これから、たくさん嫌なことを言われたりすると思う。
でも、そこから夢が始まるかもしれないから。
あとがき
正直、ここまで読まれると思っていませんで、
本当にありがたいばかりです。
私は現在、コピーライターとして独立し東京に暮らしています。
「Webは言葉で出来ている」を信条にLP制作やLステップ、メルマガ、広告運用等、言葉を通した施策を設計から制作までをさせていただいており、今でも言葉を大事にして仕事が出来ていることを誇りに思っております。
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