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スピッツ「紫の夜を越えて」を聴いて“紫の夜”や“美しい惑星”について考えてみた

3月25日に「紫の夜を越えて」が配信リリースされ、YouTubeでもPVが公開された。NEWS23のテーマ曲となっていて年明けからオンエアはされていたようだが、普段私がテレビを見る習慣がほとんどないため、私はこのタイミングで初めてこの曲を聴いた。

一聴していつも通りのスピッツだと思った。もちろんいい意味で。何となく13thアルバム「とげまる」に収録されている「聞かせてよ」に似ている気がした(一応言っておくが過去の曲に似ていることが良くないなどとは微塵も思わない)。

歌詞の内容はいまの世相を映しているものに思える。スピッツの曲で、社会情勢を反映した作品はこれまでにいくつもある。「歩き出せクローバー」(1995年)は阪神淡路大震災を、「ハネモノ」(2002年)はアメリカ同時多発テロ事件を、「小さな生き物」(2012年)は東日本大震災を、それぞれ受けたものとされていて、気持ちを前に向けてくれるような応援歌となっている。それらの曲が事件後・災害後に作られたのに対して今回はまだその最中、“夜”が明ける見通しはまだ立たなそうだ。

“紫の夜”を照らすもの

スピッツの公式ホームページはリリースに合わせて、紫の色調にリニューアルされていた。PVでも紫の電飾のなかでメンバーが演奏をしていて、幻想的な雰囲気に仕上がっている(余談だが田村が“いつも通り”よく動きまわっていて、ベースが蛍光灯にぶつかりやしないかとヒヤヒヤしながら見ていた)。

タイトルの字面だけを追えば、「暗い夜が早く明けてほしい」と願う歌に思えなくもないが、“紫の夜”がネガティブなものとはどうしても思えない。そもそも“紫の夜”とは何なのか。本来なら夜は真っ暗なもので、黒以外の色が入る余地はないはずだ。そんなことを想いながら歌詞の内容を悶々と考えたりした。

ところで先日、所用で外出をした。帰りは遅くなり終電近くになった。最寄りの駅に着いて、家までの徒歩10分の道程を歩いた。途中に跨線橋があり、上りきったところで街の様子が目に入った。私が住む街は都心から電車で1時間弱のベットタウンで、2階建て以上の建物はあまりない。跨線橋の上からだと、そこそこの距離を見渡すことができる。

空は真っ黒ではなかった。家々から漏れ出る明りや街灯などで、やや青みがかった色になっている。この空のことなのかな、という気がした。全体として見ればひとつひとつの光など、何でもないありふれた存在だ。だた、その小さな光の粒をひとつひとつに焦点を当てれば、それぞれに物語があり、考えていることがあり、特別なものだ。

こんな状況だからこそイメージできた“美しい惑星”

この状況下で、それまで当たり前と思っていたことがそうではなくなってしまった。会いたい人に会えないし、旅行に出かけることもできない。ライブに行くことも今までのようにいかなくなった。一過性のものだと信じたいが、はたして元通りになるかもわからない。失われたときに初めてその大切さを思い知るとはよく言われるが、まさにそんな感じだ。

私は幸いにも、この騒動の間に多少の不自由はしたが、健康面も生活面でも大きな打撃を受けることはなかった。しかし、外に目を向ければ大変な思いをしている人が多くいることがニュース映像として飛び込んでくる。世界が機能不全に陥っているなかで、それぞれが持つ考えや立場の違いによって、争いや混乱が起こる様子を見せられてきた。先が見えない状況で、画面の向こうから発せられる安易な快楽だったり、匂いのない(=根拠のない)正義だったりに、辟易することもあれば、ついつい飛びつきたくなることもある。

そんなときだからこそ、人とのつながりの大切さを再認識した。スピッツの歌詞では、何でもない日常の大切さがしばしば歌われる。

“くだらない話で安らげる僕らは その愚かさこそが何よりも宝物”「愛のことば」
“人が見ればきっと笑い飛ばすような よれよれの幸せを追いかけて”「桃」

このような大変ななかで(むしろそんなときだからこそ?)、本当にあるのかもと思えるようになった“美しい惑星”とは、決して大それたものではなく、何でもない“普通の日々”なのだと思う。


たぶん“美しい惑星”には届かないけど

同時にこの状況下で、これまで当たり前と思われてきた物事が強制的にストップさせられ、「それって本当に必要なの?」という問いを持つきっかけにもなった。必要なものとそうでないものを分けていった結果、美しい惑星がだんだんとイメージできるようになったのではないか。

Cメロでは“惑星”を目指して“袖”をはばたかせる。そんなことをしたところで翔べるわけではない。空に浮かぶ“美しい惑星”は、見ることやイメージすることはできても行くことは不可能だ。おそらく“僕”も、既にそのことには気が付いていると思う。

“同じこと叫ぶ 理想家の覚悟 つまずいた後の擦り傷の痛み 懲りずに憧れ 練り上げた嘘が いつかは形を持つと信じている”「ビギナー」

私が好きな「ビギナー」という歌詞の一節だ。性懲りもなく悪あがきをすればいつの日か何かしらの形になっていくかもしれない。

もし目に見える形で結果にならなかったから意味がない、ということは決してない。それをイメージしながら前に歩き続けること、そして分かちえる人がいることも素晴らしいことだ。

以上、「紫の夜を越えて」についてあれこれ考えてみたが結局のところ、平易な言葉で、押し付けがましい表現も使わずに、色んな思いを抱かせてくれるスピッツが偉大だと改めて思った。

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