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「邦楽一ダサいPV」the pillows・バビロン天使の詩を考える

The pillowsに「バビロン天使の詩」という楽曲がある。The beatlesの「taxman」やblurの「tracy jacks」を彷彿させるギターリフ。派手さはないが聴きなじみの良いサビメロディ。特にギターソロ後、Cメロでやや落としたところから、徐々に階段を駆け上っていくように盛り上がっていき、大サビに達するところがたまらない。ライブで見たときはもちろん、CD音源を聞いていてもその部分で頭をブンッと振りたくなる。

そんな「バビロン天使の詩」だが、ネット界隈では多少有名な楽曲となっている。なぜなら「邦楽史上最もダサいPV」といわれているからだ。


実際に見てみると、確かにダサい。この作品が出たのは2001年。映像技術が進歩した現在からみると、古い映像はどうしても安っぽく見劣りしてしまいがちだが、この作品の出来はその範疇を超えている。私は最初にこれを見たとき、あまりの衝撃さに曲が全く入ってこなかった。

一応the pillowsというバンドについて簡単に触れておく。山中さわお(Vo.)、真鍋吉明(Gt.)、佐藤シンイチロウ(Dr.)からなるロックバンドで、1989年結成。「大ヒット」と呼べるような楽曲はなく、CMやドラマなどのタイアップもほとんどない。「永遠のブレイク寸前」などと揶揄されることもある。それでも現在に至るまで長く活動を続けており、結成15周年につくったトリビュートアルバムではMr.children、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDEなどが参加し、20周年には日本武道館で、30周年には横浜アリーナでライブを行った。

この映像作品が世に出るまでにはいくつもの段階があったはずだ。まず、アーティストがこんな映像を撮りたいという着想がある。それを映像ディレクターに伝える。撮影、編集をして、できた作品をアーティストやスタッフが確認。問題が無ければ、リリースされる。私は制作の現場を知らないので、あくまで上記の流れは想像だが、とにかく多くの人がそこに関わっていることは間違いない。誰か止めるなり、軌道修正を提案する人はいなかったのか。そして素人の私でも、パワーポイントでこれに近いものは作れてしまいそうな気がする。

後年、山中はこのPVについて、当時は予算が少なく、不本意な出来だったと語っていた。それでも彼はこれをお蔵入りとしなかった。ちなみにこのPVを制作した監督は、同じ時期に他にもthe pillowsのPV制作に携わっている。そのうちのひとつが「この世の果てまで」という楽曲だ。


カメラの動き方や映像の色合いは多少隔世の感はあるし、こちらも低予算のためか、砂浜でバンドが演奏しているだけという極めてシンプルなものだが、楽曲の良さも相まってとてもかっこいい。

当時のことを少し考えてみる。2000年代初頭、PVは現在ほど重要なコンテンツではなかった。スマホはもちろんなかったし、パソコンはあっても、テキスト通信が主だった。映像を見るツールはテレビだけだったといっていい。地上波ではCMや、CDTVなどの音楽チャート番組でサビが15秒ほど映る程度。フルでかかるのはSPACE SHOWER TVなどの衛星放送くらい。CDに特典としてDVDが付くようになったのも、You Tubeが影響力を持ちだすようになるのも、もう少し先の話だ。

当時、お世辞にも売れているとは言えなかったこのバンドのPVが、これから先、多くの人の目に触れる「可能性」について考えた人は、スタッフ、メンバー含め誰一人いなかったのではないか。

2017年、the pillowsは「バビロン天使の詩」を思い出させるようなPVを新たに発表した。「王様になれ」という楽曲で、曲自体は言わずもがな良い。映像に関しては、突然メンバーの頭が開いて中から人が出てきたり、脳のマスコットのようなものが踊っていたりといった、ヘンテコというのか、コミカルな感じの演出がいくつかある。一方で演奏するバンドメンバーの姿はかっこいい。そして、「脳細胞の支配下で世界を創れ 王様になれ」という曲中のフレーズを具現化したものだとすれば、その演出についても合点がように思えてくる。


結果、総体的にみると、バンドのかっこよさ、歌詞のテーマを示したコミカルな演出が合わさってプラマイゼロ。いやそれどころか絶妙なバランスとなって、一つの映像作品として見ごたえがあるものとなっているように思える。

「バビロン天使の詩」に戻る。初見のインパクトにあまりに引きずられすぎてきたので、意を汲むようにPVを見てみる。映像に登場する青年(山中)は、ギリシャ神話に登場するイカロスのように翼を背に空を翔んでいるが、その飛び方は鳥のように優雅なものではなく、心もとない。そして太陽に近づいて墜落してしまう。

青年は諦めることなく助走をつけて、また翔ぶ。地上では無数の手が彼の足を引っ張ろうとしている。なんとかそれを振り切りさらなる高みを目指すが、悪魔(真鍋)が吐く火によってまた墜落。彼はまだ諦めない。再び地上を駆け、三度翔ぶ。障害をくぐり抜け、高度を上げていくが、結局は神(佐藤)が発したほんのひと息吹によりあっけなく落ちていってしまうのだった。

これは「バビロン天使の詩」で唄われている内容とも合致する。「雲が邪魔したって怯まない」で「もっと似合うシンプルスカイ」を探す“僕”。「‘あきらめな’って」言われても「僕には聞こえない」。

そしてこれは、the pillowsの歩みそのものでもある。90年代半ば、Mr.childrenやスピッツが大ヒットを飛ばす傍らで、彼らとほぼ同期であったthe pillowsは伸び悩む時期を過ごした。結局ヒットチャート的な意味での成功はおさめたとは言えないながら、自らが信じる音楽を鳴らした結果、独自の立場を築くことができた。“みんな”とは違う“僕”独自の道を探して歩んでいくというのは、山中さわおが書く歌詞世界に共通する哲学でもある。PV中の青年の空への憧れと挑戦はこれからも続いていくのだろう。

PVは視角的に楽曲の良さを引き立ててくれる。「バビロン天使の詩」のPVは、確かに映像の質という点ではやや難があるが、決して無闇やたらに奇をてらったものではない。きちんと楽曲のテーマに沿ったものになっている。

2014年、the pillowsはPV集をリリースしている。デビューからリリース当時までのPVが網羅され、もちろん「バビロン天使の詩」も収録されている。不本意な出来ではあったのかもしれないが、メンバーはそこにこめられた意を理解して、作品として一定の評価をしているのではないだろうか。

私は時折、このPVを無性に見たくなるタイミングがある。かっこいいサウンドを聴けば走り出す原動力をもらえるし、気分が落ちた時もこの映像を見るとついつい口元が緩んでしまう。

the pillowsは長い活動の中で多くの作品を発表してきた。良い曲もあれば、???と思うような“迷”曲も時折ある。最後は曲と映像がガッチリ噛み合った“名曲”を紹介して終わる。

the pillows 雨上がりに見た幻


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