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親であることの大変さとは

何なのか?
それは「親であることを辞められない」ことだと思います。
前回の記事と矛盾する気もしますが、正直にいきましょう。


洗濯するのが面倒なら、翌日に先送りするかコインランドリーに行けばいい。
飯作るのが面倒なら、毎食カップラーメン食べればいい。
出かけるのが面倒なら、一日中家で寝てればいい。

厳密にいえば、子どもに二日連続同じ服を着せたっていいし、冷食や総菜を食べさせたっていいし、どこにも連れて行かなくてもいいです。しかし、「良い親であろうとする自分」がそれを許してくれません。

子どもに毎日違う清潔な服を着せたい。栄養がとれて彩り良くおいしい手料理を食べてもらいたい。ずっと家にいるのは退屈だから出かけさせてあげたい。

自分一人であれば「今日は面倒だから」程度の理由で放棄できることが、できない。幼児が親に配慮してくれることはなく、真の意味でのお休みは訪れません。
自分が壊れてしまっては元も子もないのですが、ネグレクトの領域に踏み込むようで恐ろしい。泣いてる我が子を無視するような開き直った真似ができるわけでもなし。
加えて、「親であること」は自分の選択の結果という点が、いっそう逃げ道を少なくします。「親であること」を頑張っても、当然だれからも評価されず、インセンティブもありません。

やれインセンティブとか評価とか、子育てってそんなことじゃない…
わかってはいるのです。

答えはとくにありません。
核家族で子どもを育てていくことは、本来とても難しいことなのだろうと感じています。バッファがないから。自分の両親や助け合える第三者、なにより自分のパートナーとの関係が極めて重要です。


こんなことを書いているのは、妻がコロナ陽性となり隔離生活を送っているからでしょう。今日は隔離二日目です。

息子は本当に頑張っています。
3歳だからとごまかさず、丁寧に状況を説明すると、「がんばる、パパとねる」と言って、3歳なりの理解に努めてくれます。
しかし初日はお母さんに会いたすぎて、LINEの通話越しにさめざめと泣いていました。こういう時に無力を感じる。

最近、一緒にお風呂に入ると、お願いしたわけでもないのに背中を洗ってくれます。これは父として夢がかなったといえるかもしれません。
なんで洗ってくれるのか尋ねると、「パパのせなかはおっきいから」とのこと。泣きそう。

その他、積み木やLEGOで遊んでいると、作るものに明らかに左右対称性が見られるようになりました。「家」や「ロケット」など、説明を聞くと確かにそれらしい。

頑張ってんなぁ。

積み木のおうち 左のLEGOはロケット

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