血液型のこと

放任主義と過保護③”を読み返して「まるでちゃんとした母親みたい」と我ながら思った。
実際は全っ然そんなことはない。

今思えば産後鬱だったのか、長女を産んですぐは全てが不安でいつもめそめそ泣いていた。
娘が成長して何才になっても自信がなくて常に手探り状態。(それは思春期になった今も変わらず)
料理も既出の通り好きではないので、旦那が甘いのをいいことに隙あらば作らなくて良い方向へ突き進むのが悪い癖。
“何かをする”となるときっちりやらなければ気が済まない反面、きっちりな自分が面倒くさいので“何かをする”気になるまでが長い。
結果手付かずになったり、「別に今日じゃなくてもいいよね」と自分に言い訳して後回しにしてしまうことも多々ある。

それでもまぁまぁ真面目な性格だと自覚してる。
周りにも「真面目すぎる」「融通がきかない」「もう少し柔軟に」とか(悪い意味ばかり)言われることも少なくない。そしてよく
「A型でしょ?」
と言われる。
はい、A型です。
いや、そうなのだけど…

実は初めからA型だったわけではなかった。
子どもの頃、小児喘息でいつも耳鼻科に通っていた。加えて扁桃腺とアデノイドが大きかったらしく、ゼェゼェが酷くなったり耳が痛くなること(中耳炎)がよくあった。
これは当時言われたことなので言い聞かせられただけだったのかもしれないけれど、
「これを取らないと喉を塞いでご飯が食べられなくなっちゃうからね」
ということで、5歳の時アデノイドの切除手術を受けることになった。その時に手術前の診察で耳たぶをちょんと切られて血液検査をされたのだ。
結果、血液型はO型だった。
それ以前にももしかしたら血液型は判明していたのかもしれないけれど、私が記憶しているのはこの時からだ。
手術は問題なく(但し、5歳児にとっては鮮明に記憶に残るほど恐ろしい体験で大問題)、一週間程で無事に退院した。

以来、当然ながら『自分はO型』と思って過ごしていた。その頃は周りの人にも
「O型でしょ?」
と言われたものだった。
そんな自他共に認める(?)O型人生がいきなり終わったのは高校生の時。

一度だけ学校に献血車が来て全校で献血をしたことがあった。
順番に献血車に乗り込むとまず血液型を聞かれる。と同時に、指先から血液検査をされる。
「O型です」
と答えた私に、検査したお姉さんがチロッと上目遣いに私を見て
「違うねぇ、O型じゃないよ」
とニッと笑った。
(O型じゃないよ…?)
理解できない私にお姉さんは
「あなたはA型だよ」
と、言った。
「O型は間違いだったんですか?」
「調べたのが小さい時だったんなら、変わったんじゃないかな?」
硬い簡易ベッドに横になり、腕から管を通って出ていく血を見ながら
(一体いつからA型だったんだ。さっきも血液型占いO型で見てたのに…)
と、なかなかのショックだった。

両親がA型とO型なので私はどちらであってもおかしくはないし、今でも稀に「O型っぽい」と言われることも無いわけではない。
つまり、O型寄りのA型…?
海外には血液型タイプや占いなど無いと聞くし、科学的根拠もないのに日本では血液型をタイプ別に分けるような見方が一般的なのも不思議。これも国民性なんだろうか。

ちなみにここまで書いてなんだけれど、これまで生きてきた経験を踏まえ、個人的にはいわゆる“占い”(特に血液型と星座)は信じていない(笑)

そういえば。
余談だけれど娘が産まれた時、産婦人科の先生に
「この子の血液型は何型ですか?」
と聞いたら、フッと鼻で笑われて
「血液型知りたいの?なんで?」
と言われた。
聞くことがおかしいような反応。
「え、血液型って知らなくて良いものですか?」
と聞いたら
「まぁ~今のところはO型。でも知りたいならもう少しあとでちゃんと調べたら?まだ早いから」
とニヤニヤしながら言われた。
大袈裟ではなく(なんでこんなに笑ってるの…?)と戸惑って、思わず周りに数人居た看護婦さんの顔を確認してしまったくらいの“ニヤニヤ”だった。
なぜあんな他意のあるような言い方をされなければならなかったのか、今思い返してももやもやする…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?