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よく頑張ったね

よく頑張ったね
そう母に言われた。
そして浪人期に幕を閉じた。

これは浪人時代の失敗談。

大学受験に失敗し、浪人を決めた私は受験が終わった翌月の3月から地元の予備校に通った。
私の高校の友人は皆頭が良く、難関大と呼ばれる大学に進学している。自分も早くそのレベルに到達したいと思い、必死で勉強した。
予備校では学力によってクラスが分けられており、「上のクラスにいきたい」と思う気持ちが自分のモチベーションになっていた。夏頃にはほとんどの科目が上のクラスになり、成績も現役の頃と比べてはるかに良く、得点に安定感があった。

失敗した要因はその数ヶ月後の11月。
ある1つの出会いがきっかけだった。
広い教室の中、わざわざ私の隣を選んで座ってきた人がいた。Aさんと呼ぶことにする。
Aさんは県内でも有数の超進学校出身のエリートだった。
私はAさんと話すにつれ、仲良くなり、一緒に勉強するようになった。Aさんが分からない箇所は私が教え、私が分からない箇所はAさんが教えるというように、勉強に関してお互いの穴を埋めることができる存在であった。今思えば、お互いを高め合える存在であったのかなと思う。
しかし、高め合える関係はそう長く続かず、私はAさんに恋心を抱いてしまった。
恋心を抱いてからは、毎日午前中はファーストフード店でお喋りをし、昼過ぎから予備校に通うという浪人生失格と言える生活を送った。
成績は徐々に悪くなったが、今までの蓄積もあったため、そこまで悪いものではなかった。この頃には、Aさんとの時間も確保しつつ、受験にも合格しようという甘い考えがあった。

結論から述べると、私は滑り止めの滑り止め、本来進学するつもりのなかった大学へ進学することになる。
想定外の受験結果に落胆し、友人に伝えることもできなかった。大学3年になった今でも伝えられていない友人は多い。
何より、親に対しての申し訳なさがあった。
ここまで悲惨な結果になった自分に対して、一切文句も言わず、
「よく頑張ったね」
そう一言言ってくれた。
その一言が苦しかった。情けなかった。
親には金銭面もその他の面も全て援助してもらっている。そんな親へ、せめて良い結果だけでも報告したかった、喜んでほしかったなと思う。

ごめんね。謝罪したい気持ちは今でも変わらない。

来年、大学院の受験がある。大学受験に失敗した時から他大学の大学院に進学しようと考えていた。
受験するのはこれで最後になる。
自分のためにも、過去の清算のためにも、来年は絶対に落とせない。

挑戦できる環境に感謝して、頑張ろうと思う。

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