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「能動的に生きる」か「受動的に生かされる」か

対岸の火事だったコロナが日本に上陸して早一年。日常は一変した。

働き方改革に拍車がかかり、ソーシャルディスタンス、3密、おうち時間などの新しいワードもすでに耳になじんできた。

リモートワークによって、満員電車に乗ってよーいドンで開始する日本の風物詩ともいえるようなワークスタイルも見直されるようになった。

とはいえ、パソコンではなく対人で成り立っている職業はなかなかそれも難しい。飲食業、観光業、接客業等がコロナの向かい風を受けた最たる業種だろう。経済面に於て。(第一線で働かれている医療従事者の方々には本当に頭が上がらない)

私もそんな向かい風を受けた一人である。

ふんばれば立っていられるような向かい風ならまだよかった。その場からは動かないし、後退したとしても数mだし。しかし私はコロナの逆風を舐めていた。ふっとばされた。本当に漫画の描写にあるように「ピューッと」。気付いた時には自分が元々立っていた場所ははるか向こう。戻るにしても遠すぎる。逆風は弱まるどころか勢力を増している。ないはずの砂埃さえ巻き上がっているようにも見える。

そしてその時、私はようやっと気付いた。

私が舐めていたのは「コロナ」ではなく「人生」だったのだ、と。

急に無職になった。

今までの人生の中で無職期間だってあったし、それなりの蓄えだってあった。ただし今回の無職期間は自分で選んだものではなく完全なる外的理由によるもの。クビになったり勤め先が急に倒産したらこんな感覚なんだろうか。

当初は気楽だった。むしろ急な長期休暇が訪れて万々歳だった。好きな時に寝て好きな時に起きて好きな映画も観放題。コロナ渦で様々なサブスクにお世話になった。

飲みに出かけることができなかったのはストレスだったけど「リモート飲み会」なんて文化も生まれて、家でスッピンでパジャマで何時間も友人と画面越しに乾杯してベロベロに酔っ払ってすぐにベッドにもぐりこめる日々。

ただそんな日々にもさすがに飽き飽きしていたときに2か月の緊急事態宣言も解除されて、さーてお仕事がんばるかぁ、と重たい腰を上げたものの世の中そんな甘くはなかった。そりゃそうだ。緊急事態宣言が解除されたからといってコロナが殲滅されたわけでもない。接客業界に客足の流れは簡単に戻ってはこない。だらだらだらだらと、働いているのに無職のようなそんな漫然とした日が続いた。

そこでやっと思った。

「あれ?このままじゃやばいんじゃないのか?」と。

貯金は底をついていない。

だがしかしこのままでは確実に収入<支出の日々だ。

給付金なんてものはあっという間に消えた。都内の家賃では10万円なんて一瞬だ。

コロナがいつ消え去るかなんてわからない。その頃にはさすがに日本国内でもパンデミックの脅威は知れ渡っていた。

焦りに焦ったがどうすることもできない自分に気付いた。

スキルもない。資格もない。なんだったら社会人経験がない。

綺麗に着飾って、他人より多少お話が上手で、他人より多少お酒が飲めて、他人より多少体力があるだけの女だ。

先程「どうすることもできない自分に気付いた」と書いたが、正確には「気付かないふりをしていた自分に気付いた」のである。

心の中には漠然とした不安がずっとあったのだ。澱のように私の奥底にあったのだ。それをずっと見ないようにしてきた。可視化するようなものでもないのに、子どもが親に怒られないために、割ったお皿を隠すようにしてずっともっていた。見たくなかった。見たら私の心は砕ける。芯の部分がぐにゃぐにゃなのがバレないように周りのコーティングだけはガチガチにかためてきた心の柱が、いとも簡単に折れてしまう。私の心は違法建築物だ。

だけどこの事態になって、やむを得ずその違法建築物を取り壊し、その芯にあるものを剥き出しにしなきゃいけないことになった。

なんせ暇だったし、時間があった。

まず、心の柱を纏っていたいたコーティングは「プライド」だった。幼いころから要領がよくて大人に褒められることも多くて、割となんでも卒なくこなせて学校でも割と目立つほうだった私。努力しなくても、勉強運動どちらでもトップクラスとまではいかなくても中の上から上の下ぐらいに位置していた私。気付かないうちに「自分は周りより優秀である」と思い込んでいたのだろう。

だから東京に出てきてもっとすごい人にあっても「でもあの子実家金持ちだし」「私も本気出せばあれぐらいなれるし。今はまだ本気出していないだけ」なんて、中学生もびっくりのイキりかたをしていた。単純に「人に聞く」ということができなかった臆病者なのに。

そこに気付けたからといって、じゃあすぐにその「いらないプライド」を捨てようといったってすぐにできるものではない。こちとら製造年月日が思い出せないほどの年代物の「プライド」なのだ。私の心の柱にこびりついてこびりついて剥がせない。

でも私はこの「プライド」とお別れをしたかった。

「自尊心」があれば「プライド」はいらなった。

無意識に人を下に見る自分が嫌い。

「失敗」が怖いからという本当の理由で「本気」を出さない自分が嫌い。

周囲に助けてと言えない自分が嫌い。

どうしよう。このまま痛々しく歳を重ねるのは嫌だ。

私はとりあえず人と関わるようにした。

友達はそれなりにいたし、飲みに一緒に行くような人もたくさんいた。だけどその環境は私にとって綿に包まれているようなものだ。「私を絶対に傷付けない世界」。私はそこから出たくなかっただけだった。

外に出よう。

私はその瞬間、きっと初めて「能動的」に生きた。

与えられた仕事をこなし(要領がいいから与えられた仕事は普通以上にこなせた)、見たいものだけを見て聞きたいことだけを聞いて、自分に優しい人達だけに囲まれる、そんな「受動的」な人生はとても楽ちんだ。責任をとらなくていいのだから。なにか問題が起こっても、自分が選んだことではないのだから他人のせいにできる。自分の失敗にはカウントされない。だから傷付かないし、落ち込みもしない。

だけど思い返してみたら、そんな20代はずっと退屈だったし、いつも不安が付きまとっていた。いや、正確には20代後半あたりからだろうか。20代前半はきっとまだ「能動的」で美しく馬鹿でいられた。

「能動的」な人生は、大変だった。責任には向き合わなきゃいけないし、考えることは多いし、傷付くし、落ち込むしで。

だけど間違いなく今のほうが楽しいといえる。

状況や環境が以前と比べて格段に変わったわけでもないのにずっと私に巣食っていた漠然とした不安がいなくなった気がする。

これがきっと巷で言われている「今を生きている」ということなんだろう、と、なんとなく思っている。合っているかどうかはまだ現時点ではわからないから、かもしれない、というレベルにしておくが。「能動的」に生きることを意識すると、「今」に集中するからきっと過去や未来にとらわれる容量がなくなるのだろう。

不思議なことに、「受動的」に生きていたときはいつも時間に追われていて「能動的」に生きている今は時間に余裕ができている。やっていることのスピードは変わっていない(はず)なのに。

今は「能動的」って意識のスイッチを入れたりしているけど、いずれこのスイッチが常時稼働しているようになればいいと思う。なにも仕事においてのみ「能動的」であるわけじゃないのだ。趣味も娯楽も休息も、すべて自分の意思で「能動的」に「私はこれがしたいんだ!」って生きていたい。

鋭い刃で私に現実を突き付けてきたコロナに、感謝はしないけど、自分と向き合う時間ときっかけを与えられたことは認めざるを得ないのである。