見出し画像

カメラ界隈の皆さんこんにちは

私にとってカメラは「しるし」である。

撮影の中でインタビューを受けましたときの私の回答でございました。でも実はあの時もっともっと伝えたいことはあって、大事な時に限って私は人見知りモードに突入し、頭の中は真っ白で仕草だけは単調に、そしていよいよ言葉が出てこなくなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

しどろもどろだったポンコツらんまるではございましたが、仕上がりはため息が出るほど素晴らしい作品となっておりました。そして手前味噌ではございますが私がかわいい素敵な人に映っているので、私を知っている人たちは全員見てほしいと思います。

現場でお世話になりました皆々様、改めてお礼申し上げますと共にギュイーントクガワ様、この度はこのようなステキな機会を与えてくださり、本当に本当にありがとうございました。

私が初めてカメラを自分の意志で欲しいと思い手にしたのが、17年程前だったように思います。武器のようにゴツい大きいカメラのビジュアルが好き、という理由だけで一眼レフカメラを買いました。当時はまだ一眼レフを持ってる人が少なくて、私なりの優越感もあったのでしょう。斜め掛けバッグを持つようにカメラを肩から掛けて出歩いていましたのも、今となっては懐かしい思い出です。

初めての一眼レフカメラを使って思ったのは「これは数学である」でございました。明るさとかスピードとか色とか…その環境に合った数値を導き出し、構図を決め、それらに心を通し命を吹き込んでいく。

なんてなんて難しいのだろうか…苦戦したのは言うまでもありません。当時はまだYouTubeで優しく解説してくれるような動画もありませんでしたし、検索すればガチ勢の方々の難しい言葉で解説されたブログなどがございましたが、もちろん私にはさっぱり理解できませんでした。

そんな私が苦戦しながら撮った写真は、なんでこんなに世界が青色になっているんだろうとか、なんで毎回ピントが微妙に合っていないのかとか、そもそも設定が全て間違っているとか、思うことは色々あるのですが数学的なカメラのことは置いておいて、確かに私はカメラを通して命を吹き込む作業をしていたのだろうと思うのです。

当時の写真を見ると、シャッターを押した時のけだるさとか、日常の楽しかったこと悲しかったこと、その些細な感情までもが記憶の底から蘇ってくる。感情だけではありません。匂いとか音とか味とか、そこにはもういない人までも、見えないけれど確かに存在していたモノを心に残してくれるのがカメラであって、私にとってカメラで撮るということは人生に付箋を貼って、過去を思い起こすためのまさに「しるし」なのでございました。

酸いも甘いもかみ分けてきた人生を思い起こし、その記憶を糧に今を生きて行く。これこそ「何故人は生き、ここにいるのか」を知る近道なのだろうと私は考えているのです。

そしてあの時を写真として残すことができたのは、お気に入りのカメラを手にし撮りたいと思う気持ちがあったから。世界を青色にしようが赤色にしようがそんなことは後から考えればいい。撮りたいと思う時にシャッターを切ることに意味があったのです。

スマホ撮影界隈の皆様にとっては、昨今の文明の利器「カメラ」はなかなか手強いかもしれません。ですが、少し骨を折って撮るくらいのほうが心に深く刻まれるのではないのでしょうか。

私からは以上になります。皆様の健闘を心よりお祈り申し上げます。最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?