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二重の芸術・演劇

座・高円寺の劇場創造アカデミーの公開講座、舞台芸術の映像配信ワークショップに参加しています。1人1ページwebページをもらってそこに文章、画像を付し配信の場所をつくりそこでメインの映像を配信するということをする。舞台芸術の映像といっても舞台の記録映像ではなくそれ自体が舞台芸術かつ映像作品でもあるものを目指してつくるべしという課題。昨日の授業ではダニエル・シュミットのKAZUO OHONOの映像を例として観た。

それが演劇だということのために必要な要素というと大体、俳優、観客、テキストなどの要素があげられるけれど映像作品かつ演劇であるにはと考えたときに何が演劇的でありうるのかと考えている。見せてもらった映像作品では大野一雄が踊っている姿が一曲の中で三ヶ所くらい場所が変わって繋げられていた。場所が変わってもそのダンスは一繋がりのダンスだった。
演劇などの作品であるということは演者がその時と場所に居ながら同時にそこでない時と場所にいるという要素があるのではないか。その差異があるからこそ観客は演技に引き込まれるのではないだろうか。

昨日は演技論のゼミで演技には冷静な自意識と感じ反応する情動の両立が重要だというような話もした。その両者がどちらも必要。このことは大前提のようでいてあまり言及されない気がする
演劇、演技には二重であることがつきまとう。

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