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n回目から理解できること《陳情令の沼で考える》

※ ネタバレありです! お気をつけて・・・

ここで何度も書いていると思うけれど、
「陳情令」というドラマを昨年9月に初視聴して
そのストーリーや人物、音楽、美術工芸品等々に心奪われ
現在に至ります。

初視聴は確か、アマプラで。
でも、思いのほか早く視聴期限がきてしまい、
二回目視聴くらいで、
「テラサ」に移動してここでけっこうな回数見た(笑)
私のn回視聴の場数を稼げたのは
全て、テラサさんのおかげです。ハイ(^_^)/

私が陳情令にずぶずぶのめり込んだ時点で
オケコンも終わっていて・・・。
時、遅かったか  (-_-;)・・・。
それでも、(陳情令に関するイベント)何も経験できなくても
私はテラサで相当回数視聴し続けた。

だって。
視聴するごとに、新しい発見(気づき)があるもので!!

こうして n回視聴したからこそ見えてくるものが
本当に多い。
ひとつのストーリーをここまで長い間頭に思い浮かべて
毎回、様々なことに思いめぐらせているドラマは
たぶん、陳情令が初めてです。

今(2023年9月)、ようやく地上波放送されていて、
再びの《初めての陳情令》の追体験の真っ最中です。

ドラマはちょうど、16,17話あたり。
蓮花塢で粛清を果たした温氏。そして
温逐流によって江澄が金丹を奪われてしまう。

温情のところに身を寄せ、金丹を奪われて生きる気力を
失った江澄を、
なんとかして助けたいと、魏無羨は
あらゆる医学書物を読み漁る。
その姿と 
時間の流れ の表現が
私の心を締め付ける。
こんな姿の魏無羨を目にすることになるとは。

そして

見つけたのだ。
金丹を江澄に戻す方法を。
しかし

それは
取りも直さず

魏無羨自身の金丹を 移すことだった。


もちろんね、私はn回見てきているから
自分の金丹を江澄に移すしかなかった
ということもわかっている。

でも、初視聴時、これは
まっっっっ・・・・・・たく、わからなかった!
当たり前ですよね。
陳情令46話でやっと「金丹の真実」として
暴かれるわけなので。
それまでの長い時間、
この、江澄が金丹を再び得ることになる、という
あたりのシーンは、単純に、物語の中の一つの出来事
くらいでした。(そりゃ、大きな出来事でしたけれど)
言い換えると
このあたりのシーンに見る、魏無羨の表情に対しての細かい
観察も考察もしてこなかった。


n回も見てきているのに、
今回の《再びの陳情令》で初めて
この時(自分の金丹を移すことで江澄はもとに戻る)の
魏無羨の表情から、複雑な彼の心境を考察するに至った。

【ここからは、私個人の考察です】
以前の記事「心の生い立ち」の中で

「魏無羨という人物は自分をどこか諦めている」

と書いています。
彼の死生観にも通じるもので、
「死」は運次第であり、悲しまない死もある 。


金丹を失った自分を想像したに違いない。
でもそれは
きっと一瞬なのではなかったろうか。
一瞬、 呆然と頭によぎり、
しかしすぐにその暗暗たる想像は魏無羨本人の意思で
かき消された。
《自分は、どうなっても生きていける  でも江澄は・・・》

方法を見つけたものの、あまりの代償の大きさに
魏無羨は空を仰いだ。
その表情を
私は今、考察したい。

考察に正解などありません。
あの時の彼の思考はどうだったろう・・・。

魏無羨は自分の中で折り合いをつける。

思えば、
虞夫人に右腕を切り落とされるかもしれない!
となった時も、彼は心で考える
“この場が収まるなら、右手を失ってもいい。
左手で剣の修行をすればいい” (台詞はうろ覚えです💦)

彼の思考回路はこうだ。

一瞬、考えるのだが、すぐに自分を差し出す決断に至る。
同じ。
そして、もう一つ、の心情も想像できる。

江澄は 「奪われた」
自分は 「差し出す」のだ。
奪われた江澄より、ずっとましではないか。
これが、彼の折り合いのつけ方。

何とかしたい。という彼の心情の、先の答えは
いつも過酷だ。

※関係ないけどさ。
 藍忘機の 「連れ帰り、隠します」の気持ちが
 よーーーくわかるったらありゃしない。
 危なっかしいのよ。魏無羨って。
 ほっとくと 自己犠牲の道を選んじゃうから(/ω\)

蓮花塢粛清~江澄の金丹喪失~復活~乱葬崗
このあたりが前半の大きな出来事ですよね。

今回の地上波で初視聴の友人(布教いたしました)には
「あのね、加速度的に面白くなるからね!!!」笑

まだ先は長いので、
ちょいちょい、新たな考察が生まれましたら
ここに備忘録として書いておこうと思います。

この沼は  深いよ  💛






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