マウントを取りたがる人に出会った時
「それって結局のところ意味ないよね」
「Fラン大学で何言ってんの?」
「そんなんだからモテないんだって」
おー、マウント取りに来てんな〜。
それで上に立ちたいんだよね。
僕の周りには、マウントを取りたがる人が少なからず近くにいる。基本的に対話が好きなので、相手のことをとことん知りたくなるし、自分のことも伝えて、意見をもらったり、一緒に創造しあうような建設的な話を繰り広げたい。
「それってこういうことですか?」
「こんな状況の時、あなたならどうします?」
「そこでそんな風に動けるのはすごいですね!」
どんどん掘り下げて、どんどん深めていきたい。
そんな中、”あ、その感じか、、、。了解です。”となる時もある。
そう。マウントを取りに来る時。
もちろん、一見マウントのように見えて、僕のことを想って発してくれている言葉もある。そんな人の言葉には、その先に愛情が見える。
でも、ほとんどはそうではないことが多い。
僕に向けられた言葉の先にあるのは、相手の自尊心の補充。私益。憂さ晴らし。
そんな言葉に出会った時、僕は「無」になる。そして、すーっと離れる。心だけではなく、物質的な距離を取る。その人の間合いから外に出るイメージ。
少し前までは、語り合うことで生まれるものがあると思っていた。
その人が生きていく中で見出した1つの想いな訳だから、無下にするのは失礼だと思ったから。
でも、無駄なことに気づいた。まず疲れる。そして、相手はハナから聞く気がないという事にも。会話ができない。投げたボールは返ってこない。
マウントを取りたがる人に出会ったら、
その人の言葉に「愛情」を感じなかったら、
あなたが傷つく前に、どうか離れて。
「そう思うんですね〜、ふ〜ん。、、、。(スーーーーっ)」
マウントは取っても取られても誰も得しない。
たとえ相手が取ったとしても、その先にあるのは一過性の悦だけ。
相手に申し訳ないから、、、と聞く必要なんてない。
相手のためだから、、、と離れていこう。共感も反論もせずに。
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