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「恋するリコーダー」本村睦幸さんからリコーダーを教えてもらう (10)

ゲシュタルト崩壊


知らない曲を楽譜から読む。
そんなことができるんだろうか。絶対音感とかないし。……とはいえ、音楽は1オクターブ7音を聞き分けられれば、まずはなんとかなる。♯とか♭とか入れたって、言語に比べたら圧倒的に少ない語彙。ちょろいもんじゃん。

……と思っていたが、私は音楽に「リズム」という言語があることを忘れていた。リズムは音よりも「語る」。そしてリズムは音よりも多様で、複雑だ。音がなくてもリズムは存在する。これにはまいった。

さあ、いよいよレッスンも4回目に入ってきて、短い楽譜を渡されて「これが、どんな曲か楽譜から読んでくださいね」との宿題。

「まあ、軽く予習をしておけばいいです。間違って練習してしまうと訂正するのが大変ですから」

なるほど。

そして課題曲になっていたのが「美しき町リール」という曲なのだが……。正直、この曲をまずリコーダーで吹いてみて面食らった。最初から訳がわからん。

「ドドレミファソ」と、最初からドが2つ。「ド」「ド」と「ド」が重なる感じはいかにも「これから始めますよちゃんと聴きなさい」と言われているような……。つまり、私の頭は音を聞くとあたかもしゃべりかけられているようになにかを感じてしまう。

(イントロが、説教くさい)

別に説教されているわけでもないのだが、なんか好きじゃないなあと思う。そのあと、「ソーファミファレーミミー」みたいに続くだけど、どうしても説教臭い。なんでそう思うのかわからないが、私にはそう感じる。
いったい私の頭はどうなっているんだ?

しかも、リズムがよくわからん。この「ソ」をどれくらい伸ばせばいいんだ? 
四分音符ってなんだっけ?
単語が頭に入っていないので、なにか言われる度に脳内検索時間が必要。えっとーと考えているうちに、本村さんは「あ、なんかわかってないみたい」って思うんだろう。
いや、いま四分音符って……って検索してただけなんですう。
人間って使い慣れていないタームが出ると「?」となって考えちゃうんだよね。

四分音符なんて、音楽家にとっては「いろはのい」みたいなもんだろうな。しかし、私にとって四分音符という単語は自分の脳に定着していないタームなんだよな。

音符が何を表わしているのかは、学校で習っているからタン、タン、ター、タタ、と机を叩いて拍子を取ればわかるんだが、楽譜を見ながら音をのせて笛で吹くとやることが多すぎて拍子まで手が回らん。

運指もうろ覚えだし、なにしろソプラノの運指でドレミを覚えているからアルトの運指がまだ自動操縦状態にならない。

そう!、これって英語でしゃべる時の感じ。一度、日本語を英語に変換してしゃべる……みたいな。英語で思考していないとめっちゃ疲れる、アレです。

楽譜に集中すれば、リズムが取れなくもないのだが、リコーダーを吹きながら楽譜を見つつリズムを取る、そこに「クレッシェンド」とか「四分音符」など、いろんな音楽タームが繰り出されてくるので、脳内は遅いPCでGoogle検索をかけているような状態になる。

さて、ここで困った事態が起きた。リズムがうまく取れない私のために、本村さんが「部分練習」をしてくれたのだ。小節をさらに細かく分割して、その部分の音とリズムを繰り返し練習する。

部分だと、オタマジャクシが3つとか、4つでとってもシンプル。
でもそこだけ練習しても、他の部分と統合できない。
なぜできないか、というと、私のアタマがそういうアタマだからだ。
私はものごとを「流れ」で把握しており、そのように記憶している。そういうアタマなのだ。だから暗記がとっても苦手だ。

丸暗記ができない。なので、暗記するときはストーリーを作って物語にして暗記する。子どもの頃からそうだ。記憶力が悪いとは思わないが、どうも記憶の整理の仕方が人とは違うらしい。

部分に分割されると、流れがわからなくなり、なにもアタマに入って来ない。お手上げである。

「本村さん、部分に分割すると、私の脳が音を統合できません」
「統合できない? なるほど……」
「なにがなんだかわからなくなってしまいました……」

たぶん、本村さんは私が「うまくできない」ことを訴えているんだろうと予想されたと思うが、そうではなく、まんまの意味なのだ。

これは文字を書いている時も起きる。漢字が意味を失って形にしか見えなくなり「あれ、これってなんていう漢字だったけ?」と訳がわからなくなるのだ、ぐにゃぐにゃと文字としてのアイデンティティを失った抽象的なものにしか感じられなくなる。

ああ……ダメだ、全体性が崩壊した。まとまりをもった音の世界を把握できなくなってきた……ああ……やばい。ついに曲がゲシュタルト崩壊してしまった……。

というわけで、四回目のレッスンは音符にしたら、十数個のフレーズのリズムが取れず、ひたすら練習するもどんどんわからなくなる始末。

レッスンのあと友人と会って「楽譜を見ていたら、ゲシュタルト崩壊が起きてなにがなんだかわからなくなった」と言うと、彼女は「それは練習のしすぎでは? 脳を少し休ませて情報を整理する時間を与えたほうが効率的なんだよ」と言われた。

「それに、楽譜を読んでるとね、なんだか曲がしゃべっているみたいに感じるんだよ。こいつ説教臭いな……とか思うわけ」
「説教くさい?ってどういうこと?」
「うーん、えっと、美しき町リールって曲なんだけどね、イントロからして『これから私がリールの町について讃えるからちゃんと聴きなさいよ』
って言われている感じなんだよ。『もうこの町はめっちゃすてきなところなんだからね』って、こうクレッシェンドでぐんぐん押してくるんだよ。町のうるさがたのおばちゃんから自慢話を聞かされているような気分になる曲なんだよなあ」
「ふーん。とにかくランディにはそう感じるわけね」
「そう」
「やっぱ、あなた疲れてるわ、夏バテかもね」


小学校のころから、謎だった。
計算が苦手。いまもそう。かけ算九九、とことん覚えられなかった。
分数も小数点も、基本的な計算能力ができていないので、やたらとミスする。よって算数は常に最悪の点数。バカだと思われていた。

暗記ものはすべてダメ。

モノサシで長さを測ったり、数量を計るのも苦手だ。
編み物の目も数えられないので、私の編み物はざっくりと勘で編んでいるし、裁縫も型紙をつくったり、寸法を測ったりすることが苦手。
がんばればできるけれど、時間がかかってしょうがない。
なにより間違う。
それを努力が足りないからとか、やる気がないからと言われてきた。

だけど、私には得意なこともたくさんあったんだよ。
小説や詩は、今でもすらすら暗唱できる。
構成したり編集したりするのはめっちゃ早くて得意。
さまざまな次元や角度の出来事をまとめて文章化して人にわかりやすく伝えることができる。
……そういうことは学校ではほとんど評価されなかったけれどね。

私の脳は「全体像をざっくり把握して、全体の中でこれはこの位置で、これはここの位置だな」と予測を立ててやりくりしている、そうやってこれまで生き延びてきた。いまだに何の専門家でもないし、なにかを極めることもないし、広ーく浅ーく、ぼやーっと生きている。

たとえば、私に目は「ありえない」ってほどひどい乱視なんだけれど、メガネを使わずに暮らしている。それはなぜかっていうと「脳が補正」しているからなんだ。本当は違う風に見えているのに脳の補正作業でもって見えている。

脳は「全体がこんなふうだから、ここもこんな感じだろう」って補正しているんだって、視力矯正の先生から言われた。
「だから、あなたの脳は他人の何倍も重労働をしているんですよ」

脳が働きすぎて疲れるせいか、しょっちゅうゲシュタルト崩壊を起こす。世界がぐにゃぐにゃになって、意味としてのまとまりを失って統合できなくなる。

たぶん音楽も、一度、全体像を把握すれば「構成」の中で相対的に部分を把握していく。全体の構成を把握しないと、意味が……(音にも意味があったことに気づいた)わかんなくなっちゃう。

そういう脳って、私だけなのかなあ。
なんにしても、子どもの頃は苦労した。自分のことがわからなかったからだ。先生からバカだと思われているのがよくわかった。たくさん本を読んでいて自分をバカだと思ったことはなかったけど、バカじゃないって証明することができなかった。テストの成績、いっつも悪いから。

会社に入っても「数字をそろえて書けない」とか「計算ができない」というダメ社員で(脳の補正と現実にズレがあるため)、半年で神経性胃炎で辞めた。自分の能力が活かせる場所に行くまで、ずーっと劣等感との戦いだったな。

音楽は私にとって、雲みたいなものだった。ふわふわしていて、いつも空を流れていて、いろんな色に変わっていくもの。そんな感じ。

いま、音楽は音符として記述され、規則性をもった楽譜となって存在する。初めての体験だ。私のアタマは文字がない時代の人間みたいなもんだ。ふわふわして、とりとめのなかった「曲」というものが、記述され、普遍性をもってここにある。紙の上に記されている二次元の記号。そこから、高度に抽象化されたメッセージを取りだすわけだ。その過程で、どうやら私の脳はエラーを起こしたらしい。

ちょっと落ち込みつつ、とにかく二、三日休んで、脳にお休みを出した。それから、もう一度「美しき町リール」に挑戦。とにかく全体にどんな構成になっているのか把握できないと部分が見えない。

かなり苦労しつつも、最後まで行き着くと「あー、こういう展開にしたかったのね」とやっとなんとなく作者の意図が見えてきた。

が、わからない部分が圧倒的に多い。イントロの大仰さはまあ許せるとして、なんだこの「ソーソーソー」とか、「ドドドドー」は。なにを言いたいのかわからん。ここは実は特殊なリズムか、あるいはもっとこう別の演奏方法があるのではないか?これじゃ、味もそっけもないじゃん。

あるいは自分でニュアンスをつけていいのか?しかし、リズム通りに吹くんやろ?うーん。

だいたい、この音の組み合わせにもリズムにも、からっきし馴染みがない。いつの時代の音楽かわからないが、私のリズムで吹くと軍歌みたいになっちまうし、ひとつの流れから次の流れにぜんぜんつながっていかない。

流れの全体像がつかめない、どんな時代のどんな曲でどういう演奏をしていたんだ?見えない。全体がつかめない。ドツボ。
でも……なんかこう「オペラ」っぽい?
そう、オペラっぽい気がする。
たぶん、この曲にも歌詞がついていたんじゃないか?
音楽の元型は歌だから、古い歌なら歌われていたはずでは。もしこの曲をオペラのように歌うとしたらどんな感じ? ヨーロッパの言語のニュアンスがわかれば、違う曲想が見えてくるかも?
ラテン語の歌詞をつけてみるか……。

というとんでもないことを考え始めた。
Google翻訳にはラテン語があった。
試しに、Quam pulchra flos lilium という歌詞に合せてイントロを謳ってみると……「おっ、すげえかっこいいじゃん、別の曲みたいだ〜」
というわけで、勝手にラテン語の歌詞をつけてみた。

なんで、リコーダーを吹くために作詞してんの?ワタシ。こんなことして意味あるのかないのかわからないが、自分のアタマに合わせた練習方法を開発しないと無駄な時間ばかりかかって最後はイヤになる……というのを、60歳になればわかる。

次回までに、この曲のニュアンスくらいは把握したいものだ。


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