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「ひきこもり」ではなく「たてこもり」なのだ。


ランディ
 あいかわらず餓死すれすれでいきている。
 ゴミ箱をみたら、ずいぶん前に捨てたしょうゆの瓶とか缶詰などがあって、それをあさったり、水でといたりして、ご飯と食べている。誰かがもってきてくれたおかしこんぶは水でゆがいて、それをこまかく切って、しょうゆで少したいてご飯のおともにしている。
 缶詰もらったのを少しづつたべているって感じかなあ。
 しかし100円均一で誰かがかってきてくれた、10センチぐらいのしょうゆが貴重な塩分です。
 去年、とにかくお金がなくて、家にあるものをとにかく食べていたので、本当になにもない。
 これはすごいなあと思うくらいきれいさっぱりなにもない。
 この塩とかしょうゆとか砂糖がなにもないという状態は本当にすごいなあなんて自分で感心してしまう。


……十数年前に「たてこもり」の友人からもらったメール。

この友人はある日メールをくれて「いま自分は鴨居に紐をかけて死のうとして死ねなかった。ふと、自分はおかしいのかもしれない、心の病気なのかもしれない。ランディはこういうことに詳しいと思いだし、メールを書いています」とあった。
「それは、うつ病かもしれないから●●病院に奥さんと一緒に行って受診してください」と返事を書いた。友人は受診し、うつ病の診断が出て入院。
入院中も入院していることは隠してSNSに書き込みを続けた。たいへん高学歴で有能なビジネスマンとして活躍していた人だったが、がんを患ったことをきっかけに、倦怠感、やる気が出ない……という、この人の人生にはこれまでに経験しなかった事態に遭遇。会社に行くことができなくなり、それも周りに隠して社会的な体裁を保ってきたが、死にたい願望が強くなり、私に連絡をくれた。

彼は、自分の病気を理解しようとしなかった。優秀な人だから冷静に考えれば「休みが必要」とわかるはずだが、働けない自分を受け入れなかった。退院してからすぐに就職活動をして新しい会社に就職。だが、1週間もたず欠勤。そのまま、仕事のため都心に借りていたマンションに「たてこもり」状態となり、異変に気づいた家族によって、家に連れ戻される。

その後、アルコール依存になり家族に暴力をふるい、彼一人置いて家族は家を出てしまう。一人になった彼は「たてこもり」を続けた。彼の家は裕福で資産もあったが、彼は正常な判断ができる状態でなくなっており、資産を運用すらできない。そしてお金に困窮するとメールをくれた。

彼とのメールのやりとりは十年間続いた。その間に「会おう」と言っても「太った自分を見られたくない」「家を出ることができない」と、断わられ続けた。ご家族と会って彼の病状を説明したが、家族の理解を得ることも困難だった。あまりの豹変ぶりに家族が脅えていたし、アル中になっていて飲んだ時の暴力沙汰を忘れてしまう。そのことが家族を混乱させ傷つけてもいた。

メールでは、やんわりとあまり深堀はせずに、いつも同じ調子を心がけていた。どんな窮状をきかされても、そこに同情せず、心配もしすぎず、必要ならお金ではなく物資を送った。できないことは断わった。彼がどういう状況であれ私は彼にとてもよくしてもらい、家族ぐるみでつきあってきた間柄なのでその時の彼として接するように心がけていた。同時に、元の彼には戻れない(なぜなら、彼はがんばり過ぎて病気になったのだから)ことを心にとめて、今の彼の状況を受け入れるようにした。

でも、彼は、元の有能な自分に戻れると思っており(有能でなくなったわけではないのだが、昔のような働き方ができないということを認めなかった)、何度も就職をしようとして、挫折した。

病状は良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、彼はだんだんと身体を悪くしていった。心よりも身体のほうがバテてきていた。あちこちが病気になり、その治療のために入院すると、少し状況が良くなる。だが、退院するとまた以前のようにバリバリと都会で働くつもりになり、そういう自分の夢と現実のギャップに自分が疲れていった。

彼にはいろんなものを送った。レトルトのお料理、お米、コーヒー、ホッカイロ(冬に電気が止められたので)。彼が「食べるものがない」と言ってきたときはネットで注文して食料を送った。体調がよくなってくると、彼からとても高価な食品や健康ドリンクなどが送られてきた。もともと面倒見がよい人なので、私の役に立ちたいという気持ちが強く、仕事の面で企画の提案をしてくれたり、自分の知り合いを紹介しょうとしたり……。

こういう落差があるので、彼の具合の悪さは詐病のように思われてしまうとのだと思う。

お金も、なくはないのだが、資産をお金に変えることや銀行から引き出すということが出来なくなってしまう。そういう彼の独自の混乱を周りは理解できない。だからお金があっても人は餓死するのだ。

彼が、街の図書館や近くのコンビニで買い物ができるようになり、都会にも足を伸ばせるくらいになったときに「精神科に定期的に通院してみては?」と提案したが、却下。その後、しばらくしてから著しく精神状態が不安定になった。外に出る→不安定→体調悪化→入院→外に出る、という繰り返しだった。

彼も年をとってきて、この不健康な生活が身体にかなりダメージを与えており、このままでは餓死するかもという危惧をもったので、彼が生活する市の福祉課に連絡したが、ここでまず「この人はどんな障害をもっているのか?」と聞かれる。「うつ病で通院歴があり、いまも精神的に不安定だ」と伝えると、「障害は?」と聞かれた。障害……と言われてもと思う。「身体的にもかなり衰弱していて危険な状況だと思います。私は家が遠くて行けないのですが、できる限り早く訪問して保護してほしい」と言うと「あなたはどこの誰でどういう関係の人ですか? 家族ですか?」と聞かれた。そして「家族が立ち合いでなければ家には入れないんです」「でも、あのままでは本当に死んでしまうかもしれないから、訪問してもらえないでしょうか?」

何度か電話をして、福祉課の職員の方が訪問したが、玄関で声をかけてチャイムを鳴らしても誰も出てこないので非常食のカンバンをドアノブにかけて帰って来たと言う。その後に彼から「福祉課の職員に連絡するなんて、なんでそんなひどいことをするんだ!」という怒りのメールが来た。「福祉課の世話にだけは死んでもなりたくない」という。

その後もメールのやりとりが続き、一度だけ福祉課の職員と家の外で会ってもらった。接触できたと聞いて、ほっとしたが、その後になんの進展もなかった。接触したことはいい結果を生まなかった。福祉課の人は「わりと元気そうだ」と認識した。彼は全身全霊で「普通の人」を演じきったのだなと思った。

「あれは演技です、ほんとうにプライドが高い人なんです、だから訪問を続けてください」と頼んだ。しかし、動けて、話もできる50代の成人男性、しかも家も資産も持っている人間の窮状を、福祉課の人は理解してくれなかった。私が福祉課に連絡をしたことを彼はとても怒っていたが、事態は急を要すると思ったので県の福祉課に連絡をして助けを求めた。その他にも近隣の福祉サービスなど、動いてくれそうな人、民生委員、いろいろ連絡をして訪問してくれるように頼んだ。だけど、彼はたてこもり続け、誰の呼びかけにも答えなかった。彼の父母は亡くなっており、説得できる家族はいなかった。

私は彼からの「怒りのメール攻撃」に若干めげていた。自分のとった行動は間違いだったんだろうかと思った。しかし……兄のこともあるし、このままではほんとうに衰弱して死んでしまうような気がした。世の中には頭で考えすぎて、頭の中で自分を対立させて、自分で自分を攻撃して、自爆して死ぬタイプの人がたくさんいる。元気そうに見えても神経戦で消耗している。どうしたら入院させ保護できるだろうかと考えたが、どこに連絡しても「親族の許可が必要」と言われた。奥さんに連絡したが「もうあの人と関わりたくない」と言われ、電話は切られた。

アルコール依存症の父親をもっているから、奥さんの気持ちもわかった。子どもたちの連絡先はわからなかった。子どもに連絡すべきだったと今になって思う。

福祉課が定期訪問してくれると言うので、私は少しほっとしていた。その頃にメールが途切れたので「最近メールが来ないのですが大丈夫でしょうか?訪問してくれていますか?」と福祉課にメールしていた。そして、気になりながらも福島に出張に出かけた。新幹線の郡山駅に着いた時に携帯が鳴った。以前に相談していた県の福祉課の担当者からだった。

電話に出ると「お力になれなくて本当に申し訳ありませんでした」と言われた。彼が部屋で衰弱死して見つかったという電話だった。

彼はネットではずっと「以前の自分」を演じていたので、多くの友人たちは彼が困難な状況にあることを知らなかったし「絶対に人には言わないでくれ」と口止めもされていたから、人には伝えなかった。でも、事態が悪化してきたころに彼の家の近所に住んでいる友人に連絡をして「実はこういう状態なのだ、だから家に訪ねてみてはどうか」と言うと、その友人は酒を持って彼の家を訪ねて一緒に飲んで話をしてくれた。そのことに関して彼は「ちくった」と怒っていたが、「ひさしぶりに人と酒を飲んでしゃべって楽しかった」とうれしそうだった。

その友人も「わりと元気そうだった」と言った。わりと元気そうに見えるんだよ、でも元気じゃない。だが、その「身体も心もへとへとなんだよ」ということが、どうしてもみんなに伝わらない。兄の時もそうだった。兄の具合の悪さを周囲がまったく理解できなくて、怠け者とか、偏屈とか、やる気がない、嘘つきというように言っていた(私もそう思っていた)。

福祉関係の友人と会った時に「……やっぱり何もできなかった。どうすればよかったんだろうか……」と言うと、彼は「そうなったら警察を呼んで部屋に入り入院させるしかない。それでも命は救える」と答えた。私には、その勇気はないなあと思った。

いろいろな人に会ってきた。社会復帰が出来た人もたくさんいる。でも、どうにもならかった人もいた。家族の誰かが来てくれたら、福祉課の人が家に入れたのかもしれない。しかし、家族や他の人の前では、精いっぱいの去勢を張ってしまう彼の苦しさが見えていないと、やはり「これなら大丈夫だ」と思ってしまうかもしれない。

彼は、とてもこだわりの強い人なので話をしていると疲れる。こちらを拒絶していくるこだわりの強い相手に向き合うのは誰しもしんどい。無意識にだが会うことを避けたくなる。なにかをさせよう、どうにかしようと思ったら、こちらが疲れる。困った、と彼が言って来た時だけ対応をしてきたから十年の交流が続いたのかもしれない。

やはり、福祉課に連絡して、事態をこちらが動かそうとしたことが間違いだったのか。だが、命の危機を感じた場合はどうしたらいいのか。自分が行けば良かったのか。わからない。

私は彼の送ってくるメールが好きだった。窮状を訴えているのだが、なんだかユーモラスなのだ。このリアリティがもつ不思議な魅力。吾妻ひでおの「失踪日記」に通じる面白さで、いつも「メールが面白い、呼んでいて楽しい」と返事を書くと、文章を書くのが得意な彼は、さらに長いメールを送ってくれた。

もちろん心配もしていたが、心配されることが嫌いだろうとわかっていたので、どんなに「大変だ」と言われても、心配するようなことは言わなかった。「そんな凄いことが起きているんですね、びっくりしました」と、いつもびっくりしていた。びっくりする、というスタンスしかとれなかった。びっくりしました、と言いながら差し入れを送っていた。

差し入れが届くととても喜んでくれた。コーヒーが飲みたいというので、インスタントコーヒーの中でも高級なものを選んで送ってあげたら「こんなうまいコーヒーを飲んだのは初めてだ」と返事が来た。彼はコーヒー通だったから、おいしいコーヒーなんていくらでも飲んだことがあるのだろうけれど、インスタントの中では最高のを送るという、そういう私の遊び心を理解してくれたんだなと思った。

私は「ひきこもり」という言葉が、あまり好きではない。彼を見ていると「ひきこもる」と言うよりも「たてこもる」のほうがびったりくる。たてこもって、なにかと闘っている感じだ。兄もそうだった。周りは敵なのだ。特に福祉課は敵なのだ。彼を支援しようとする人は、彼の敵みたいだった。だから私は「敵にちくった」裏切り者になったのだと思う。彼は味方が欲しかったし、私のことは味方だと思ってくれていたんだなと思う。

たてこもっている彼に物資を送っていた十年間。だけど、十年という歳月はいやおうもなく彼の健康を少しずつ害し、家族を遠ざけ、孤立無援になっていった。福祉課が敵でなくなるにはどうしたらいいのかな、そこを考えていかなければなあと思う。どうしたら味方になれるんだろう。福祉行政側は、自分たちが「たてこもっている人の敵」なんて思ったこともないだろうけれど、一度はそういう視点に立ってみるのもいいんじゃないかなと思う。



※アルコール依存症に関してはこちらの記事をご参照ください。

https://note.mu/randyt/n/n823619dca9fb

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作家・2000年に長編小説「コンセント」で小説家デビュー。「アンテナ」「モザイク」「ゾーンにて」「パピヨン」など著書多数。最新刊は「逆さに吊るされた男」(河出書房新社)地下鉄サリン事件の実行犯との1交流を元に執筆した私小説。noteマガジン「ヌー!」を発行中。(月額500円)