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東北のブッダ

2011年、震災の年に「もし被災地にブッダがいたら何を思うだろう」と、書き始めた原稿があった。ファイルを整理したらその原稿が出てきた。こんなことを考えていたんだな……と思った。当時、これを発表するのが怖かった。じぶんが発するどういう言葉も、なんだか嘘に思えた。

読み返してみて、いまなら誰かに読んでもらいたいなと思えたので、ここに掲載してみます。(長文です)



 ブッダのお名前はゴータマ・シッダールタといいます。
 紀元前五〇〇年~六〇〇年紀頃にインドに生まれました。その頃、日本はまだ縄文時代の晩期でした。
 ブッダに関してはさまざまな伝記が残されていますが、それが事実であるかどうかの検証はたいへん難しいと言われています。西洋には「ブッダは存在しなかった」という学者もいるくらいなのです。
 仏伝(ブッダの伝記)によりますと、ブッダはシャカ国の王子として生まれます。裕福な、なに不自由のない生活を送っていたブッダが出家したのは二十九歳の時でした。そのきっかけはお城の門の外に、老いた人、病んだ人、死んだ人を見てしまったためだと言われています。どんな人間も老いて、病んで、死んでいく。人はいったいなんのために生きるのか。彼は一日で人間の生の無情を見せられがく然とするのですが、最後に出家僧の姿を見るのです。そして、そのなにものにも縛られない淙々とした清らかな姿に憧れて出家をするのです。
 そういうことは、現代の若者にもあります。会社勤めをしていたけれど、自分がほんとうにしたいことは違うと思え、仕事を辞めて旅をしている青年たちと、世界のあちこちで出会いました。また、大きな災害が起こった時にボランティアとして参加し、それがきっかけで仕事を変えてしまう若者たちもいました。でも、人間にとって何が幸福か、を突き詰めて考えている若者は全体から見たら多数派ではないでしょうね。
 ブッダが生きていた時代のインドには、たくさんの小さな国がひしめきあっていました。戦争の多い時代で人々の暮らしは決して楽ではありませんでした。その当時のインドはバラモンの教えをもとに社会が構成されておりました。現代のインドの人々はヒンズー教を信仰していますが、バラモン教とヒンズー教はひと続きの宗教です。ただ、バラモン教では祭官による祭儀が中心であるのに対して、時代を経たヒンズー教は民衆による信仰で成り立っていると言えます。もう一つ共通するのはカーストという厳しい階級制度です。カーストはいまもインド社会に存在しています。この制度では生まれながらにして人間の地位が決まっており、奴隷に生まれた者は死ぬまで奴隷なのです。
 ブッタは王族の王子ですから、司祭であるバラモンの下のクシャトリアという地位のなかでも、最高位に生まれました。ブッダの時代からインドでは哲学がとても盛んで、若者たちは自由な議論を交わしていました。人間の幸福や、苦悩、生きる意味について、たぶん現代日本の若者よりもずっと真剣に、熱く語り合っていたと思います。同時に、生き方を追求することはステイタスでもありました。ですからブッダが特別な青年というよりは、人間存在を深く追求しようとした青年、いわば当時の哲学青年だったように思います。
 インドには紀元前一二〇〇年頃に発祥した「ヴェーダ」という宗教的な教えがあります。「ヴェーダ」というのは古代インドの宗教であるバラモン教の「宗教テキスト」のようなものです。宗教儀式の理論について詳しく書かれております。それは私たちが考えるような、いわゆる儀式のノウハウではなく「世界を理解する」プロセスとして展開されています。宗教儀式の理論は、当時のインドの人々が世界をどのように認識していたかの表現となっているのです。
 インドの世界観は自然を神に見立てるところなど、古代日本とも共通するところもあるのですが、飛び抜けていたのは抽象的思考能力と宇宙に対する洞察です。その意味で、インドは特別な国でした。際立っていたのは言葉でした。言語が発達しており、言葉によって創造されたヴェーダの神話世界は創造の世界であるにも関わらず、整然として破綻なく完璧でした。
 この「言葉の世界」というものを考えるのはとても難しいです。私は日本語という言葉の世界に生きています。日本語は「五〇音」で成り立ち、この音の組み合わせで森羅万象のすべてを表現します。また、音のそれぞれに意味が付与されており、音そのものに「言霊」という力が宿っていると考えられていました。それゆえ、言葉そのものが神のように扱われてきました。ですから言葉を使った呪術も盛んでした。
 インドの言語世界はもっときっちりしていて、緻密な感じです。言葉に対する感性が違うと言うべきなのかもしれません。
 インドの人々は、ヴェーダの時代から人間には「意識されることがないけれど絶対に変わることのない自己」がある。そして、その自己があるから宇宙があるのだ。自分がないのに、宇宙があっても意味がない……と考えたわけです。これはすごいことではないでしょうか。満天の星をたたえた大宇宙も私という存在をもってして存在する意味があるのだ、とインド人は考えていたのです。 ちなみに、ノーベル賞をもらった理論物理学者のエルヴィン・シュレディンガーは量子論のヒントをインド哲学から得ています。十八世紀に西洋に発見されたインド哲学は、西洋の知識人にとって「知的なおしゃれ」だったのかもしれません。それに、「自己の存在なくして宇宙は存在しない」という世界観は「私が見ていないときに世界は存在しない」という量子理論の世界と通じるところがあったのかもしれません。それほど、高い抽象度を有していたということです。
 でも、この完璧なまでの整合性をもつバラモンの教えを、くるんと反転させてしまったのが、ブッダでした。

 古代インドの「ヴェーダ」の教えのなかに「ブラフマン」と「アートマン」という考えがあります。
 昔むかし、インドの人たちに意識というものが芽生えてきたときに、彼らがまず考えたのは「ここはどこだろう?」ということでした。
「ここはどこ?」
 そんなことは現代人の私たちは考えなくなってしまいました。なぜなら、この根源的な問いに対する答えはもう用意されてしまっているからです。ここはどこかは親たちが教えてくれます。ここは日本だよ。日本は地球にあって、地球は銀河系にあって、銀河系の外にも宇宙は広がっている。
 でも、たぶん、十ヶ月を母親の子宮で過ごした後に生まれ出されてきた私たちがようやくぼんやりとした目であたりを見回し、そして感じるのは不安だと思います。その不安こそ「ここはどこ?」の名残ではないでしょうか。だから、赤ちゃんは泣くのです。すると慌ててお母さんがやって来る。その関係性のなかで「ここ」が認識されていくのだと思います。
 でも、そのようにして親との関係のなかで作られ、社会から教えられる「ここ」だけが「ここ」なのでしょうか?
 あまりにあたりまえのこととして、私たちは「ここがどこか?」と問うことをやめてしまいます。でも、ほんとうは「ここはどこか?」知っていると思い込んでいるだけではないでしょうか。
「ここはどこ?」
 突き詰めて考えていくと、私はこの問いへの答えをもっていません。ここがどこであるのか、私は言葉で説明できません。ここは私の部屋です。私の部屋は神奈川県にあります。でも、神奈川県というのは場所を示す記号化された言葉です。ですから、実は何も示していないのです。「ここがどこか?」という問いへの答えは、広大無辺な宇宙の時空間すらも含み込んだ高度な抽象思考によってもなかなか得ることができない究極の問いです。
 
 インドの人たちは、ここがどこかを知るためにまずこの世界の始まりについて考えました。
「ブラフマン」とは世界の始まりを意味する言葉を意味します。
 世界の始まりは音でした。聖なる一つの音。
 この世界は一つの音から始まったのです。一つの音が分岐して、いくつもの音になり、そして世界が生まれました。インドの壮大な世界観のおおもととなる原初の杯はたった一つの聖なる音であり、その音が分岐して言葉となり、その言葉がさらに展開して巨大なタペストリーのように編み込まれた「輪廻」という物語世界を創造したのです。

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