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依存症ビジネスにご用心

行動嗜癖とは、「物質の摂取を伴わずとも、強い心理的欲求を短期的に満たし、その一方で長期的には深刻なダメージを引き起こす行動に抵抗できない」状態を表す概念である。

簡単にいえば、害を伴う行動への依存状態が行動嗜癖だ。

その代表例としてスマホ依存症を以前に取り上げた。

人びとの欲求(他人の価値)を満たすとき、そこにビジネスが生まれる。

欲求(価値)は、そこにすでにある場合もあれば、ない場合もある。

ない場合はどうすればビジネスチャンスをつくれるか?

簡単だ。欲求そのものを作り出せばいい。

これこそが、資本主義が消費社会を生み出した世紀の大発見であった(この点は見田宗介『現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来』を参照されたい)。

したがって、行動嗜癖もまたビジネスチャンスなのである。

行動嗜癖を利用したビジネスは、「依存症ビジネス」と呼ばれる。

『僕らはそれに抵抗できない-「依存症ビジネス」のつくられかた』の著者であるアダム・オルターによれば、「依存症ビジネス」は人を操るために行動嗜癖の6つの要素を利用する。

❶ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標があること(目標)
❷抵抗しづらく、また予測できないランダムな頻度で、報われる感覚(正のフィードバック)
❸段階的に進歩・向上して行く感覚があること(進歩の実感)
❹徐々に難易度を増していくタスクがあること(難易度のエスカレート)
❺解消したいが解消されていない緊張感があること(クリフハンガー)
❻強い社会的な結びつきがあること(社会的相互作用)

現代の行動嗜癖は多種多様だが、6つの要素のうち必ず1つは備ているというのだ。

以下、これまでの人生において、ぼく自身が体験した依存症(行動嗜癖)の一部をもとに、「依存症ビジネス」の恐怖の実態とそこからの脱出のヒントをご紹介したい。

仕事依存症

仕事依存症(ワーカホリック)は、人口に膾炙している依存症の一つだ。

ワーカホリックの一つの症状に、メールをチェックせずにはいられない病がある。

仕事用メールの7割は受信から6秒以内に読まれている。そんなデータもある。

なぜ、メールをチェックせずにはいられないのか?

人に行動を促したい場合、太刀打ちできそうもない大きな目標ではなく、具体的でチャレンジしやすい小さな目標を与えるほうが有効的である。

ゴールが見えているほうが前に進みやすいし、進歩している実感に励まされる。目標には行動力を促す力があるのだ。

目標を持つことそのものは、否定されるようなことではない。

ところが、常に目標に追われるようになれば事情は変わってくる。

アダム・オルターは、目標が完璧主義をつくることを問題視している。

目標を1つ達成して終わりではなく、完了するごとに次の目標を設定せずにいられない性質を「完璧主義(perfectionism)」と言う。

仕事依存症では、ぼくたちが「目標」を追求するのではなく、ぼくたちが「目標」に追われるようにコントロールされるのだ。

それは強迫観念と言い換えてもいい。強迫観念とそれに基づく行為は、メリットをもたらさないにもかかわらず、それをしなければ済まないように仕組まれている。

オルターは、その仕組みを次のとおりに説明する。

依存症や嗜癖と、脅迫観念、脅迫行為には、1つ大きな違いがある。依存症は、それを行えば即座によい思いをする(報酬がある)という期待、つまり「正の強化」〔何かをすることで好ましい結果が起きる〕を伴う。それとは対照的に、強迫観念と強迫行為は、それをしないでいることに対して強い不快感が生じている。不快感を取り除くことで安心する-これを「負の強化」と言う-

メールが来たらすぐに読み、なる早で返信し、受信ボックスを空にしておかなければ、気持ちが悪いと感じているなら、それは立派なメールをチェックせずにはいられない病だ。

多くの会社では、メールをチェックせずにはいられない病になるような実践をしている人こそが、「仕事ができるやつ」という評価を得ている実態がある。この高評価がさらにメールをチェックせずにはいられない病を悪化させるのだ。

これで誰が一番得をするかというと、もちろん会社である。優秀な社員による迅速なメール対応は、会社の社会的評価を高めることや社内の迅速なタスク処理につながり、会社のメリットとなる。

むろん労働者本人にまったくメリットがないわけではない。社内外を問わず評価が高まれば、昇進・昇格へとつながる可能性も高まる。

だから、ワーカホリックな労働者は、常に処理すべきタスクを探し求め、常に昇進が頭から離れない状態に置かれる。

こんなふうにどこまでも上を見ずにいられないのは-超富裕層であっても-「自分の仕事と真の一体感を感じていないから」だ…(中略)…仕事に心底から打ちこんでいるときは、お金という数字を追いかけなくてもやっていける。だが仕事で充実感を得られないなら、生活がかかっている仕事への意欲を維持するために、目の前に目標をぶらさげておく必要があるのだ。

非常に残念なことに、目標に追われ続けるワーカホリックには、それまでの道のりが報われる未来は訪れない。

ワーカホリックになると、「なんで俺はここまでやっているのに、あいつはやらないんだ」と、他罰的な気持ちも芽生えてくる。

ワーカホリックに陥っていると感じているなら、あるいは自らの労働インセンティブを処遇という外的要因に偏重して求めているのなら、少し立ち止まって、自律的な働き方や自分自身を生きるということを考えてみるのもいいかもしれない。

ぼくはといえば、充実感が枯渇し出したり、他罰的な気持ちが芽生えてきたときには、ワーカホリックのサインだと認識し、ペースダウンするようにしている。

ギャンブル依存症

2021年8月に行われた横浜市長選挙では、IR(統合型リゾート施設)誘致が選挙戦の一つの争点となった(結果は、菅政権のコロナ対策への不評も相まってIR誘致反対の候補が圧勝した)。

IR誘致によるカジノ構想については、かねてより精神科医を始め多くの知識人によって、ギャンブル依存症患者が増えることへの危機感が表明されていた。

ギャンブルは、なぜ人をのめり込ませるのだろうか?

人は、自らの行動が確実な報酬をもたらすよりも、不確実な報酬をもたらすことを好む。

つまり、手応えは頻度が低いほうが価値があるのだ。

ギャンブルが魅力的なのは、そこに不確実性(ランダム性)があるからだ。

最初から10回目に必ず当たりが来るとわかっていれば、人はそのゲームにはまらない。当たりは10回目かもしれないし、20回目かもしれないし、1回目かもしれない。だから、ドキドキワクワクし、高確率に当たる場合は有能感を覚える。自分の実力に関係ないにもかかわらずである。

ぼくは、パチスロにハマっていたことがある。そのときは、次にように考えていた。「昨日は1番の台が大当たりだったが、今日は隣の2番の台が大当たりなはずだ。よし、俺の読みは当たった!」「昨日はボロ負けだったが、今日店1番の大当たりを出しているのは俺だ!ドヤ!」

ギャンブルは必ず胴元が儲かるとわかっていても、やり始めるとなかなかそこから抜け出せない。借金を重ね、家族が耐えられず、精神科医に相談し、入院させて欲しいと懇願する。しかし、本人は「俺は病気なんかじゃねえ。今日こそは大当たりするんだ。大当たりしたら、借金もチャラだ」なんて考えているもんだ。

幸いなことに、ぼくはそこまでにはいかなかった。

でも、あと千円だけ、あと1万円だけの繰り返しで、給料日までの銀行残高が1,000円もないことはしょっちゅう。負けた日には、「こんなに当たりを低設定するケチなところに2度と来るか!」と立腹したり、「もう2度とギャンブルはやりません」と悲観的に何かに誓いを立てたりする。しかし、友人から「あそこの店で昨日20万勝ったんだよ」とご飯を奢ってもらった翌日には、「そうだ昨日はついていなかっただけだ。当たりは出るんだ。今日は、昨日とは違う。昨日の負けを取り返せる」と根拠のないスーパーポジティブぶりを発揮していたことを思い出す。

その経験から思うことは、まずはギャンブルを始めないことが重要だ。

すでにギャンブルに触れたことがあれば、ギャンブルに足を運ばない環境をいかに作るかが大事となる。

ギャンブルから離れて10年近くなるが、いまでも何かのきっかけでパチスロに足を運んだら、ハマってしまうだろうと思う。

ゲーム依存症

ゲーム依存症には、進歩の実感が利用されている。

人びとが没入するゲームにするためには、初心者とマニアの両方に何かを提供できるものでなくてはならない。初心者のためだけにデザインされたゲームでは、すぐに飽きられてしまう。逆に、マニアのためだけにデザインされたゲームでは、初心者が入ってくることは難しい。

ぼくは昨年、それまで3年ほど続けていたゲームを止めた。大晦日の日に、来年はスマホゲームをしないと誓いを立てた。誓いを立てるだけでは、ゲームを止めることはできないから、データを消去した。その瞬間に思った。「この3年間、どれだけの時間をムダにしたのだろうか?」「俺は一体、何を進歩させたというのだろう?」「俺は幸せだったのか?」、と。なんだか尾崎豊の「シェリー」を歌い叫びたくなる。

それ以来、スマホゲームはやっていない。今のところはだけど。

依存症ビジネスから抜け出すヒント

アダム・オルターによれば、行動嗜癖に溺れている患者は、次の3つのニーズのいずれかが満たされていないことが多いという。

❶自分の人生を自分の意志で進めたい(自律性)
❷家族や友人と確かな絆を形成したい(関係性)
❸周囲に影響力をもっていると感じたい(有能性)

この3つの根幹的ニーズに関わる場合に、人は自主的に行動を起こしやすいと考えるのが、「自己決定理論」と呼ばれる動機付け研究だ。

大事なのは、「自分はそれによって幸せになっているのか?」「自分の能力を発揮できているのか?」「人間関係を損なっていないのか?」という問いであり、それを解消する能力が自分にはあると感じ、「変えたい」という動機を持つことである。

依存症の最良の予防策は、よい習慣と健全な行動を促す環境をデザインすることである。

オルターは指摘する。

自己決定理論を踏まえると、ある行動を続けさせたい場合でも、やめさせたい場合でも、それにふさわしい環境をデザインすることがいかに重要であるかよくわかる。金銭的なインセンティブにせよ、物理的な障壁にせよ、環境はさまざまな形で人の動機を左右する。その点を理解しているかどうかが運命を分けるのだ。巧みにデザインされた環境は、よい習慣と健全な行動を促す。不適切な環境は人を過剰な行動に走らせ、それが極端になると、行動嗜癖を発症させるのである。

「依存症の前で自分は無力な人間だ」なんて思ってはいけない。

かつての自分と、これからも何かにハマるかもしれない自分自身に言い聞かせている。

この記事の参考文献


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