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ファイナンシャル・ライフマネジメントの手段としてのFIREと資産運用

はじめに 

 本記事では近年話題のFIREと資産運用を軸に「ファイナンシャル・ライフマネジメント」という概念をどのように次世代金融にビルドインするか、という論点で頭の中のメモを備忘替わりに書き残します。体系立てて整理する前の思考メモとなるため、根拠となるデータ・文献が存在しない場合や仮説・直感が含まれるため誤った内容もあるかもしれませんので予めご了承ください。

1. FIREブームに思うこと

 ここ数年、FIRE(Financial Independence, Retire Early)が注目され、日経等のメディアやマネー誌、YouTube等の動画メディアで取り上げられています。以前から経済的に自立し早期に退職し自由に過ごすことを目指す動きはありましたが「FIRE」という分かりやすい用語が普及した結果、一気に広がりを見せました。 

 金融業界に関わる者としてはFIREが「人生とお金」について考えるきっかけになり「過去を振り返り・未来を想う」最初の一歩になればと思います。一般にFIREは十分な資産を貯蓄し(年収の25年分程度)、安定的に運用しながら生活に必要な資金を捻出し労働に縛られず自由に生活するスタイル、というように語られます。 

 FIREは「Financial Independence」と「Retire Early」の2つに分解できます。まずFinancial Independenceですがこれは経済的な自立(独立)を意味し、通常は脱社畜の文脈で会社に縛られない状態を指すことが多いです。次にRetire EarlyですがこれはFinancial Independenceの結果としての早期退職です。FIREはFinancial Independenceが絶対条件であり、Retire Earlyはオプション扱いです。前段のFinancial Independenceの手段として資産運用がセットで語られており、多くの方は計画的な資産運用なしではFIREの実現は困難です。 

 FIRE的な活動を示す言葉ですが個人的にはFIRO(Financial Independence, Retirement Options)くらいの方がしっくりきます。経済的な自立を達成しても仕事を辞める必要はなく、辞めたいと感じたとき・別に夢中になるものがあるときに辞めることが出来る権利の位置付けです。このオプション(選択肢)が非常に重要であり、行使しても・しなくてもいい状態を手に入れることが精神的な安定にも繋がります。

 私は冒頭で「ファイナンシャル・ライフマネジメント」という概念を用いましたが、この用語は現時点において定義が定まったものではありません。「ライフマネジメント」という単語は以下のように説明できます。

  •  ライフマネジメント
    人生の理念・目的をベースに、何をいつ達成するかという具体的な目標とそれを実現するために人生計画(ライフプラン)の作成。実践のための定期的な見直しを含めた自己管理。 

 上記にファイナンシャルというエッセンスを追加することで経済的側面に重点を置いたライフマネジメントを意図しています。個人がそれぞれの理想とする人生を歩むために必要なキーファクターとしていくつかの要素が挙げられます。例えば「お金・時間・健康・人間関係」などです。ファイナンシャル・ライフマネジメントはこれらのキーファクターの中から経済的観点を重視し、“人生の目標を達成するための手段としてのお金”に着目します。作成したライフプランを絵に描いた餅としないためにはそれぞれの計画に応じた資金が必要となります。先程の時間・健康・人間関係はお金では買うことが出来ない代表例ですが、世の中の多くはお金で解決できることも事実です。よってファイナンシャル・ライフマネジメントという観点を持ち、手段としてのお金に振り回されることなく、各々の人生の目標の実現を目指します。 

 私は金融事業家として、このファイナンシャル・ライフマネジメントという概念を推進することがミッションの1つだと考えております。日本では学校教育においてライフプランニングや金融教育に関して殆ど手が付けられていないため、大学を卒業し社会人となった多くの方は人生設計とそれを実現する手段としての金融についてあまりにも無知です。そして目の前の仕事に忙殺され気づいたら30歳・40歳という状況に陥ってしまうことが多々あります。これはとても不幸なことだと思います。結婚・住宅購入など節目となるポイントにおいて人生設計を見直す方は多いかと思いますが、見直すのは主に「計画」の方であり、「手段としてのお金」の手当は疎かになりがちです。金融機関に勧められるままに株や投資信託を購入するのでは目標実現は遠のいてしまいがちです。 

 私は自身の人生でPDCAを回し続け理想と現実のギャップを埋めつつ、手段としてのお金の扱いを考えるきっかけとしてFIREは有益なアイデアではないかと感じております。これまで「人生・お金」について真剣に考える機会がなかった方がFIREをきっかけに見つめ直すことで目標の実現可能性が高まります。私はFIRE自体は「経済的自由を基盤に人生の選択肢を増やす行為」だと捉えています。必ずしも仕事を辞める必要はなく、従来型の身体的・精神的・時間的に支配された働き方からRetireし、ライフプランの目標達成に向けた活動に注力する選択肢を得ることこそがFIREというライフスタイルの裏に隠された願望ではないかと思います。 

 昨今のFIREブームではいかにして資産運用でリタイアの元手を確保するかにフォーカスされていますが、もう少し目的と手段の両立が期待されます。現状、手段である資産運用にばかり注目が集まり金融系メディアを中心に特集が組まれておりますが、人生の目的は各々異なり必要な資産額も異なるため、万人向けにプランというものは存在しません。よってFIREの条件として金融資産が5,000万円という人もいれば、1億円・3億円必要という人もおりそれぞれのライフプランが異なります。異なる前提条件を元に議論をしても進まないのでまずは人生において譲れないことを明確にする必要があります。 

2. FIREに至る背景と資産運用の必然性

 少し前の話となりますが2013年にフランスの経済学者であるトマ・ピケティ氏が「21世紀の資本」というタイトルの書籍を出版し、翌年には世界各国で翻訳版が出版され話題となりました。多くのメディアでも取り上げられたのでご存じの方も多いかと思いますが、要点を整理すると以下となります。

  1.  世界の格差は拡大傾向にある

  2. 資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る

 この結果として導き出された結論が有名な「r>g」の不等式です。株式等の資本から得られる富は労働から得られる富よりも収益率が高いという内容です。世界では上位1%が多くの富を有しており現在形で富の偏在が進んでいること、解消にはグローバル累進課税の強化が必要だが実際には極めて難しい・・・など色々とデータに基づき解説されております。原書はボリュームが多く完読が大変なので時間のない方は日本語版の翻訳者の方の解説資料が分かりやすく良いかと思います。 
ピケティ『21世紀の資本』 訳者解説 (v.1.1)2015.1.23-2.1 山形浩生氏

 資本主義のルールで世界の多くが動いている以上、競争と格差が存在することは必然です。昨今は岸田政権を含め格差を問題視する風潮が強いと感じますが格差自体はどう足掻いてもゼロにすることが出来ません。格差の議論ではあわせて貧困についても論点になりますが、貧困は一般に「相対的貧困と絶対的貧困」が存在します。国や社会全体として絶対的貧困はゼロを目指すべきだと思います。これは憲法の理念にも合致するものです。判断が難しいのは相対的貧困に関してで一概に是正が必須とは言い切れません。相対的貧困は相対的という言葉の通りで、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態を指します。仮に中央値が高い場合、半分に満たない場合でもある程度の生活が可能な場合もあります。 

 岸田政権では“新しい資本主義“という謎のパワーワードを前面に押し出し、格差是正と富の再配分を政権目標に掲げています。岸田政権の経済政策のセンスは皆無だと感じておりますが、令和と昭和の時代錯誤・ギャップがものすごく頭の中が40年前から進んでいないのではないかと危惧しています。1970年代は一億総中流という言葉が生まれましたが、右肩上がりの経済成長という特殊事情が背景にありました。バブル崩壊後、平成を通じて失われた20年・30年と呼ばれる期間を経た結果、グローバル化の加速・AIの進化・雇用の流動化等を通じて中流層と呼ばれる人口が減少し、一部は富裕層に大部分は中流からやや下に分かれる形となりました。政権の分配政策のアカデミックな背景にはピケティが示した、r>gを是正したいという思いがあるのかもしれません。r<gが示す事実としてFIREを目指すのであれば労働収入と並行して資本収入の確保も必要だという点です。

 FIREと資産運用のテーマの2点目は一般に4%ルールと呼ばれる運用手法についてです。これはトリニティスタディと呼ばれる研究結果を参考にしたもので、1998年に発表されたトリニティ大学の教授によって公表された論文がベースになっております。
Retirement Savings: Choosing a Withdrawal Rate That Is Sustainable

 アカデミックによる検証であるため、キャピタルゲイン・インカムゲインにかかる税金、運用報酬、売買手数料、インフレ率の変化等に関して考慮が不十分な点が実際のFIREを設計する際にエラーとして生じるため、参考としながらもカスタマイズが必要となります。日本と米国では金利・インフレ率も異なり一概には言えませんが、スタンダードな試算にトリニティスタディの結果を当てはめることは最初に一歩として具体的な金額を意識するのに有益だと思います。 

 上記からFIREムーブメント加速の背景に分かりやすい運用モデルの存在、という事実が確認できました。当然ながら金利や物価などのファンダメンタルズの変動要素を考慮する必要はありますが“FIREには年間生活費の25倍の資産が必要”という分かりやすいモデルが資産運用のきっかけとなることも事実かと思います。 

 FIREと資産運用のテーマの3点目はロールモデル情報です。一般に特定の事象が多くの人に広がる際にはきっかけがあります。ロールモデルの誕生と事象がキャッチーでわかりやすい言葉に置き換わったときです。以前であれば、セミリタイアとしか表現しようがなかった事象に「FIRE」というキャッチーなキーワードが付与され、同時にFIREの成功モデルと評される方の書籍出版や動画の配信、加えて多くのメディアによる特集によって理論だけではなく一般の方でも実践可能なことが証明され、様々な手法がWeb上で公開され容易に情報が取得できる環境になったことも見逃せません。20年・30年前であれば一部の富裕層や有識者だけが知りえる情報に誰でもアクセス可能となったことは前提条件の大きな変化だと思います。 

 FIREと資産運用のテーマの4点目は投資環境の整備です。2010年代はFintechによって証券業界も大きく変化しました。代表的な例として2021年にナスダックに上場したRobinhoodが挙げられます。株式の売買手数料を無料化することで多くの新規投資家を獲得しました。Robinhoodの功績は大きなものですが、一方で問題もあります。1点目はPFOF(ペイメント・フォー・オーダー・フロー:payment for order flow)による顧客注文情報の提供とHFT業者からのリベートです。2点目はRedditミーム銘柄売買による株式市場の混乱に代表される過度なゲーム性と短期売買の増加・訴訟リスクです。PFOFは米国特有の事象で少し専門的な内容になりますが下記のレポートが分かりやすく参考になります。
ゲームストップ株騒動とペイメント・フォー・オーダーフロー
(NRI:大崎貞和氏)

 手数料無料化の他にもロボアド(日本では昨年末上場したWealthNaviなどが該当します)と呼ばれるお任せ運用サービスの登場も初心者の資産運用のきっかけ・FIREムーブメントに大きく貢献いたしました。他にもNISAやiDeCoのような税制優遇制度が設けられたことも一因と言えます。総じて市場環境の整備によって直近10年程で証券取引を開始するハードルが大きく引き下げられました。

 個人的に日本の投資家にとって最もインパクトが大きな変化は投資信託とETFの費用が大幅に引き下げられたことです。リーマンショック以前では新興国投信は販売手数料3%、信託報酬2%というようなファンドが普通に販売されておりました。2022年現在においては考えられないコスト水準です。2015年頃から大手を中心に手数料引き下げ競争が勃発し、VT・VTI・VOOをベンチマークとするインデックスファンドは凡そ0.1%程度まで信託報酬が下がりました。(三菱FJ国際信託のeMAXIS SlimシリーズやSBIのVシリーズが代表的です)ETFではバンガード社が継続的に経費率の引き下げを実施しております。VTIやVOOなどの米国インデックスでは脅威の0.03%の経費率です。セクターETFでも0.1%となっており長期投資におけるリターン率の増加に大いに貢献が期待できます。このような運用商品の改善によって長期投資の基礎となるインフラが固められたことになります。私は普段は金融庁の仕事をあまり評価しないのですが上記の投信の信託報酬が引き下げられた点についてはNISA(積立含む)の推進と金融庁の指導の結果と感じております。総じて投資家には大きなプラスとして作用いたしました。

 上記の通り社会の変化・市場の変化等の複数に要因が重なり合いFIREの下地が形成されたことになります。

3. ファイナンシャル・ライフマネジメントと次世代金融

 冒頭でファイナンシャル・ライフマネジメントにおいて“人生の目標を達成するための手段としてのお金”に着目し、経済的独立のための手段としてのFIREムーブメントと資産運用について次節で整理しました。 

 昨今のFIREブームで注意すべき点としてFIRE自体の目的化です。経済的独立手段であるFIREを人生の目的にすり替えてしまう現象です。資産残高(損益)として表示される資産評価額に振り回される生活は本末転倒です。資産運用と同時にライフマネジメントについても真剣に考える必要があります。ゴールの見えないマラソンではモチベーションも下がりますし、ペース配分も乱れてしまいます。ここでのゴールは金銭的目標金額の達成ではなく、どのような人生(生活)を過ごしたいかです。 

 FI(Financial Independence)を達成した後は必ずしもRE(Retire Early)でなくても良いのですが、FI後の人生を事前に出来るだけ検討しておく必要があります。金融資産が貯まったので勢いでFIREした人が数年後にまた働き始めるという事例も見られます。会社で働くという決められたルーティンが無い以上、明確なやりたいことが存在しない場合、生活リズムは乱れ社会との関係も希薄となります。 

 FIREにはいくつかのパターンが存在します。大きく分けるとフルFIREとセミFIREです。他にも細かなパターンがありますがどちらかの派生なので割愛します。フルFIREとセミFIREの違いは勤労所得を生活に組込むかどうかです。保有資産額が大きな方はどちらも選択可能で、資産が少額の方はセミFIREを選択することになろうかと思います。 

 ひたすら趣味に没頭したい場合にはフルFIREが良いかもしれませんが、社会的な繋がりや組織貢献を得たいと感じる方は自分の時間も確保しやすいセミFIREが良いかと思います。日本の労働市場はこれまで恐ろしいほど硬直的で流動性が低い市場でしたが、これから10年で大きく変わると思います。きっかけはコロナによる働き方の見直しですが、週5フルタイムでオフィス出社という勤務条件は今後は当たり前ではなくなります。リモートも選択肢の1つであり、週4勤務も選択肢の1つであり、時短も選択肢の1つであり、副業・兼業も選択肢の1つになるかと思います。 

 労働環境の変化という点では少し先の話になるかもしれませんが、東大の柳川教授が「40歳定年制」を提唱しております。

 以前キンドル版を読みましたが衝撃的なタイトルと裏腹に中身は至って正論で多くの示唆が得られました。筆者は技術進歩が短期間でビジネスの前提を覆す現在において20代前半のインプットで60歳過ぎまで働くことは困難であり、どこかのタイミングでリスキリングが必要だと指摘しております。(そのタイミングが40歳ということです)同様の趣旨の発言はサントリー新浪社長の「45歳定年制」の発言でも見受けられます。労働問題は神経質に反応される方もいるのでSNS等では炎上も見られますが、既に終身雇用も年功序列も実質的に破綻している状況を鑑み、政府としてきちんと議論し一定の結論を得て制度設計を見直す必要があるテーマです。少し脱線しましたがFIREとの関係でいうと今後働き方はより多様化し、セミFIREのような人生を選択がしやすい社会に変化していくことが予測されます。 

 続いてこれまで解説した「ファイナンシャル・ライフマネジメント・FIRE・資産運用」を次世代金融の文脈で整理します。過去の記事でも触れましたが、これまでの金融サービスは特定の金融機能(有価証券の売買・送金など)を提供するに留まり、ユーザーが金融取引を望む背景となる課題(Job)に着目しておりませんでした。表面的に表れているユーザーのニーズに応える形でWhatである機能の提供に努めてきました。 

※私の記事の中ではしばしばWhy-How-Whatという表現を用いてビジネスを分析いたしますので、ご存じではない方は下記の動画で分かりやすく解説されているので是非一度視聴してみてください。

 Whatを追求した結果としてサービスの分断が引き起こされております。Whyにフォーカスせず、Whatを注力した結果です。金融サービスを一段高いステージに引き上げるためにはWhyに対するアプローチと過去の自律型金融の記事で解説したAIの活用が鍵となります。

 過去の記事の中で「個人の自由な生き方の選択」の実現を私は自身のビジネスのWhyと定義しました。その手段(How)として自律型金融というアプローチを提唱しました。両社には繋がりがあり、ファイナンシャル・ライフマネジメントの根底にある思想が「個人の自由な生き方の選択」であり、FIREも資産運用もその下位に位置付けられる概念でした。

 今後、金融サービスで重視される要素は表層のWhatである機能ではなく深層のWhyに対するソリューションにシフトします。2010年頃から各業界でSaaS型ビジネス(XaaS:X as a Service)が流行っております。金融業界では今後、包括的な概念としてFaaS(Finance as a Service)を目指すことになると考えます。“サービスとしての金融”の実現を通じてwhyに対するソリューションとなる統合的なサービスの提供によってユーザーの金融取引の背景にある課題(Job)の解消を目指すことになります。


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