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蟻とキリギリス、働いたら負けか?


1. はじめに 

 ネットの世界には「働いたら負け」と言う名言があります。界隈でニートを肯定する文脈や生活保護を示す文脈で用いられます。ここに「「「」という新たなパワーワードが追加される可能性が浮上してきました。 

2. 貯めたら負けの世界

 記事では以下の解説がありました。

 政府が5日に公表した社会保障改革の工程の素案には、金融資産や所得を加味して高齢者らの負担を検討する項目が盛り込まれた。年金などの収入が少なくても、多額の資産を持つ高齢者に一定の負担をしてもらう考え方だ。

日経新聞記事より抜粋

 「金融資産も加味して」という点が反響を呼んでいます。日本の社会保障制度は限界を超えており、見直しは不可避ですが、この方法は到底ベストとは言えません。 

「働いたら負け」という言葉の背景には、働けば罰金として「所得税・住民税・各種社会保険料」の支払いが強制される一方で、ニートとして生活することで月に十数万円がタダで手に入る社会制度の矛盾があります。 

 これに加え今度は「貯めたら負け」という罰則が追加される可能性が浮上してきました。金融資産を含む個人の資産は所得税が差し引かれた後の資産に過ぎません。老後2000万円問題や年金不安もあり、リスクを負いたくなくても資産運用をしなければ安定した生活は困難な時代に突入しています。 

 そのような中で税金が差し引かれた後の給与収入をコツコツと貯蓄し、将来の自衛のために金融資産に投資したら売却益が出ていなくても負担が増えるという話です。

 金融課税は既に二重課税である配当課税や利益が出た場合のキャピタルゲイン課税が存在します。これに加え、利益が発生していないにも関わらず資産額に応じた負担(実質的な課税)と言うのは資本主義の発想ではなく、社会主義の発想となります。 

 これは政府が「蟻ではなくキリギリスのような刹那的な人生を推奨している」と言っても過言ではありません。セーフティネットを期待して過剰に消費し、蓄財することを否定しています。応能負担の原則は聞こえはいいですが、実に差別的な仕組みです。 

 逆に応益負担は否定されがちですが、制度の持続性を考えるとこちらの方が現実的です。応益負担の概念が適用しやすい分野では応益負担を優先し、応益負担の適用が難しい分野では甘んじて応能負担を適用すべきです。 

累進課税と応能負担の原則への批判を表現し、応益負担と権利と義務のバランスの肯定を示す画像

 具体的には応益負担は権利と義務の関係が明確な場合に適しています。住民税や社会保険は応益負担であるべきと考えます。住民税は地方自治体が提供する公共サービスへの対価です。 

 公共サービスは住民税の納税額によって変化せず一律です。誰もが同一のサービスを享受するのであれば納税額も同額であるべきです。権利と義務は裏返しであり、一方のみを要求することは出来ません。 

 社会保険も同様です。健康保険料は所得に応じて負担が重くなりますが、医療機関でのサービスは標準月額報酬によって差が生じることはありません。

 サービスが一律であれば納める保険料も定額で誰もが同率であるべきです。前年の利用実績に応じて保険料に傾斜を付けることが応益負担の原則を調整します。 

 厚生年金に関しては倍率がおかしく、実質的に国民年金の穴埋めに用いられているので負担額に見合っていません。この問題への対処は国民年金と厚生年金を完全に切り離し、厚生年金は個人単位の積立方式に切り替えることです。これで厚生年金も個人ベースの応益負担へと生まれ変わります。 

 一方で所得税は応益負担の適用が難しいです。所得税には対価となるサービスが存在せず、罰金として一方的に徴収される税金だからです。何らかのサービスの対価として位置付けられる税金は応益負担の原則が馴染みやすいですが、所得税のような対価となるサービスが存在しない場合、消去法的に応能負担が採用されます。 

 とはいえ、応能負担であっても累進課税は極力控えるべきです。定率税であっても所得や資産が多い方の負担は少ない方と比較して大きいです。所得税が10%だとしても年収100万と1000万の労働者では納税額に10倍の差が生じます。 

 定率税でも所得が多い方は納付額が大きくなるのに累進制度を適用することで負担が加速します。累進制度は平等の原則に反する差別的な政策で財産権の侵害です。資本主義の歪みを修正するために例外的に適用されていますが、権利と義務の関係から言えばアンバランスです。 

 日本では所得税・相続税・贈与税が応能負担を適用し累進課税を採用しています。本来、所得税は定率税、相続税・贈与税は所得税納付後の個人の資産なので廃止すべきです。所得税を徴収しない国はほぼありませんが、相続・贈与税が存在しない国は多数存在します。 

 一般に人頭税は最悪だと有識者の方は言いますが、逆に人頭税(均等税)が平等・公平という主張も存在します。どうして同一の行政サービスの対価が個々人で異なるのか合理的に説明することは困難です。

 Aさんは無料でBさんは年間100万円の場合、これは差別にならないのか議論の余地はあります。(Aさんは住民税非課税世帯、Bさんは100万円の住民税の支払い) 

 平等の観点からは人頭税>定率税>累進課税の順となります。人頭税は悪と評価される原因は過去の悪しき風習が影響します。専制君主制の時代における人頭税は例外なく、子供も含め1人あたりに多額の税が課せられていました。 

 このような運用方法では「恐怖の税制」と呼ばれても仕方ありません。人頭税(固定税)を現代風に改善するのであれば、まず納税能力がない子供は免除します。年齢は成人年齢を基準に各国の社会制度にあわせ調整します。(ただし高齢者は免除しません) 

 次に人頭税(固定額)の金額水準ですが、これは納税者の負担にならないように出来る限り引き下げます。現在の住民税制度では100人の住民いた場合、10人は負担ゼロで20人は30万円の負担で、50人は100万円の負担で、10人は500万円の負担で、最も稼いだ10人は1000万円の負担、といった不平等がまかり通っています。 

 これを100人一律で●万円に統一するのが人頭税(固定税)です。もちろん反発は想定されますが「働かざる者、食うべからず」が世の中の基本です。例外は子供や学生くらいです。他は例外なく、皆それぞれが提供可能な価値を社会に提供し対価を得て、共同体に一定額を納める必要があります。

3. 最も成功した社会主義の成れの果て

 日本人は日本を資本主義と認識していますが、外国人から見ると日本は資本主義なのか社会主義なのかよく分からない国に映るようです。形式的には日本は間違いなく資本主義であり米国の同盟国であり西側陣営です。 

 しかしながら社会制度を深掘りするとあちこちで矛盾が見つかります。むしろ中国の方が貧富の差を考えると資本主義を体現していると言えます。この日本型社会主義が「働いたら負け・貯めたら負け」を助長しており、国家としての競争力を低下させています。 

 増税が加速する要因は社会保障費用の増大です。端的に言えば、高齢者への社会保障費の増加が問題となっています。この点を解決できれば「働いたら負け・貯めたら負け」となる社会が改善され、再度成長に舵を切ることも可能となります。 

最も成功した社会主義である日本を示した図

 私の政治思想は「リバタリアン」と呼ばれるものに近いです。私の中では「小さな政府・個人の自由の尊重・財産権の尊重」が重視されるポイントであり、これらを満たす思想はリバタリアニズムと総称されます。

 私は過激派ではありませんが、政府(国家)のやることは非効率で腐敗するのでその役割は最小限の方がいいと考えています。出来ることは民間が自由競争でやればいいと考えています。 

 自由に関しては他人の自由を侵害しない限り自身の自由も尊重される、を前提に自身と異なる主義・主張、マイノリティを優遇も差別もしないというような考えです。

 そして徴税は私有財産権の侵害であり、国家による窃盗です。資本主義において財産権は不可侵であるべきですが、日本では容易に様々な手段を用いて侵害されています。 

 日本は個人の自由のみ一定程度で確保されていますが、小さな政府ではありませんし、財産権を侵害しまくりの状態です、大きな政府で財産権が守られない社会とは言い換えると共産・社会主義に近い状態です。 

 よって日本は最も成功した社会主義と言われています。しかしながら今後も日本型社会主義が成功を維持できるかは疑問です。なぜなら日本型社会主義を支えてきたものが崩壊しつつあるからです。 

 少子高齢化による人口動態の変化(生産人口の減少)、社会保障費の増加、年功序列・終身雇用の崩壊、派遣・非正規労働の増加、外国人の増加、経済成長と賃金上昇の停滞、技術革新と産業構造の変化、など要因は様々です。これらのどれもが日本にマイナスに働き、これまでの日本型社会主義の維持を困難にしています。 

 既に崩壊しかかった仕組みを場当たり的な対応で継ぎ接ぎしているのが現状の社会制度です。年金制度は賦課方式である限り、持続困難です。健康保険制度も高齢者のサブスクを抑止しなければ、持続困難です。生活保護も「健康で文化的な最低限度の生活」とはどのようなものかを問い直す必要があります。 

 日本は成功者を妬み、下へ引きずり込む圧力が強く働く社会です。出る杭を叩きまくる社会です。このような環境ではロールモデルとなる成功者はなかなか登場しませんし、GAFAのような世界をリードする企業も育ちません。

 緩やかな衰退途上国である日本でこれまでのような社会制度を維持しようとすれば、どこかに皺寄せが発生します。現状、増税や社会保険料の増税で現役層が犠牲になっています。記事では「高齢者の社会保障負担、金融資産を加味検討 政府改革案」とあります。 

 高齢者への社会保険の負担財源を高齢者に求めること自体には問題はありません。しかしながら金融資産課税の潮流に関しては次第に高齢者の社会保険料負担という枠を超え、拡大する可能性が高いです。 

 広く資産を有する国民全体から課税しよう、という流れになる怖れがあります。これは財産権の侵害に他なりません。そのような暴挙に出る政府は淘汰されるべきですが、日本は維新以降、ドラスティックな体制変更(革命含む)がなく、そのような機運が醸成されにくい国です。 

 フランスなどは革命の国なので、しょっちゅうストが勃発し、主張を通すための対立を厭いません。これも文化の違いでしょう。 

 持続困難な社会制度がこれからどうなるかですが、限界ギリギリまで現行体制が維持される可能性が高いです。資本主義と社会主義の悪いとこ取りのハイブリッド制度がしばらく存続します。その間も少しずつ貧富は拡大します。正確には税金で富裕層の抑えつつ、出る杭を叩き、社会全体としての水準を低所得層を基準に引き下げる動きが加速します。 

 富裕層・中流層の負担が益々増加し、社会全体としては貧困化するでしょう。年収300万が当たり前の時代が既に到来しています。安価な外国人労働力、時間や場所を選ばないリモートワークの普及、AIの発展による自動化の加速などの要因が存在する以上、コモディティ労働の賃金が上がる理由はありません。 

 結果、日本国内における稼げる仕事のパイは益々減少します。AIの発展次第ですが、場合によっては加速度的に中級スキルの労働需要がAIによって消滅する可能性があります。こうなると社会はより一層、上下に分断されます。 

 この辺りまでは日本社会の既定路線ではないかと内心考えています。問題はその後の展開です。社会負担や格差が臨界点に到達した際にどのような展開が訪れるのか読みきれません。穏やかな形としては政権交代による国家方針の転換ですが、これはソフトランディングケースであり、暴動やテロ行為が発生しないとも言い切れません。 

 氷河期世代が70歳前後の高齢者となる20年後あたりは危険かもしれません。現時点において日本は治安がよく、物価も安定していますが将来的にはどうなるか分かりません。投資家は金融資産の分散だけでなく、居住地の分散も意識する必要があります。 

 具体的には二段階FIREです。まず国内FIREを達成し、国内情勢を勘案し海外FIREに移行する準備が必要です。海外FIREは国内FIREよりも資産が必要であり、投資家ビザや永住権が必要なこともありハードルが高いので事前準備が不可欠です。 

 ハードランディングシナリオに備え、投資家は棄国を前提とした海外FIREも視野に入れるべきです。尚、ハードランディングに突入した場合、国内の銀行や証券会社に預けている資産も回収不能になるリスクが存在するため(預金封鎖・財産税)、兆候を感じたら早めに海外金融機関への資金移動か自身が秘密鍵を管理するウォレットへの資産隔離が必要です。 

 日本は不満が暴動という形では表面化しにくい国ですが、国を見限った富裕層の海外流出は確実に増加しています。緩やかな変化ですが、いつか臨界点が訪れ制度が維持できなくなることは明確です。既に富裕層を対象とした出国税が設けられており、含み益に対して課税という措置が課されており、抑止力となっています。 

 尚、一定額の資産を持っている方は出国税を払っても資産を移転し海外に居を構えた方がメリットが大きくなる場面もあるので、出国税は手切れ金と割り切って、別拠点で生活基盤を整えた方が良いというケースもあります。日本が本格的にハードランディングシナリオに突入後は出国のハードルも著しく高まることから時間的余裕を持った行動が必要です。 

 将来、修羅の国と化した日本でどのように生き延びるか?今回の金融課税に関する記事をきっかけに「報われない社会日本」を再認識いたしました。とはいえ、環境に不平不満を言ってもどうにもなりません。与えられた(掴み取った)手札でどう生き抜くか考え抜くしかありません。 

 尚、預金封鎖や財産税は絵空事ではなく、実際に過去に政府によって実施されています。よって本当に危機的な状況に陥った場合には金融機関に預けている資産は安全ではない、ということを留め置く必要があります。

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