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NFTと現代の錬金術②

はじめに 

 前回の投稿ではNFTにまつわる誤解についてソフトウェア的観点からの解説とNFTマーケットがバブル状態であることを指摘いたしました。同時にこのようなNFTビジネスを取り巻く状況を「現代の錬金術」として位置付け、加速するNFTビジネスにクリエイター・ユーザーの双方として参加する際はメディアの情報に踊らされることのないよう注意が必要であることを指摘させていただきました。

 今回はNFTのビジネス価値についての考察と先日公表された自民党のNFTホワイトペーパー案について触れてみたいと思います。前回の記事をまだ御覧になっていない方はこちらからご確認ください。

 前回に続いてやや辛口のコメントとなりますがNFTを貶める意図を持った記事ではありません。一般に抱かれているNFTに関する誤解と過度な期待に対するバランサーとしての役割を意図しております。メリット・デメリットが存在することを認識し、それでも投機ではなく趣味としてNFTの購入を検討している方の判断材料になれば幸いです。

1. NFTは手段、それじゃあ目的は?

 昨年からのNFTブームの中で手段の目的化が加速しています。NFTはアプローチ(手段)であり、それ自体が目的化することは本末転倒です。しかしながらNFTを発行すること自体が目的となっているような事例も多く見られます。同時に以下のような疑問を生じます。

  •  なぜそれ(原資産)をNFTにするのか

  •  NFTにすることで原資産の本質的価値はどう変化するのか

 NFTはコンテンツビジネスにおいて日本のポテンシャルを発揮する切り札のような説明がされております。まずNFTに関係なく日本に豊富なコンテンツが存在することは変わりません。前回はNFTをソフトウェア観点から解説しましたが、NFTの保有は原資産(コンテンツ)を保有することと一致しません。この点は紛らわしく、きちんと説明した記事が少ないことが問題だと感じております。

 あくまでトークンID・ウォレットアドレス・メタデータが紐づいたデジタルデータ(トークン)に過ぎません。Web3やブロックチェーンの文脈ではパブリックで中央集権的な仲介者に依存しない唯一無二のデジタルコンテンツ、という説明が見られますが実際にはNFTマーケットプレイス(仲介業者)を経由して取引されており、NFTの管理は上記の仲介業者に依存しています。 

 ある原資産(ここではAと呼ぶ)を対象にNFTを発行した前後で、Aには何ら変化は生じません。Aから派生してNFTが発行され販売されてもAはAのままで決してA´にはなりません。当然です、NFTを発行するという行為は原資産とトークンIDという一意な識別子をアドレスと紐づけるだけです。 

 よく見られる誤解として“NFTを保有することでその原資産のオリジナルを所有している”という説明があります。NFT自体に原資産が含まれることは基本的にあり得ないので、NFT所有者はNFTマーケットプレイス(仲介業者)やウォレットを通じてメタデータと取引の履歴にアクセスでき、トークンと自己のアドレスが紐づいていることを確認できる権利を有している、と言えます。やや回りくどい言い方ですがNFT保有者≠コンテンツ保有者なのです。 

 誤解されがちですがブロックチェーン技術にはコンテンツのコピーガード機能は実装されておりません。高度に分散されたパブリックチェーンの場合は改竄耐性が備わっており、改竄やコピーが困難というだけであり、知財の管理に優れているわけではないことには注意が必要です。(そもそもそういう用途の代物ではない) 

 そうするとNFT保有者は何を購入しているのか?という話になりますが、現時点においてこの疑問に対する統一的な見解はありません。一説には「所有感の売買」という説もあります。「満足感」とも言えます。これはNFTのコレクションアイテムとしての側面を示しているかもしれません。 

 原資産の機能性はNFT化の有無によっては変化しませんのでNFT購入の動機として原資産の表現部分の価値に着目するのは困難かと思われます。一時的な現象かと思いますが、NFT化することで謎のプレミアムが生じ転売価値が高まることはNFT購入の一因かと思われます。NFTそれ自体には興味がなく、投機性に着目し転売可能性を期待し購入する流れです。 

 ときどきNFTを会員権やコミュニティアクセスの手段として用いる事例がありますが、このような使い方は別にNFTにする必要性がなく、別の方法で代用可能です。保有者だけの特別な体験はNFTを介さなくても実現できます。(特定属性のユーザーのみアクセスを許容するという趣旨であればFTで十分です) 

 他にもNFTであれば二次流通の際にクリエイターに収益を還元できる、という文脈で説明されることがあります。これは著作権の1つである追及権をイメージしているものかと思います。日本では採用されておらず、欧州では採用されている権利です。この追及権をスマートコントラクトで実装し、二次流通時に売買金額の一部をロイヤリティとして著作者に還元することでクリエイターが保護される、という主張です。

 技術的に可能なこととビジネス的に機能するかどうかの区別が必要です。NFTでは技術的に追及権に相当する処理を実装することは出来ますが、それが標準(デファクトスタンダード)になるかは別問題です。プラットフォームやコンテンツ毎に差異があると色々と問題が生じます。 

 2017年頃にICOと呼ばれる新規トークンの発行による資金調達がブームとなりました。ICOは詐欺的事案が多かったことから2018年頃より下火となり、規制に則った手法としてSTOが生まれました。それではICOトークンとNFTトークンは何が違うのでしょうか?ICOではプロジェクトとトークンが紐づいておりました。ICOではホワイトペーパーと呼ばれるプロジェクト概要を纏めた資料を公開し将来のプロジェクトから派生するサービスへのアクセス権等をユーティリティトークン(UT)としてFT(Fungible Token)の形式で発行します。

 対してNFTは現時点で存在する何らかのコンテンツと紐づいています。ICOの場合は将来のサービスアクセスという不確実性を有しますが、NFTの場合は原資産がその時点で存在することに違いを見出せます。またNFTは形式上それぞれのNFTは独立して存在しており他のNFTとは異なるものと識別されます。ICOトークンの場合、FTであるためAさんが持つトークンとBさんが持つトークンには形式上の違いもありません。ここでの形式上の違いとはトークンの識別子を指します。 

 ICOが詐欺と批判されたのは多額の資金を調達したにも関わらずプロジェクトチームが雲隠れしたり、プロジェクトが失敗に終わった事例があまりにも多かったことが原因です。NFTの場合、トークン購入時にモノ(原資産)が存在することが大きいと思います。仮に価格が一般的な感覚から逸脱したものであっても当事者の合意の上での取引です。ICOの場合は取引時点で対価となるサービスが存在しないことからこの点が曖昧です。ICOトークンの購入者は将来のサービス利用等に期待して前売券を購入した形です。結果として多くのプロジェクトが失敗に終わり、期待したベネフィットを得られず終わりました。 

整理するとICOトークンとNFTの違いは

①トークン取引時点で現物(原資産)が存在していること
②トークンがそれぞれ形式的に独立していること

と言えます。ここにどれだけの価値を見出すのかはそれぞれの判断に委ねたいと思いますが個人的にはビジネス的価値に大差はないと感じております。 

 ただし法律的にはNFTの場合、暗号資産には該当しないという解釈もありICOトークンの場合は暗号資産に該当することから法的性質は大きく異なります。この法的性質の違いがNFTの裾野を広げる要因とも言えます。一般的なFTの場合は暗号資産に該当するため募集・販売にはIEOが必要ですが、NFTの場合はデジタルコンテンツの位置付けです。デジタルコンテンツの位置付けであるため募集・販売に金融ライセンスは不要です。 

 よって一般的なトークンよりも流通のハードルが極端に下がります。それこそ個人のクリエイターがお遊びで試してみることもできます。新しいクリエイターのマネタイズ手法と言い換えることもできますが、NFTにしても原資産の本質的価値に変化が生じないのは冒頭に触れた通りです。NFTを通じてコミュニティを構築し・・・(以下略)という説明もありますがNFTを利用しなくてもクリエイターとユーザーのコミュニケーションは可能です。(オンラインサロン等) 

 そうするとコンテンツをNFTとして発行・販売する理由・目的は何でしょうか?2022年4月時点においてコンテンツをNFT化することでコンテンツ本体に付加価値が生じることはありません。NFT化では本質的価値が変化しませんが、NFT化することで価格は大きく変化します。 

現状のNFTの価値(価格)評価は以下の通りです。

 NFTの価格>>>>>>>>>>>>原資産の価値

本来は右辺と左辺は=で結ばれるはずです。
(若干NFTにプレミアムが含まれても良いですが) 

皆さん、一度冷静に深呼吸をして考えてみましょう。

なぜサルや宇宙人の画像データに数千万・数億の値段が付くのか合理的な説明は付きますか?

 もちろんコレクターアイテムとして遊戯王やマジック:ザ・ギャザリングのカードがあり、一般人からすると高値で取引されているように見えますが文字通り桁が違います。このような本質的価値からの乖離をバブルと呼びますが、バブルは弾けた後でしかバブルと証明することは出来ないことから今は踊り続けるしかありません。 

NFTが錬金術で生み出すのは金なのか?それとも・・・

 現状のNFTはバズワードが生み出すトレンドと技術的仕様の誤解も相まって価格面に着目する限り無から金を錬成していると言えます。今後の課題は錬金術を永遠の夢で終わらせないため・バブルを崩壊させないため本質価値と価格を一致させるビジネス上の創意工夫です。

2. 自民党NFTホワイトペーパー

 先週公表された自民党NFTホワイトペーパーを読みました。わずか2か月超の期間でこれだけの整理をよく頑張ったなーと思います。末尾にWGに参加した弁護士の一覧がありましたので弁護士の先生は相当大変だったと思います。政治家の方も若手~中堅が主導で整理されたようです。1期生の塩崎氏と神田氏はそれぞれ弁護士と元日銀というキャリアで金融分野の知見も相当です。特に冒頭のメッセージは政治家の危機感がよく表現されておりました。 

「Web3.0(ウェブスリー)時代の到来は日本にとって大きなチャンス。しかし今のままでは必ず乗り遅れる。」諸外国はWeb3.0の覇権を握るべく、急ピッチで投資環境や事業環境の整備を始めた。Web2.0で覇権を握った米国は、2022年3月9日に大統領令を発令し、Web3.0時代においてもデジタル経済圏のイノベーションをリードし続ける決意と覚悟を示し、国家戦略のとりまとめを命じた。また、ブラジルやメキシコは、2024年までの中央銀行デジタル通貨(CBDC)導入を目指して準備を開始した。新たな経済のフロンティアを巡る世界の熾烈な競争が既に始まっている。

 NFTホワイトペーパー(案)から一部抜粋

 危機感は正しいと思います。(偉そうに言って本当にすいません)次世代の標準化競争は既に始まっているし米国が先行しようとしているのは理解できます。ただNFTはまだ答えが出ていない(評価が定まっていない)社会実験の1つという認識が必要です。ビットコインから始まるブロックチェーン技術のユースケースの1つとしてコンセプトが示されたに過ぎません。現時点では有用性の証明は出来ておらず、バズワード化し実態が見えないまま市場が拡大しています。

 ホワイトペーパー案ではNFTのポテンシャルと法的な論点について言及されておりましたが、NFTの本質的価値に関する考察・システム的観点からどのような性質を有しているのかについては言及がありませんでした。時間的な問題もあろうかと思いますが、危機感が先行し、なぜNFTが重要なのかという問いに対する答えが示されていない点はやや残念でした。 

 今回の提言はきっかけに過ぎないと思いますので、今後の検討ではNFT、広義ではWeb3の本質的価値の整理に期待したいところです。とはいえ、実践してみないと価値を評価しにくいことも確かなので中段に記載されている課題については政治の力で行政を動かし、民間事業者がチャレンジできる環境を整備いただきたいと思います。 

 提言の内容は幅広いですが(7)のDAOの法人化を認める制度は社会実験として面白いと思います。米国では先行事例がありますが、これこそ実際にやってみないとどのような効果があるのかわかりません。過去の記事で解説しましたが分散主義やDAOの行きつく先は「民主主義・資本主義・株式会社」という社会フレームワークに対する挑戦であり問いかけでもあります。 

 DAOが問題なくワークするようになれば資金調達の方法も自ずと変化します。DAOは上場を目指さないとすると新たな調達スキームが必要となります。色々と面白い世界が広がりそうです。 

 ホワイトペーパー案に呼応した形で先週、国税庁から「No.1525-2 NFTやFTを用いた取引を行った場合の課税関係」という解釈が示されました。

 ホワイトペーパー案では税制についても言及されていたところ、現状のゼロ回答では今後の政治家からの質問に耐えられないと判断し、部分的に穴をあけ言い訳を用意したという印象です。文中にはNFTやFTの定義が示されていないことが気になりました。解釈の余地が残る表現は好ましいとは言えません。 

 Web3やNFTに関しては色々な評価が入り混じっているかと思います。佐々木俊尚さんのnoteの中には以下のようなメッセージがありました。

「『アンチ中央集権』というのは気持ちの良いスローガンですが、私たちはともすれば悪に陥りがちな自分たちをコントロールために政府を持ち、警察を運営し、中央集権という『必要悪』を許容しているのだということも忘れてはならないのです。ウェブ3には「アンチ中央集権」ではない大きな意味があるのです。それを最初に言い切ってしまうと、「参加型中央集権」という新しい可能性の実現と言えるでしょう。つまり中央集権を否定するのではなく、中央集権の運営に参加してもらうということです。全員が出資者になり、運営の主体側にまわるのです。

ウェブ3が目指すべきは「アンチ中央集権」ではなく「参加型中央集権」である
 佐々木俊尚氏の未来地図レポート Vol.697 から一部抜粋

 文中には中央集権からの脱却はファンタジーと指摘しつつ、参加型中央集権という新しい概念が示されております。用語自体は初めて聞きましたが説明を読んでしっくりきました。現状溢れるWeb3の解説が腑に落ちない方は一読いただけると新しい視点が得られると思います。(有料記事ですが無料部分だけでも参考になります)

 急速に成長を続ける分野だけあって様々な方が独自の解釈で評価しているのがこの分野の面白いところだと思います。特定の誰かの言葉を鵜吞みにせず、自分なりの仮説を立て異なる意見も拾いながら曇りなきレンズを通して観測する必要がありそうです。

 ローマ人の物語で有名な作家である塩野七海さんの書籍に以下のカエサルの一節があります。Web3やNFT・メタバースのトレンドをもう一度、カエサルの言葉を噛みしめながら考えてみませんか?

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」

塩野七海氏の書籍におけるカエサルの発言抜粋

 あなたにはどのような現実が見えていますか?

3. 参考資料

NFTホワイトペーパー案20220330_概要版.pdf

NFTホワイトペーパー案20220330.pdf

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