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ホームスクールから海外大学に進学した話〜②〜

小中高ホームスクールだった私がなぜ+どのようにミネルバ大学に進学したかの話をまとめているシリーズです!
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①: https://note.com/random_minervan/n/n1b671e44e063

前回のあらすじ:4歳から両親の決断でホームスクールを始め、アメリカの教材と日本語の参考書の二刀流で勉強する。友達欲しさにホームスクール断念も検討するが、この先の自分の興味を追い求めやすい環境を優先し続投を決断。


大学受験に興味を持ち始めたきっかけ

さてホームスクールを続けることを決めた私ですが、高校の先の進路について考え始めるようになったのは姉の大学受験がきっかけでした。姉も私と同じ形でホームスクールを続けていて、国内の大学を受験することに決めていました。しかしホームスクールから日本の大学に進学した事例はとても少なく、少なくとも私たちが知っている範囲では国公立大学を目指す人は誰もいませんでした(ちなみに私立大学に進学した人はそれなりにいました)。手探り状態の姉と両親が購入した情報収集用の受験戦略関連の本が本棚に追加されていたり、家庭内でも「あの家族はこうして対策しているらしい」などどいった会話が飛び交うようになりました。ホームスクールの先のことなど何も考えていなかった私ですが、暇な時間にこうした受験の本を読み始めたことがきっかけで少しずつ「大学」というものに興味を持ち始めました。

それまではなんとなく看護師さんになりたいという風に考えていましたが、大学は勉強したい学問の学部を選んで、試験を受けて入学するものだと知り具体的になりたいと思った職業に近づくには何をしたらいいのだろうという思考がつき始めました。前回の記事でお馴染みの勉強プラン作成はこの頃にはお手のものだったので、全く同じ思考で「じゃあこの大学に入るにはこの科目を勉強しないといけないから、今からもうこの科目もっと頑張ってみよう」などどやんわり考えていました。

その後姉は無事大学に合格し、その姿を見ていた私は「自分もたくさん勉強してあんな風に日本の大学に入りたい!」と思いました。(憧れ要素強め)
一方海外大学にはめっぽう興味がなく、いつか海外に行ってみたいという気持ちはあったものの「大学は日本に行くだろう」と思っていました。

人生の大転換

平凡な日々を送っていた私ですが、中学卒業間近の2020年3月、コロナの流行が始まりました。
習い事や行事が全て中止になり、参加予定だったタイで行われる予定の学生会議も中止になってしまいました。毎週通っていた図書館も一時閉館になり、やることがなくダラダラとテレビばかりみる生活になっていきました。

そしてある日、たまたま普段見ていないけど面白そうな番組を流していると、番組後半に「世界最先端の大学」が紹介され始めました。

それがミネルバ大学でした。

右に可愛く写っているのは創設者のベン・ネルソン氏です

およそ10分くらいのとても短い特集だったのですが、何もかもに釘付けになりました。オンラインのディスカッション形式の授業、世界7カ国を周るプログラム、知識を応用して現地の団体で課題解決。私の夢が詰まっていました。

実は中三の終わりくらい(コロナ前)に知り合いのつてで台風災害のボランティアに5日間参加させていただけることになり、浸水した家の泥かきや掃除をしていました。その団体は日本在住の外国人が多く所属していたので毎日英語と日本語を混ぜながら会話したり、断水した宿舎で助け合いながら炊事したりと座学では決して学ぶことのできないことをたくさん体験することができました。帰る前の日には「どうにかこの現場で学ぶ体験が続けられないか」と願うくらい手を動かして何かすることに魅力を感じていました。

早朝から夕方まで数人がかりで泥かきを行いました。

同時に学校に行くことへの疑問も湧いていました。姉の成功体験を通して大学に受かるくらいの学力は学校に行かなくてもできることを知ってしまったため、座学をやるために学校に行くのは高校であろうと大学であろうとさほど意味がないことを悟りました。(ここで一言追加しておくと、私は決してアンチ学校ではありません。ただ、純粋に学力だったり知識をつけるという意味合いでは別に学校に行っても行かなくても十分に同等のレベルの知識がつけられると思っています。)

ミネルバはそんな私の疑問と理想に完全にマッチする大学でした。ミネルバ大学のそもそも論として「座学は今の時代オンラインで探せばいくらでもできるし、大学の座学は実社会であまり役に立っていない」という大きな課題を提示しています。「だったら学生に知識の吸収は任せて、大学はみんなでしかできないディスカッションや知識の実践のための現地インターンの仲介にフォーカスしよう!」というのが今のミネルバ大学が成り立っている経緯です。

テレビ特集を見ながら「これだよこれ!」「まさに、、、そう!!」と連呼していました笑 これだけ自分の思っていたことを言語化してさらに解決策まで提示しちゃってる大学を知り、これなら行く!と即決しました。(テンション爆上がり中)

親に相談したところそれなりに興味を持ってくれて、日本人として初めてミネルバ大学に合格された方の本を見つけて買ってくれたりしてくれました。その方は第一志望の別の大学に進学されたのですが、それを読んでミネルバの教育と少し似ているアメリカのリベラルアーツカレッジにも興味を持つようになりました。その他にもマレーシア、台湾、シンガポール、フランス、カナダ、オーストラリアなど手当たり次第大学を調べては情報をかき集めていました。(個人的にスタンフォード大学のホームページが大好きでスタンフォードが第一志望だった友人に「なんでそんなこと知ってるの?」と言われるくらいクリックしてました笑)結果として当時は工学に興味があったので工学を学べそうなリベラルアーツカレッジと、工学はピンポイントで学べないけど学習方法がマッチしていると思ったミネルバを受験しようと思いました。

ホームスクールXコロナ禍での課外活動

少しずつ受験モードに入ってきた私ですが、課外活動はあまり受験のことを気にせず好きなことをやっていました。突発的に何かに虜になって追い詰められるところまで追い求める性格だったので、ネットやテレビで見たものから生まれた発想を調べ尽くしてできることをやっていました。興味の起伏(?)が激しく、短いと数分ですぐに飽きてしまいますが長いと数年続くものもあります。長く続いたものだと前にも紹介した空手があります。短いものだとテレビで見た東大生が参加してた言語学オリンピックの大会でした。

とはいえ多くの物理的・社会的制約で本当はやりたかったけど諦めざるを得ないものもたくさんありました。大体の理由は以下の三つで、

1. お金がない(参加費が高すぎる)
2. ちょっと前までやってたけどコロナで中止になって再開の目処が立っていない
3. 日本の高校生じゃないから参加資格なし

一番もどかしかったのは3の理由で、面白そうなプログラムがたくさんある中でホームスクールの人も受け入れてくれるものが全然見つからない時はなんとも言えない感情でした。ずっと日本に住んでいるし日本人なのに認められない、かといってアメリカの高校生のプログラムは現地に住んでいないといけないからそっちもダメという「どこにも所属していない感」を感じさせられました。たとえばクイズに興味があった時は高校生クイズに参加したかったのですが、同じ学校のチーム3人という制約があったため完全に無理でした。また海外大受験生の中では王道プログラムと言われているStanford e-Japanも日本の高校に在籍していないといけないと言われてこちらも断念しました。後の受験中の奨学金探しも同じ「日本の高校」要件に引っかかって半分以上そもそも応募資格がない状態になりました。

愚痴をこぼすと止まらなくなるのでこの辺にしますが、そんなわけでとりあえず前から続けていた活動を気長に続けつつ胸には海外大の夢を抱えて高校生活を送っていました :)


②いかがでしたか?

次回はいよいよ受験の年!ストレスとカオスとしくじりに溢れた高校ラストイヤーをお届けします!お楽しみに〜






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