見出し画像

玖の玉 珂の玉・後編

作・kikimaruru
2013年発行 ランチュウ作品集2より


四.


 闇の世界は暗くてほとんど見えなかった。

真緒は、ユキが花とあめ玉に呪文をかけて作ってくれたランプをかざした。

重なり合った岩のあいだをぬうように細い道が続き、ひとり通るのがやっとのような所もある。デコボコした道は湿り、うっかりするとすべってしまう。目がなれてくると、けわしい岩山がずっと先までつらなり、ところどころ立ち枯れた大木が幹をくねらせているのがわかった。

「みよりぃ」

 真緒は口元に手をそえてよんだ。しばらく耳をすませてみたが、岩にはねかえされた自分の声がひびくだけで何の反応もない。美依はどこにおるんじゃろうか? 聞こえてても返事ができんのじゃろうか? 声すら闇にとらえられたように、静寂が広がった。

 真緒の動かした足が小石にのり、シャリっと鳴る。それを合図のようにユキが歩きだした。

「マオ、行こう」

 ランプをかざしてユキの後をついて行く。入り組んだ岩のくぼみのひとつひとつを見落とすことのないように、ランプで照らしながら、目をこらして歩いた。

お願い無事でおって。岩が頭上をおおうようにせりだし、下がえぐられて大きな穴が開いているところに来た。のぞくと奥で何かが動いたように見える。

「ユキ、まって」

真緒はそっと近づき、おそるおそるランプをかざすと、美依がたおれているのが見えた。

「美依」

 真緒はすぐにかけより、美依の肩をつかむ。

「真緒……」

 よかった、気がついた。真緒は、美依を抱き起こした。

「大丈夫?」

「うん、ここは?」

 美依は、あたりをグルッと見まわした。

「闇の世界。美依は闇の中に引きずりこまれたんよ」

「そうなんだ」

美依は左手で自分の右手をつかみ、顔をしかめたが、なんでもないように真緒に目をむけた。

「来てくれてありがとう。真緒のせいにして傷つけてしもうた」

「ううん、うちこそごめん。大切な玉じゃったのに。今までちゃんと美依の気持ち考えてなかった。やっぱりうち、美依がおらんとダメみたい」

 にっこり笑う真緒に、美依が照れくさそうに笑いかけた。

「とにかく、早ようここから脱出せんにゃあ」

 真緒は、つかんだ美依の右手首を思わずはなした。美依の手首が冷たくてかたい。よく見ると、右手はがっちりにぎられ、ひじのあたりまで石のようになっている。

「この中に玖の玉があるんよ。でも、手がかたまって開かんの」

「そんなあ、何で? さっきのヘビのせい?」

「そうかもしれん。あのとき攻撃されたけど、玖の玉をはなさんかったら、そのまま手が動かんようになったんよ」

「じゃあ、またおそわれるかもしれん。早ようここからにげよう」

 来た道をもどろうとした真緒の前に、ユキがすわった。

「入口にはもどれない。にげてはだめ。ミヨリの手もかわらないよ」

 それからユキは、美依の右手に頭をこすりつけた。

「白い珂の玉は、闇の中にあるんじゃね」

美依は、玖の玉をにぎった右手を、胸にあてた。

「珂の玉がこの玉をよびよるような気がするんよ」

 覚悟を決めたかのように、美依がうなずいた。

「そうじゃった。珂の玉を見つけて闇を消すしかないんじゃね。そしたら、みんなここからでられるんじゃね」

 何が起こるかわからない闇の世界は怖い。でも真緒は、美依とユキが一緒ならがんばれそうな気がした。

 ユキが先頭、玖の玉をもっている美依が真ん中、後ろから真緒が明かりを照らし、岩のあいだの細い道を歩きはじめた。

 

 湿った道は、岩の形にそって蛇行し、歩くたびに靴底からゴツゴツした感触がつたわる。すべらないように気をつけて歩いていると、先を急ぐユキを見失わないようにするのが精一杯で、真緒も美依も無口になる。

一番後ろを歩く真緒は、背後からなにかがおそって来たらどうしようと思いはじめた。でも、振り返る勇気もない。枯れ木の枝が黒ヘビに見えてきた。真緒の中に、恐怖心が広がっていく。

そういえばこの道、さっきからちょろちょろ水が流れちょらん? 足元は、暗くてよく見えない。

とつぜん、頭上で雷が鳴った。岩にぶつかった雷鳴が、真緒たちをゆさぶり、一瞬の光が目をくらませる。

「キャー!」

真緒と美依はとっさに抱きあった。夢中で近くの岩によじ登った直後、今まで歩いていた道を鉄砲水がおそう。細い道は谷のようになり、あっというまに水かさが増し、一瞬のうちに流れがふたりの足元をかすめた。

ユキが真緒の目の前を流れて行く。

「ユキ!」

 真緒は夢中で腕をのばし、ユキの前足をつかんだ。しかし、水の流れは、真緒の力よりはるかに激しい。ユキが流れてしまう。

「真緒、がんばって」

美依が後ろで真緒の体を支えている。

真緒は美依に体をあずけ、両手でユキの体をつかまえた。

「ユキ、もう少しじゃけえね」

真緒は、ユキを平らな場所によせると、一瞬気がゆるんだ。力なくあげた足が、ぬれた岩肌からすべり落ちる。

「わあ!」

 真緒の両手が空をつかみ、足が水の中にすいこまれて行く。

「真緒!」

美依が、のばした真緒の手をしっかりつかまえてくれなければ、今度は真緒が流されるところだった。真緒は、ひざのあたりまでずぶぬれになった。

 すわったまま地面に両手をつき、心臓の鼓動がおさまるのを待つ。水の勢いもおさまってきた。ユキはもう、毛づくろいをしている。ユキ、大丈夫そうでよかった。

 落ち着いてくると、右足がズキンと痛んだ。足首をおさえると、少し腫れているのがわかる。真緒は、ゆっくりと足首をまわしてみた。

「いたっ」

 真緒は、思わず声をあげた。

「大丈夫? 歩ける?」

 美依が心配そうにのぞきこむ。

「うん、これくらいへっちゃら」

 だって、行くしかないんじゃけえ。真緒は、なんとかなると、自分にいい聞かせた。

 

 

五.

 

 今まで歩いていた道は、流れてきた石や泥でふさがれている。

「ユキ、ここからどうやって行くん?」

 鉄砲水でランプが流され、たよりの明かりもなくなっていた。

「岩山を登る」

「ここ登るん?」

真緒と美依は顔を見合わせた。目の前に立ちはだかる岩山は、天上のない壁にしか見えない。

真緒は、大きなため息をついて岩山を見あげた。

「あれ? 何じゃろ?」

 よく見ると、頂上にむかって蛇行しながら、小さな明かりがてんてんと続いている。

「これ、光る苔じゃ」

いつのまにか美依が、苔に近づいてなでている。美依って、苔にも興味あったん?

「美依っぽい」

「何?」

「なんでもない」

元気がでてきた真緒は、光る苔が行き先を示しているように思えてきた。

美依と真緒は、ユキの後ろから苔の光に沿って登りはじめた。細い道が岩壁を斜めに登るように続き、少しでも気をゆるめると崖から落ちてしまいそうだった。途中くずれたところは、壁によりかかって慎重に足をだす。小石が落ちると、冷や汗がでた。それでもユキの白い毛は意外とよく見えて、ときどき立ちどまり、後ろを見ながら登っているのがわかった。

ほぼ真上にある岩は、突起が大きく立ちどまる広さがあるものの、岩から岩に両手をかけて登らなければならない。足をふんばると真緒の右足に痛みがはしった。右手の開かない美依も苦労している。美依もがんばっちょるけえ、うちもがんばらんと。真緒は、力の入らない右足をかばいながら、ユキの姿をおった。

四本足のユキには、これくらいの岩山どうってことないんじゃろうな。ユキのゆれるしっぽを見ながら、真緒はボーっとそんなことを考えた。

真緒の右足は次第に痛みが増し、思うように前にでなくなっていった。ぬれた足が、よけいに真緒を疲れさせる。ぼちぼち限界じゃ。そう思いながら足をあげると、岩と岩のあいだに、ふたりがゆっくりすわれるくらいの平らな場所があった。

「ユキ、ちょっと休もう」

真緒は、岩のすきまに入りこんで腰をおろした。

光る苔はまだずっと上まで続いていて、頂上がはてしなく遠く感じる。

「ぼく、上のようす見てくる。待っててね」

 ユキが軽快に岩を登って行った。

「ユキ、元気じゃね」

「うん」

 美依も疲れているのか、それ以上会話がすすまない。音もなく、苔の光がぼんやりとかすみ、真緒は岩の壁によりかかり、いつのまにか眠っていた。

「真緒」

 美依の声がする。まだ頭がボーっとしている。ユキが見あたらない。

「ユキは?」

「まだ、もどってこんのよ」

「どこまで行ったんじゃろうか?」

 真緒は目が覚めてくると、ユキがこのままいなくなってしまうのではないかと不安になってきた。

「あ、ユキ」

美依が、すぐ上の岩にユキがいるのを見つけた。

「よかった。遅いよユキ」

「ごめん、ごめん」

 ユキがいなくなるわけないか。真緒は、ユキの姿を見てホッとした。

「行こう」

そのときふりかえったユキは、今まで真緒が見たことのない鋭い目をしていた。ユキのことをかわいいこぎつねだと思っていた真緒は、ユキの意外な顔をみて心臓がドキドキした。

真緒は、ユキに動揺がばれないように、ふたたび登りはじめた。ユキのいう通りここまで来たけど、がんばって登ったら本当に白い珂の玉はあるんじゃろうか? 大体とつぜんあらわれて、何でも知っちょるっておかしくない? うちらを自分の有利な場所に連れて行こうとしちょるんかもしれん。

疑いはじめるととまらない。真緒は、だんだんユキが信じられなくなってきた。もしかしたら、ユキは闇の手下じゃなかろうか? さっき、上のようすを見てくるっていうたけど、本当は黒ヘビに知らせにいったんかもしれん。何で今まで気がつかんかったんじゃろう。

ユキのそばでは美依に話すこともできず、今ユキからはなれてもどうすればいいのかわからない。真緒は、ユキのようすを見ながら、後ろをついて登るしかなかった。



六.


もう少しで頂上というところで、ユキが立ちどまった。頂上からつり橋がかかっているのがぼんやりと見える。

「あの橋をわたれば、珂の玉までもう少しだよ」

 ユキがうれしそうにふりかえった。もう、さっき見た鋭い目をしていない。真緒は、それがよけいぶきみに思えた。

 頂上に着くと、つり橋の下は漆黒の闇が広がり、橋のむこう側は暗くてよく見えなかった。

「この橋わたっても大丈夫なん? 落ちたりせん?」

 いつもの真緒なら、まっさきに橋をわたっている。でも、今はユキが信じられない。

「ん? 真緒にしては慎重じゃね」

 美依に、ふしぎな顔をされた。

 足元を見ると、岩山を下る道に沿って、光る苔が続いていた。苔はこっちに続いちょるじゃん。やっぱり、うちらユキにだまされちょる。

「うち、こっちに行く。美依、行こう」

 美依の手をつかんだが、美依は困った顔をして動かなかった。

「行くよ」

真緒は美依をチラッと見て、下の道をかけおりた。

「マオ、だめ!」

 ユキがあわてている。

 苔の光は、闇の底に誘うかのように、下にむかってまっすぐのびていた。足が勝手に動く。一歩一歩の距離が広がり、どんどん加速していく。真緒は、奈落へ落ちていくような気がして、背筋がゾクッとした。

とまらなきゃ。とまれ、とまれ! 足がもつれ、一回転してやっととまった。

「いたたた」

苔の光の色が、黄と青のあいだでゆらいでいるのが目に入った。すると、今まで一列にならんでいた光が、いっせいに動きはじめた。

「えっ、何?」

 光っていたのは苔ではなく、ムカデの背だったのだ。

 たくさんの光るムカデが不規則に動きだし、真緒のまわりに集まってきた。

「わあ! やだ、やだ!」

真緒は地面にすわりこんだまま、近づくムカデを何度も足で押しやった。横から、一匹のムカデが毒のあるアゴをつきだし、真緒に飛びかかる。

「キャー!」

 すんでのところで足をかまれるところだった。やっとよけても、そばにはたくさんのムカデがうごめいている。真緒は、すがる思いで降りてきた道を見あげた。

 いつのまにか、すぐ上でユキがムカデに術をかけていた。

「早く、にげて!」

 ユキが強い視線を、真緒にむける。もしかしてユキの鋭い目は、うちらを守るためじゃったん? 

術をかけられたムカデは、小さなカナブンになって闇の中へ飛んでいった。

『クノタマ クロタマ リキノタマ カノタマ シロタマ ユキノタマ クノタマ……』

 ユキは、真緒のまわりに集まっていたムカデの前で、呪文をとなえはじめた。そのあいだユキは、ムカデにおそわれないように、自分のまわりにバリアをはった。

「キャー!」

 美依のさけび声だ。

ユキが気をとられた瞬間、バリアがくずれた。すかさ

ず一匹の大きなムカデが、ユキにおそいかかる。ユキは、呪文をとなえているあいだ逃げることができないのだ。

ムカデはアゴをふりあげ、ユキの後ろ足に鋭い牙を差しこんだ。

「キャオーーン」

 ユキが悲痛なさけび声をあげた。

ムカデの毒が、じわじわとユキの小さな体の中をめぐっていく。それでもユキは呪文をとなえ続け、すべてのムカデをカナブンにかえると、力つきてばったりとたおれた。

「ユキ! ユキ、しっかりして」

 ああ、どうしよう。ユキが死んじゃう。ユキを疑ったうちのせいじゃ。真緒はユキにふれることもできないまま、ただおろおろするだけだった。

「ぼくは平気。ミヨリを助けて」

「でも……」

「早く」

 ユキはかすれた声で、力をふりしぼっていった。

「ごめん、ユキ」

 真緒は動けなくなったユキをその場に残し、おりてきた道をかけ登った。

 美依、無事でおって。真緒は気持ちばかりあせって、思ったように足が動かない。何度もひざをつき、両手を使ってやっと頂上にもどった。

「ハア、ハア、ハア、ハア」

 土のついた手のひらで、汗で額にはりついた髪の毛をあげる。真緒は、目の前の光景に血の気がひいた。

黒ヘビが、タイミングを計るかのように舌をペロペロだしながら、美依の足元でとぐろをまいていた。闇の入口にあらわれたときよりひとまわり大きくなっている。

美依はじりじりとさがりながら、崖のふちにおいやられていた。もうさがることはできない。美依がわずかに足を動かしたとき、小石が崖の下に転がった。

「美依、こっち」

美依は真緒の声にひっぱられるように、黒ヘビの脇をすりぬけようとした。黒ヘビが丸太ほどの体を自在にあやつり、すばやく動く。あっというまに美依をぐるりと取りまくと、らせんを描くようにゆっくり上昇しながら美依の姿をかくしていった。あのまましめつけられたら、美依はひとたまりもない。

ユキがたおれ、美依まで傷つけられるのはイヤ。真緒は夢中で黒ヘビに体当たりした。だが、黒ヘビの体はびくともしない。それどころか、無力な真緒をあざ笑うかのように、加速してはじきとばした。

「いったぁ」


これくらいで負けちゃあおれん。真緒は、何度も黒ヘビに体当たりをした。そのたびにはじきとばされる。半端な力じゃかなわないことはわかっている。でも、美依も中から必死で抵抗しているのだ。行くしかない。

ふと、足元に落ちていた石が目に入った。先端がやじりのようにとがり、手にもつとおさまりがいい。そうじゃ、これを使えばもしかしたら…… 

真緒は、力が入るようにやじり石を逆手ににぎった。

「えーい!」

うでをふりあげ、黒ヘビの体にやじり石をふりおろした。

「刺さった!」

とたんに、真緒のうでがはじかれる。黒ヘビの体は硬く、真緒の目の前で、わずかに刺さったやじり石をふきとばした。真緒の洋服はやぶれ、うでにはうろこのかけらが刺さっていた。

黒ヘビは、美依との距離をじわじわと縮めはじめた。美依はどんだけ怖い思いをしちょるじゃろう。このままじゃ美依りがしめつけられる。どうしたらええ? どうしたら美依を助けられる? 落ち着け、真緒。

黒ヘビをじっと見ていた真緒は、体の一部が細くなっていることに気がついた。間違いない、さっきやじり石を立てたところじゃ。真緒は、あのとき黒ヘビの体から黒いもやが流れていたのを思いだした。

 そうじゃ、あそこをつかめば美依からひきはなせるかもしれん。真緒は、ぐるぐるまわる黒ヘビに集中した。

「今じゃ!」

 両手をすばやくのばし、細くなっているところをギュッとつかんだ。硬いはずの黒ヘビの体が、雲をつかむように手ごたえがなく、そこだけさらに細くなった。

「えっ?」

 とにかく真緒は、力のかぎり引きよせた。

 黒ヘビは体をくねらせ、真緒の頭にかみつこうとする。真緒は体をかがめ、そのまま体重をかけて下にひっぱった。激しく抵抗する黒ヘビのうろこが、真緒の手を傷つける。絶対はなさん。真緒はうでを大きくふり、黒ヘビを美依からひきはなした。

やった! そう思ったときだ。黒ヘビは、尾を真緒の背中に激しくぶつけ、真緒をはねとばした。真緒は背中をのばしたまま宙に浮き、岩にたたきつけられ、肩を強く打った。

「ううう」

背骨に激痛がはしる。真緒は、体を起こそうと片ひじをついたが、力がはいらず顔からくずれ落ちた。

――美依、ごめん。もう動けん。あんな大きなヘビ、かなうわけがない。

 細くなっていた黒ヘビの体が元にもどり、ふたたび美依をかこむと、何もなかったかのようにまわりはじめた。

黒ヘビの体のあいだから美依の顔が見えた。

悲しい顔。

「そんな顔せんで。うちには無理なんよ」

 何でこんなことになったん? 真緒は、黒ヘビから玖の玉を守ろうとしている美依を見ながら、何もできない自分を消してしまいたいと思った。

 もう何も考えたくない。

――からっぽになった頭の中で、声がした。

「珂の玉の守人よ、己を信じよ」

「誰?」

 見まわしても誰もいない。ああ、幻聴まで聞こえる。静かで力強い声が、真緒の頭の中で何度もこだまする。

珂の玉の守人って誰? うちのこと? うちは自分の何を信じればいいん?

 とつぜん、真緒の意識がつり橋のむこうにズームした。岩にとじこめられた小さな白い石。誰かが手をのばそうとしている。

あれはうちじゃ。あれは珂の玉。

うちは自分の意思でここに来た。ユキと美依に助けられてここにおる。そのことに意味があるんなら、うちは珂の玉を見つけんといけんのじゃ。

 真緒はふたたび立ち上がった。美依を、ユキを、助けたい。玖の玉を黒ヘビにわたしてはいけない。ただそれだけの思いが、恐怖心をかき消した。

「玖の玉はここよ」

 真緒はひろった小石をにぎりしめ、黒ヘビから見えるように、うでを頭上にのばした。

 黒ヘビは動きをとめ、眼を見開き真緒をにらんだ。細い瞳を前後に動かし、真緒をめがけて突進する。

もう逃げん。

うろこにおおわれた黒ヘビの頭が目の前にせまり、小石をにぎった真緒の手におそいかかった。真緒は、わずかに早く、黒ヘビの眼に小石をたたきつけ、ひるんだすきに黒ヘビの頭を脇にかかえこんだ。黒ヘビは、反射的にからみつき、真緒の体ごとひきずりたおす。それでも真緒は、はなさない。黒ヘビはここぞとばかりに、じわじわと真緒をしめつけた。

「真緒!」

疲れはてているはずの美依が、力のかぎりさけんだ。

真緒は遠ざかる意識の中で、美依の声を聞いた。体の中で美依の声が鳴り響く。それは波うつようにくりかえし、真緒の魂を目覚めさせる。

と、そのとき、真緒の全身から白く輝く光が放たれた。

黒ヘビは真緒からはなれ、地面の上をのたうちまわった。体から黒いもやがあふれ、どんどん細く小さくなりながら、闇の中に逃げていった。



七.


「助かったあ」

 ふたりは抱き合ってよろこんだ。

 しかし、ホッとしている暇はない。

「ユキを助けんと。この下でユキがたおれちょるん。待っちょって」

 真緒はそれだけいうと、ユキのところへ急いだ。ユキ、生きちょって。真緒は、大丈夫、大丈夫と自分にいい聞かせながら、かかとを滑らすように坂を下りていった。

「ユキ」

 真緒は、横たわっているユキの体にそっと手をふれた。あたたかい、息をしている。

「よかった、生きちょる」

 真緒はユキを胸に抱きかかえ、確実に足をふみしめて登った。

「真緒、こっち」

 美依がつり橋の前でよんでいる。

 つり橋の前に来ると、下から冷たい風が上がってくる。

「さっきから橋の下で地鳴りのような音がするんよ。何かおかしい、早ようわたったほうがええかもしれん」

 真緒はユキをかかえなおし、美依とつり橋をわたりはじめた。つり橋はひとりで歩くのがやっとの幅で、両脇には一本ずつロープがあるだけだった。うっかりすると、足元にわたしてある板のすきまから踏みはずしてしまいそうだ。

一歩一歩、思った以上に橋がゆれ、緊張して体に力が入る。それでも急がなくてはいけない。ふたりの歩いたゆれが不規則に動き、真ん中に近づくにつれ、ゆりもどしが大きくなっていく。

板のすきまから下が見えた。真緒は背筋が凍りつき、怖くてひざが震える。ユキをギュッと抱くと、ユキから伝わるあたたかさが、ひざの震えをしずめていった。

 ちょうど真ん中に来たときだった。とつぜん下から冷たい風が吹き上げ、つり橋を押し上げた。

「うわあ!」

ふたりはとっさにロープにつかまる。

つり橋の下で闇が大きく渦をまき、その中心から闇の力でふたたび大きくなった黒ヘビがあらわれた。黒ヘビは尾をしならせて、つり橋を波のようにゆらす。真緒の手がロープからはなれた。

「ああああ」

つり橋からすべり落ちた真緒は、左手を必死にのばし、ふれた板をとっさにつかんだ。

黒ヘビは尾の先を細くして、あっというまに真緒の足にからめ、下に引きずり落とそうとした。真緒の左手が板からじりじりとすべっていく。ユキはぜったいはなせん。つかんでいる板には、真緒の手のひらからにじみでた血が、すじになってついていた。

「がんばって、真緒!」

美依は板の上に腹ばいになり、できるかぎりうでをのばした。真緒のうでをしっかりつかみ、自分のうでを震わせながらひっぱった。しかし、黒ヘビの力は増し、びくともしない。黒ヘビは容赦なく真緒の足をしめつけた。

「うあああ」

 真緒の足はうっ血し、ちぎれそうに痛い。

 黒ヘビは真緒の足をひっぱりながら、つり橋を大きくゆらした。美依もろとも落とそうとしている。板が立ち、しがみつくだけの美依になすすべはない。

「お願い、助けて!」

 美依は、天にむかってさけんだ。

とつぜん美依の右手に衝撃がはしった。玖の玉が重厚な光を放ち、指のすきまから光がもれる。石のように固まっていたうでに血がめぐり、右手が美依の意思で動いた。

 美依は迷わなかった。玖の玉を黒ヘビめがけて投げつけ、頭に命中させた。

「ギャァァァァー」

黒ヘビは異様な悲鳴をあげ、真緒からはなれた。頭から黒いもやがふきだし、激しく体をくねらせる。黒ヘビは玖の玉とともに闇の中に落ちていった。

美依は、急いで真緒とユキをひっぱりあげた。

闇の底を見ると、玖の玉の光が波紋を広げていく。すると、闇が目覚めたかのように波うち、冷気がつり橋まで上がってきた。まもなく、波紋の中心から黒いもやがもくもくとわきはじめた。

ああ、闇が増幅しはじめたんじゃ。美依のおばあちゃんのいう通りじゃった。黒いもやがあっというまに広がり、つり橋のすぐ下までせまっている。ふたりは、ユキを真ん中にして抱きあうしかなかった。

 そのとき、ユキの体がぼんやりと白く光った。やわらかい光は、ふたりのうでの中で徐々に広がっていく。光にふれたもやは泡となって消え、水滴となり、闇は少しずつ浄化されていった。

闇の底で光る玖の玉の上に、ひとすじの水滴が落ちてきた。玖の玉にふれたとたん、水滴は勢いを増し、まわりの闇を取りこみながら、次々に清水に変えていった。

玖の玉から天にむかって水柱が上った。清水がしぶきをあげながら、まっすぐにのびた水柱に集まってくる。ゆるぎない力を秘めた水柱は、噴水のように広がった。水面がゆれ、水がおどる。

やがて、すべての時がとまったかのように静けさがおとずれ、橋の下の闇は、豊かな水をたたえる湖になった。



八.


 真緒はユキを美依に預け、美依の後についてつり橋をわたった。

 岩山はさらに高く、頂上はまだ上に見える。左右から交互に岩がつきだし、登る道はいくつかあった。

「珂の玉はどこなんじゃろう?」

 案内役のユキの意識がなく、美依は、困った顔をしてあたりを見まわした。

「大丈夫、わかるよ」

 真緒はふしぎな声が聞こえたとき、つり橋から珂の玉の場所まで見えていたのだ。

 真緒は、つきだした岩にそってゆるやかに上っている道を進んだ。左に大きくまわりこむと、真緒の家がすっぽり入ってしまうほどの広い場所があった。ここからつり橋は、もう見えない。真ん中あたりに塔のような岩があった。

「ここじゃ。この岩の中に珂の玉がある」

確信した真緒は、足元をたしかめながら塔のような岩に上った。うっすらと白い小石が、途中、からまるようによじれた岩の中にうもれている。真緒は、白い石をジッと見ながらたたずんだ。

「どうしたん?」

 後から美依がユキを抱き、上ってきた。

「これね、珂の玉と思うんよ。でも美依、玖と珂の玉のふたつがそろってないと、何が起こるかわからんっていうたじゃろ? さっき、玖の玉をなくしてしもうたじゃん。この玉にふれてもええんじゃろうか?」

 真緒は、闇の入口が開いたときのことを思いだしていた。

「正直、どうなるかわからん。でも、真緒らしくないよ」

 美依の声はおだやかだった。

「美依を見ちょって、玖の玉がどれだけ大切かようわかったんよ。それでも美依は、うちらを助けるために玖の玉を投げてくれた。すっごくうれしかったんよ。でもね、美依は玖の玉を守らんといけんのじゃろ?」

 真緒は、やっぱり玖の玉をなくした美依がどうなってしまうのか心配だった。

「真緒だって、傷だらけになって黒ヘビから守ってくれたじゃん。それに、真緒がいなきゃ、珂の玉だって見つからんかった」

「うちのせいで、こんな目にあっても?」

「そりゃあ真緒って失敗も多いけど、それだけ何にでもまっすぐにむきあっちょるってことでしょ。純粋なんだと思うよ。あたしね、いつも平気そうな顔しちょったけど、本当はずっと不安でしかたなかったんよ。けど、何度転んでも負けん真緒がおったからがんばれた。たとえ玖の玉がなくなっても真緒を失いたくないんよ。今は、真緒と一緒なら闇だって怖くないって思える」

 美依はまっすぐに真緒の目を見た。

 真緒は、美依が心からそう思っているのがわかって、胸が熱くなった。

「ほら、真緒」

 美依が真緒に、白い石を手に取るようにうながす。 

 真緒はゴクンとつばを飲みこむと、岩のあいだから見える白い石に手をふれた。

 うっすらと白い石は、徐々に白さを増していき月の光のように静かに輝いた。からみついた岩がバラバラとはがれ落ちる。

「……珂の玉」

真緒がつぶやき、手の上にのせた。

珂の玉から四方に白金の光が放たれると、よどんだ空がうっすらと明るくなっていった。

ムカデの毒が消え、美依に抱かれていたユキが意識を取りもどした。

「ユキ!」

 白くやわらかい毛がフワッと立つと、真緒はユキに頬をよせた。

「真緒、ありがとう。ぼく、珂の玉の守人をずっと待ってた。真緒のこと、ずっと待ってたんだよ」

 真緒が頭の中で聞いた声と同じことを、ユキがいう。

「玖の玉の守人ってうちのこと? どうしてうちなん?」

 美依がハッと気がついた。

「真緒の先祖って元々玖珂におったんよね。もしかして、あたしのひいおばあちゃんと玉をみがきに来たんは、真緒のひいおばあちゃんなん?」

「そうだよ」

 でも、真緒は信じられない。

「そんな話、家では一度も聞いたことないよ」

 すると、ユキがこんなことをいった。

「玖珂からでて行くと、守人だった記憶は消えてしまうんだ。玖珂の人たちも誰が守人だったか忘れちゃう」

 真緒と美依は顔を見合わせた。

 真緒は、何でも知っているユキの正体を聞かずにはいられなくなった。

「ユキっていったい何なん?」

「ぼくは、珂の玉。この白い石の中に宿る精。珂の玉の守人が玖珂にもどってきたときに目覚めたんだ。守人の真緒が玖の玉にふれたから、むかえに行けた。玉依姫がきつねの姿にしてくれてね」

「道祖神のそばで見た白いきつねは、やっぱりユキじゃったんじゃね」

「うん」

 ユキは瞳をうるませて真緒をジッと見ると、美依のうでからはなれフワッと浮いた。ふたりの目の前で、しっぽを頭につけ、玉をまわすようにくるくるまわりはじめる。ユキの体がどんどん白く輝きだすと、小さな閃光となって珂の玉の中に消えていった。

 真緒はいつくしむように珂の玉をにぎり、胸にあてた。

「あたたかい」

 真緒は、ユキのぬくもりを感じた。

「真緒、見て」

 美依の手のひらの上に、小さな種のついた綿毛がのっている。

まわりを見ると、何もなかった岩肌が緑色に染まり、草が生え、木々は葉をしげらせ、次々と花を咲かせていった。やがて花は、種をつけた白い綿毛になって、まるでぼたん雪のようにふわりふわりと地面に落ちていく。真緒は、そのひとつひとつから命の力を感じた。

「きれい!」

 ふたりは綿毛をおいかけるように、岩をおりた。


すべての木々から綿毛が生まれると、いっせいに舞った。ふたりの前にふりつもった綿毛は、重なりあい黄金に輝いた。ふりそそぐ綿毛が黄金の光にふれるたび、水面にうつる光のようにゆれる。重なりあった綿毛は次第に純白の衣に代わり、やがて水面に立つ玉依姫が姿をあらわした。

ふたりをやさしく包む、玉依姫の声がした。

「全事象はそなたたちの意により創られしもの。恐れは闇を生み、信は光を生む。闇と光を知り、真(まこと)の人となれ。己を信じ、玖の玉、珂の玉を守り伝えよ。さすれば、この地に実りをもたらすであろう」

 玉依姫はそれだけいうと、音もなく光の中に消えていった。真緒は、頭の中で聞いた声と同じだとわかった。



九.


 いつのまにかふたりは、はじめにいた霊泉のほとりに立っていた。あたりは明るく、やさしい日差しが草木を包む。真緒が静かに目を閉じると、湧き水の流れる音がして、木の上からは鳥のさえずりが聞こえた。

 あれ? どこも痛くない。ぜんぶ治っちょる。何で?

 真緒は、玉依姫の言葉をゆっくり考えた。

「もしかして、闇の世界は元々あるんじゃなくて、うちらが作ったってこと?」

 「そういうことになるね」

「体中の傷も、自分でけがしたって思うちょるだけじゃったん?」

 真緒は、美依に傷ひとつない足を見せた。

「本当じゃ、いつのまに?」

 美依も自分のうでをさすっている。

「恐れは闇を生み…… 最初に黒ヘビがあらわれたときって、うちらがけんかしたときじゃった。

信は光を生む…… そっか、玖の玉が光ったときって、美依がうちらを助けたいって思うたときなんよね」

 真緒は、怖がったり疑ったりしたときに、何かにおそわれていたことに気がついた。

「真の人ってどんな人なんじゃろう? なれるんかな?」

 美依がぽつんとつぶやく。

 真緒はしばらく考え、

「己を信じよ」

 と、玉依姫のまねをしていった。

「たぶん、それでいいんじゃないかな? あのね、うちが黒ヘビとたたかってあきらめかけたとき、玉依姫の声が聞こえたんよ」

 美依は何度もうなずき、明るく答えた。

「そうじゃね、魔よけの力をもつ玖の玉も、純粋であり続ける珂の玉も、自分を信じられんかったら闇にのまれてしまう。信じんと守れんよね。玖の玉だってきっとある。自分を信じられたらお互いも信じられる。そしたら最強じゃん」

霊泉のまわりには白い綿毛の種が根づき、小さな緑が芽吹いていることに気がついた。

 真緒は、きれいな水を絶やさなければ、自然はきっと新しい命を芽吹かせてくれると思った。

 真緒の手には珂の玉がにぎられ、美依の足元には玖の玉があった。

【参考資料】

岩国市立(旧玖珂町立)玖珂中学校校歌 作詞作曲不詳

清玖山上古記

玖珂町誌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?