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玖の玉 珂の玉・前編

作・kikimaruru
2013年発行 ランチュウ作品集2より

一.

 

真緒まおの通う玖珂くが中学校では、体育祭が近くなると、吹奏楽部の伴奏にあわせて、何度も校歌の練習をさせられる。開会式で校歌斉唱があるが、歌詞をちゃんと覚えていない生徒が多いからだ。一年生の真緒もまちがいなくその中のひとり。

 

 ♪名もゆかし 玖の玉珂の玉

 古の 清き伝えに

 輝ける 研鑽の玉

 ああうるわし 我らが学び舎

 玖珂中学校

 

「二番の歌詞は覚えやすいんじゃけどねえ。三番はぜんぜん覚えちょらん。吹奏楽部ってええよねー、覚えんでもええんじゃけえ」

 真緒は教室に入りながら、クルッと美依みよりのほうをふり返った。

「前から思うちょったけど、玖の玉珂の玉ってどんな玉なん? 美依、なにか知っちょる? 玖珂っていう地名に関係あるっぽいよね」

 美依は、真緒が小学校を卒業して玖珂町に引っ越して、初めてできた友だち。何でも知っていて、真緒はいつも頼りにしている。

「まあね。それより真緒、もうさんざん歌わされたんじゃけえ、ぼちぼち覚えてもええんじゃない?」

 美依が真緒の頭をコツンとたたくまねをすると、真緒は舌をペロッとだした。

 

お昼休み、真緒は美依の前の席にすわり、後ろむきになって美依の机にほおづえをついた。

「真緒、近すぎ。そんなに聞きたい?」

「うん。元々うちの先祖って、玖珂に住んじょったらしいんよね」

「そうなん? ほんなら話すけど。玖珂って地名はね、玖の玉珂の玉から名づけられたんよ」

「やっぱりね」

 真緒が得意そうにいうと、美依に、そんなの誰だってわかるよって顔をされた。

「ことのはじまりは、奈良時代。養老五年、元正天皇の時ね。野口のぐちの手前に岩隈いわくま八幡宮ってあるじゃろ? そこに祭られちょる水の神玉依姫たまよりひめの御神徳で、玖の玉、珂の玉の二霊玉が、野口の岩の中からでてきたんよ。玖は黒岩の玉、珂は瑠璃潔白にして雪のごとしっていわれちょる。それで、玉の名前を万世に残そうってことで、熊毛くまげ郡の一部を玖珂郡にしたってわけ」

「へえ~、そうなん。じゃあ玉は岩隈八幡宮にあるん?」

「ううん。玖は平生ひらお町にある般若寺はんにゃじで、珂は周東しゅうとう町の二井寺にいでらに納められちょるんよ」

 真緒は、近くの岩隈八幡宮なら、玉が見られるかもしれないと思ったので、ちょっとがっかりした。

「じゃけど、何でそんなにくわしいん?」 

 すると美依が真緒に顔をよせ、こそっと耳打ちをした。

「実はね、家に玖の玉があるんよ」

「えっー、すごーい! あ、でも、般若寺じゃないの?」

 真緒が目をまるくすると、美依があせって首を横にふった。

「声でかい。もちろん、玖の玉本体じゃあないよ。実はね、あまり知られちょらんけど、岩からでてきたときに玉のかけらがあってね、それを郷の繁栄のお守りとして玖珂町に残しちょるんよ。町内には玖の玉のかけらと、珂の玉のかけらを代々ひっそりと守る家があってね、実はあたしんちが、玖の玉のかけらを守っちょる家だってこと」

「美依んちってすごいんじゃね。見たい、見たーい。帰りに美依んちに行ってもええ?」

 美依は、えっという顔をした。真緒は今まで一度も美依の家に行ったことはない。美依の家は中学校から遠く、真緒の家とは方向も逆なのだ。

「ええけど、帰り遅くなるよ」

 真緒は、大きくうなずいた。かけらといっても、大きいに違いない。すでに、真緒の頭の中では、魔女が操るようなあやしく黒光りする玉が、グルグルまわっていた。

 

 

二.

 

 美依の家は代々続く古くて広い民家で、建売りの真緒の家とはずいぶん違っていた。

真緒は、はなれの二階にある美依の部屋に通された。

「ちょっと待っちょって」

 美依は、真緒のために勉強机のいすをだすと、部屋をでていった。

 見わたすと、たくさんの本が目に入る。歴史、鉱物の図鑑からベストセラー、コミックまである。美依が何でも知っているのも納得できる。

まもなく美依がもどってきた。

「これよ」

 美依が手のひらを広げて、黒い玉を見せた。

 片手をにぎると、ほとんど隠れてしまうくらいの大きさで、ピカピカ光ることもなく、形もいびつで川原の石ころのようだ。

「え、これ? 魔女がもっちょるみたいに、もっと大きくてあやしい感じかと思うちょった」

「悪かったね、川原の石ころみたいで」

「ぷっ、美依だって石ころみたいって思うちょるんじゃない」

 ふたりは見つめあってしまった。真緒が笑うと、美依が玖の玉の名誉挽回とばかりにしゃべりだす。

「前に調べたんじゃけど、『玖』っていう黒ヒスイと、『珂』っていう白ヒスイがあるんよ。たぶん、これも黒ヒスイの一種なんじゃろうね」

「へえ~、そうなん」

「『玖』は魔よけ、『珂』は純粋って意味があるんよ。どう、気が済んだ?」

 美依はそういいながら、玖の玉をていねいに白い布で包んだ。

「ねえ、白いほうの珂の玉を守っちょる家ってどこなん?」

「うん…… それがね、今はわからんのよ。玉も行方不明らしいし」

 美依がボソッという。

「どういうこと? まだ、何かあるんじゃね。白状しんさい」

真緒が立ち上がって美依につめよると、しまったという顔をした。美依はベッドの上にすわり、ことばを選ぶように話しはじめる。真緒はひとことも聞きのがさないように、美依のとなりにすわった。

「まだ話してなかったけど、玖の玉と珂の玉が野口の里からでてきたとき、清玖山にある霊泉でみがいたって記録があるんよ。山から清水がでちょってね、苔むした岩のあいだを流れる沢に、今でも小さな泉があるんよ。」

「今もあるん?」

 真緒がおどろいて聞くと、美依がうなずいた。

「それでね、玉を守る家の家長は、郷に飢饉があれば霊泉で玉をみがいて、郷を救うのが役割じゃった。玉のおかけで、郷はとても豊かじゃったし、玉を守る家は玉に守られてもいたんよ。あの事件があるまではね……」

「事件って?」

美依は、のりだしてきた真緒を落ち着かせるように、おしりを動かして少し距離をとった。

「昔は珂の玉を守る家もあって、玉もちゃんとあったんよ。そのころの玖珂は、山には自然の恵みがたくさんあったし、畑ではそばの実がとれて、田んぼもたくさんあった。水がきれいで井戸のある家もいっぱいあったんよ」

美依は、包んだ白い布をもう一度広げた。

「玉を守る家の繁栄は約束されていたけど…… ただ、個人の欲で玉の力を利用しちゃあいけんっていう掟があったんよ。たとえそれがいいことに使うんであってもね。

これはおばあちゃんから聞いた話なんじゃけど……」

美依は、何かを考えるようにてんじょうを見つめる。

「おばあちゃんのおかあさん、つまりわたしのひいおばあちゃんが、若いころのこと。

ひいおばあちゃんは、珂の玉のかけらを守っちょる家の子と友だちじゃったんよ。その子の幼い妹が難しい病気になってね、どうしても妹を助けたくて、霊泉で玉をみがいて、玉の霊力にすがろうとしたんよ。はじめ、ひいおばあちゃんはいけんっていうたんじゃけど、友だちがかわいそうになってね、ふたりで玉をみがきに行くことにしたんよ。で、それぞれこっそり家から玉をもちだして、霊泉にいったんよ」

 真緒は急にドキドキしてきた。

「玉をみがいたん?」

「うん。そしたら玉がピカッーと光って、びっくりした友だちが珂の玉を霊泉の中に落としたんよ。ところが、とつぜんあらわれた黒ヘビに珂の玉を呑みこまれ、そのまま消えていったんだって」

「珂の玉はそのときからどこにあるかわからんの?」

「そう。珂の玉がなくなってからは、水がよごれて、山の木の実が減り動物たちもほとんどおらんようになった。里では病気がはやって、どこの家も井戸をふさいでしもうたんよ」

「病気の妹はどうなったん?」

美依がふと寂しげな目を真緒にむけた。

「亡くなった。そのあと、友だちの家では、不幸なことがいろいろ起こって、とつぜんだれにもいわんと引っ越していったらしいんよ。しばらくは町でもうわさになったけど、いつのまにかみんな口を閉ざして、今ではこのことを知っちょる人はほとんどおらんようになった」

真緒は、自分でもなぜだかわからないけど、胸がザワザワする。玖の玉のせいじゃろうか? 真緒は玖の玉にふれて確かめたくなった。

「ね、玖の玉さわってもええ?」

「ちょっとならええよ」

真緒は、美依がもっている玖の玉にそっと手をふれた。すると、岩の中に閉じこめられたうっすらと白い小石が、フッと頭にうかんだ。え、何? 珂の玉?

外から町内放送の『夕焼け小焼け』のメロディーが流れてきた。

「あっ、もう五時。真緒帰らんと」

「うん……」

「帰りわかる?」

「うん」

 真緒は、帰り道の説明を上の空で聞きながら、美依の家を後にした。

 

 日陰を歩くと、カッターシャツ一枚では少し肌寒い。畑や雑草の生えた休耕地が続き、橋をわたるとその奥に雑木林の丘が見えた。

「あれ? こんなところ通ったっけ?」

 真緒は歩いた道をふり返り首をひねった。美依の説明をちゃんと聞けばよかったと思いながら視線をもどすと、脇道の先に白い動物がいることに気がついた。

「犬じゃろうか?」

 かすかに鳴く声も聞こえる。おどろかさないようにゆっくりと近づいていくと、白い動物は、しっぽをゆらしながら丘の方へ逃げて行った。

「いや、あれはこぎつねじゃ」

あたりはうっすらと暗くなりはじめ、真緒はそれ以上追いかけるのをやめた。

真緒が立ちどまったすぐそばに、道祖神があった。その先のやぶがガサッとゆれる。

「さっきのきつねじゃろうか?」

 何がいるのか気になった真緒は、道祖神の影にかくれ、しゃがんでようすを見ることにした。

 やぶの中から、あばら骨がはっきりわかるほどやせこけたきつねがあらわれた。さっきの白いきつねではない。頭をもたげ、よろよろとした足どりでやっと歩いている。きつねは溝にたまった水をピチャピチャとなめると、そのまま動かなくなった。と次の瞬間、力つきてドサッと横だおしになった。

「ウォーーーン」

 悲しそうに鳴くきつねの声がする。少しはなれたところに、もう一匹仲間のきつねがいた。

「ウォーーン、ウォーーン」

 あのきつねだってやせちょって、いつ力つきるかわからん。みんながこんなに苦しんじょるんは、水がよごれたせいじゃろうか? 鳴き続けるきつねの声が、ただ見ているしかない真緒につき刺さる。冷たい風が真緒の頬をなぐりつけ、瞳の奥から涙をさそった。

 真緒は道祖神に、かすんだ目をむけた。すると、珂の玉をなくした女の子の悲しみが、まるで憑依したかのように伝わってくる。真緒はいたたまれず、夢中でその場から走りさった。どこをどう走ったのかわからない。気づけば、学校の裏山にたどりついていた。

 その夜ベッドに入った真緒は、きつねの鳴き声が耳鳴りのように響き、そのたびに自分ではコントロールできない悲しみにおそわれて、眠ることができなかった。

 

 次の日、真緒は昨日の帰りの出来事を美依に話した。

「珂の玉をさがしに行こうよ。美依んちの玖の玉を霊泉でみがいたら、奇跡が起きて珂の玉が見つかるかもしれん」

「そんなに簡単に玖の玉がもちだせるわけないじゃん」

 美依は、ムリムリというように頭を横にふったが、真緒は引き下がる気はない。

「美依は珂の玉をさがそうと思わんの? よごれた水のままじゃ、山だって泣いちょるよ」

 美依はため息をつき少しためらった後、話しはじめた。

「あたしもさがそうとしたことあったんよ。けど、おばあちゃんにとめられた。昨日、黒い玖の玉は魔よけの意味があるっていうたよね。でもね、玖と珂のふたつそろってこそ、魔よけになるんよ。おばあちゃんがね、『白い珂の玉がない今、何が起こるかわからん。玖の玉だけじゃと、魔力が増幅するだけにちがいない。このまま封印したほうがええ』っていうたんよ」

「本当にそうなんか、美依は自分で確かめんでええん? 昨日、珂の玉が見えたんよ。きっとどこかにあるって思うんよ」

 真緒は必死になっていた。

「……」

「あんなかわいそうなきつね、もう見たくない。霊泉の場所って知っちょるんじゃろ?」

 美依は覚悟を決めたように、真緒をまっすぐ見た。

「うん、野口。多分、わかる」

「ありがと、美依」

 次の日曜日、ふたりは玖の玉をもって霊泉に行くことにした。

 

 

三.

 

 日曜日、真緒は美依と待ち合わせた校門にずいぶん早く着いた。リュックサックの中には、水筒、おにぎり、おやつも入れて、万全の体制。

美依が、眠そうな顔をしてやってきた。

「美依~、玖の玉もってきたあ?」

 美依は、体をひねって肩にかけたスクールバッグを見せた。

「まだみんなが寝ちょるあいだにもちだして、大変じゃったんよ」

美依は家の人にあやしまれないように、制服を着ている。ちぐはぐな格好のふたりが、校門を後にした。

 住宅街をぬけて一時間も歩くと、民家もまばらになってくる。休み処『のんた』を過ぎると、このあたりは野口の里だ。細いじゃり道から山道に入る。とちゅう倒木をよけながらしばらく歩くと、木々におおわれた山の中に、沢があった。

苔むした岩のあいだを、心地いい音をたてながら水が流れ、小さな泉にそそぎこまれている。水面にこもれびが光り、あめんぼが波紋をひろげる。

「ここ?」

 真緒がふりかえって美依にたずねると、美依は小さくうなずいた。

「霊泉の水はきれいなんじゃ。ね、玖の玉みがいてみようよ」

 真緒がせかすと、美依はスクールバッグをゆっくりおろして、玖の玉を取りだし、右手でギュッとにぎった。

「やっぱり、やめん?」

「ここまできて、何いいよるん」

 真緒は、はっきりしない美依にイラッときた。

「玉が光るとはかぎらんし」

「そんなのみがいてみんと、わからんじゃろ。かして」

 真緒は、美依から玖の玉を取ると、泉のふちにしゃがんだ。さすがに緊張する。泉の中をのぞくと、底が見えて、どこからか湧き水がでているのがわかる。

 真緒は、両手で玖の玉を包んだ。ひざをつき、ゆっくりと水面に近づける。手の甲が水にふれ、ゾクッとするのをやりすごすと、今度はひんやりと涼やかな風が真緒の中を通りぬけた。真緒は、玖の玉を手の中でころがすようにみがいた。こもれびを浴びた玖の玉がゆれている。

「美依、見て。きれい、光っちょるみたい」

 美依はうなずくと、すいよせられるように黒く光る玖の玉に手をのばした。

―――くすくす くすくす

「ん? 誰かおるん?」

 真緒は、子どもの笑い声がしたような気がした。見まわしてみたが、誰もいない。

「どうしたん?」

「うん、今子どもの笑い声がしたと思うたんじゃけど……」

 ふたりは耳をすますが、何も聞こえない。

「気のせいじゃね」

 やっぱり奇跡は起こらなかった。真緒は、がっかりして玖の玉を美依にわたそうとした。

「マオ」

 今度は、名前をよばれたのがはっきりと聞こえた。


声のするほうを見ると、木立の脇に白い毛をしたこぎつねがすわっている。真緒が気づくと、こぎつねはしっぽをふった。

「マオ。マオ」

 こぎつねは名前をよびながら、うれしそうに木立のまわりをグルグルかけまわる。

「美依、聞こえた? あのきつね、真緒っていうた」

「うん」

「き、きせきじゃ」

 ふたりは、ぼうぜんとしながら、目だけはこぎつねをおった。こぎつねは、あちらこちら走りながら、ふたりに近よって来る。

「ミヨリ。ミヨリ」

 今度は、美依の名前をよびながら、ふたりのまわりをグルグルまわる。

「ユキ。ぼく、ユキ」

「ユキって名前? あ、白いから雪ってこと?」

 うち、何いいよるんじゃろ。真緒はびっくりしすぎて、ついどうでもいいことをいってしまった。

真緒が顔をひきつらせて笑うと、ユキもにっこり笑った、ように見えた。ユキが、歯を見せて笑ったわけではない。なのに、なぜかにっこり笑ったのがわかった。美依もわかったようだ。

真緒は、美依の家から帰るとき、姿を見せたこぎつねではないかと思った。うちらに何かいいたいのかもしれん。珂の玉のこと何か知っちょるかもしれん。

「ユキは、何でうちらと話ができるん? 玖の玉をみがいたから?」

「うん」

「じゃあ、珂の玉も知っちょる?」

「うん。ユキ、何でも知ってるよ」

「じゃあ、どこにあるかも?」

 ユキは、ちょっとのあいだ首をかしげ、「あっち」というと、しっぽで山の上を指した。

なんか、すごくてきとう。やっぱり、きつねにだまされちょるだけかもしれん。真緒が疑いの目でユキを見ると、ユキはつぶらな瞳をうるませて、真緒のことをジッと見つめていた。そんな目をしたってだまされんよ。

するとユキは、木の下へ走って行き大きくてしっかりとした葉っぱをもってきた。

「葉っぱの上に、えーと、その小石をおいて」

 何がはじまるん? 真緒は、ユキのいう通り、そばにあった小石をおいてみた。

「ミヨリは、木の実」

 美依が、葉っぱの上に木の実をのせると、ユキは、葉っぱの前にすわった。右、左、真ん中と、しっぽで地面を三回たたき、後ろむきになって、わけのわからない呪文をとなえはじめた。

『ガノタマ シロタマ ユキノタマ ノンタノ サトニ コーンコン』

 葉っぱの上でしっぽを左右にふり、だんだん早くなって、おしりまでくねくね動きだした。しっぽがちぎれそう。信じているわけではないけれど、必死なユキを見ていると、真緒はつい笑いそうになった。

ボン!

葉っぱの上には、まつぼっくりがひとつのっている。

「えっ? 小石と木の実がヘンゲしたん?」

「うん。おもしろい?」

「おもしろいっていうか、すごいけど……」

 真緒はゆっくり手をのばし、まつぼっくりにさわった。確かに本物だ。

「今度は、好きなものにかえてあげるよ。何かだして」

「じゃあ、りんごとか」

 真緒は半信半疑で、リュックサックからみかんとあめ玉を取りだし、葉っぱの上においた。

ユキがしっぽで地面を三回たたき、後ろをむいて呪文をとなえはじめる。

何か、からくりがあるかもしれん。真緒はユキをジッと見ながら、ユキの前にまわりこもうとした。ところが、足元にあったリュックサックにつまずき、前のめりになって転んでしまった。玖の玉が、真緒のパーカーのポケットから転がり落ち、葉っぱの上にのった。

とたんに黒いもやが立ちはじめ、見るまにふくらんでいく。ユキはあわててちがう呪文をとなえた。

『クノタマ クロタマ リキノタマ ノンタノ サトカラ コーンコン』

 黒いもやが、やっと広がるのをやめた。しかし、すでに真緒たちをすっぽり包みこんでしまうくらい大きくなっている。

「もう消せない。でも、大きくならない」

 ユキは呪文が終わるとそういった。

黒いもやは、洞窟の入口のように見える。かげろうのようにゆらゆらと動き、まるで意思があるかのように思えた。とんでもないことをやったんかもしれん。立ちつくすしかない真緒は、黒いもやから目がはなせなかった。

「ユキ、これは……」

 美依の声が震えている。

「入口。闇の」

美依が、葉っぱの上に玖の玉があることに気がついた。

「何で玖の玉があるん?」

「あ、わざとじゃないんよ」

 真緒があせって、必死で手と頭を横にふった。ふればふるほど、美依の視線がつき刺さる。

「真緒がおいたん?」

「ごめん……」

 真緒はユキがあらわれたとき、気をとられて玖の玉を無意識にポケットに入れていた。玖の玉を不用意にあつかったことは確かだ。真緒は、だまってうなずくしかなかった。

「やっぱりこんなことになった」

 美依が、両手のこぶしを強くにぎっている。

「美依、ごめん。どうしよう?」

「どうしようって、真緒はいつもそう。好きなことやっちょって、困ったらいつもわたしにしりぬぐいさせるんよね」

 美依は、いつもそんなふうに思うちょったん? かなしくて、勝手に涙がこみあげてくる。美依がハッとした顔をした。真緒は、美依のさしだしたハンカチを払いのけた。

「やめてマオ、やめてミヨリ」

 ユキがかなしそうな声をあげた、そのときだった。

 闇の入口から、木々を超えるほどの長く黒いもやが、まっすぐに立ち上った。

もやは、二度三度と猛獣使いのムチのように鋭くしなる。ぶきみにふくらんだ先端が、黒くごつごつしたヘビの頭部にヘンゲすると、闇の入口にむかって、いっきに黒光りするうろこに変っていった。

 黒ヘビは、空中にとどまったまま眼を見開いた。細長い瞳を前後に動かし、体をひねって急降下する。地面すれすれを這い、木の幹にそって上昇したかと思うと、岩のあいだをゆっくり進む。何かをさがしているのだろうか、真緒たちには見むきもしないで、ふたたび上昇した。

 黒ヘビは空中でゆっくりとぐろをまき、瞳を冷たく光らせると、玖の玉に照準をあわせた。大きな口をあけ、鋭い牙をあらわにしながら、飛びかかるように急降下した。

 美依がハッとして、はっぱの上の玖の玉を見る。すべりこみながら、右手をのばした。

「だめ!」

 美依は、黒ヘビより一瞬早く玖の玉をつかんだ。だが、黒ヘビは美依の手もろとも噛みついた。

「キャー!」

 美依の右手は、黒ヘビの口の中にすっぽり入っている。黒ヘビは頭を左右に大きくふり、美依の手を引きちぎろうとした。美依の顔が痛みでゆがみ、それでも玖の玉をしっかりとつかみはなさなかった。

「美依、はなして! 手がちぎれる」

真緒は一瞬美依と目が合ったが、美依の体はそのまま大きくふりまわされ、とうとう気を失った。ぐったりした美依は宙に舞い、黒ヘビのなすがまま闇の中へ消えていった。

「美依!」

どうしよう。

「美依!」

 美依は必死で玖の玉を守ったのに。わたしのせいじゃ。美依にとって、玉を守ってきた者として、どれだけ大切なものだったか、真緒は思い知った。

「ユキ、どうしたらええん?」

 真緒は、すがるようにユキを見た。

「闇を消せば、ミヨリはもどれる」

「どうやったら、闇は消えるん?」

「玖の玉と珂の玉で、消えるよ」

「玖の玉は闇の中だし、珂の玉はどこにあるかさえわからんのよ」

「珂の玉も、闇の中にあるよ」

「ふたつとも闇の中って、無理……」

 真緒は、どうしたらいいかわからなくなって、ペタンとすわりこんだ。

「行く?」

 ユキが、真緒をジッと見ている。

「行くって、闇の中へ?」

「うん。ぼく、案内する」

 美依を助ける手立てが他にないなら、ユキを信じて闇の中へ入っていくしかないと、真緒は覚悟した。

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