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05【奥の奥にあるもの】

これは4月25日のnoteに
下書きとして残っていたもの
まずはそのまま掲載

で?


「おそらく間違いなく“癌“です」

今日、検査のあと、医師に言われた。


こういう時、人はどういう反応をするんだろうと
今までは想像の域を越えられなかったけれど
実は意外と

「あーそうなのね、で?」

って
感じであることが逆にちょっと新鮮で驚いてる

そんなことよりも
これからの人生でまたあの胃カメラを
飲むことの方がやだ

強がりとかそんなんじゃなく
あれ?うちって感情ないのかな?ってぐらい
拍子抜けな感覚

人生、行き当たりばったりにせよ
与えられたステージで目一杯、踊ってきた人間として
特にやり残しもなく、悔いのようなものもない

そのあとは自分のことよりも
残していくのであろう家族のことを考え
こちらも意外といい感じで行けるんじゃない?

って思えたりもして、おーおー我ながら
なんだかんだちゃんと準備できてるやんかいなー
と思ったり

この場面で、ルウにいうのか言わないのか

いやぁ言わない方が楽でしょ
いや、言わないのは信頼していないの?
って逆に傷つける?

とかなんとかそんなことばっかが頭を巡る

今に始まったことじゃないらしいし
すでに体にあるものは仕方がない

それとどう付き合っていくかやろうし
あれをしたい、これをしたいってことも
そんなにあるようでないのかな

生きるということは
死んでいくっていうことやし
そのゴールに向けてどんな走り抜け方をするのかって
ことでもある

そうだね
歌いたい かも
踊りたい かも
そして ありがたい かも

ーーーーーーーー

そして今日6月11日の気持ち

あー超、必死やん
めっちゃんこ、うろたえてるやん
そして平静を気取ってかっこつけてるやん

うまいね、こういうとき
いつもそうしてきたもんね

すきよ そんなムウ
いやね そんなムウ

そんなだから
ガブちゃん居心地いいんじゃない?

なんて、くさしてみるけど

どこか、ちょっと、それで
ホッとしてる

このままでいいなんていえない
だけど裸のまんまでなんていられない

かなしくても、せつなくても
だれもよんだりなんかしないで
ただうずくまってやりすごすほうが楽

ほんとはビビリで、ヘタレで、
さしみがりのめんどくさいやつだけど
なぐさめて欲しいなんて1ミリも 
マジで1ミリも絶対、おもわない

きっと

だから
こんなムウは
生きるのが下手くそにみえる誰かに
どこかシンパシーを感じて
勝手にほんと勝手に
愛おしくなっちゃうんだ

最も下手くそで最もうちに愛をくれた
パパが車にひかれて天国に行った日も
こんな風にうろたえて、必死だったな

今日は、笑えなくてごめん
そしてこんなことにつきあわせてごめん

でもね、それがムウなんだ

そして

このまだずっと深い奥の奥で
とってもあったかくてやわらかくて
でもとってもつよくておおきなおおきな
なにかにムウ、触れてる気がするんだ

ガブちゃんはもしかしてもしかすると
そこからやってきたのかもしれない

つづく。。。。。


教訓:その時感じてることだけが感じてることじゃない
   見えることだけがそこにあるわけじゃない
  :ガブちゃんはもしかして大きな愛なのかもしれない


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