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一点の曇りもない楼門五三桐と、希望の光が一筋さえも差さない隅田川

 三月大歌舞伎第三部を観てきました。あまりに真逆な二演目。古くは能楽も新しくは漫画やアニメも、何でも吸収して大きくなる化け物みたいな歌舞伎の一端に触れたような一夜でした。

 まずは「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」。

図1

図2

 幕が開いたと思うと、また薄いブルーのきれいな幕がある。長唄のふたりが出てきて大薩摩を聞かせるのですが、この唐草の合方がとっても格好良い! 渾身のギターソロといった感じです。

 浅葱幕があくと、いよいよ満開の桜と華やかな楼門が現れます。天下の大泥棒・石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」という名文句。はっきり言えばそれしかない、たった15分の上演なのに、十分に満足できるハイライトofハイライトな作品。吉右衛門さんでそれを観られるとは、中学・高校時代に鬼平犯科帳にハマった私としては感慨無量です。

 楼門と書いてさんもんと読む。これは、端的に伝える仕掛けのようなものかなあ、と思っています。見た目(=漢字)は舞台の見せ場として欠かせない二階造を示し、意味(=読み仮名)は臨済宗大本山・南禅寺という一流の場所(=天下の大泥棒に相応しい)を示すのかな、と。勝手な私的解釈ですけれども。

 おりしも2024年公開の映画「鬼平犯科帳」の主人公・長谷川平蔵を松本幸四郎さんが演じられると発表された日に、吉右衛門さんと幸四郎さんの舞台を観られたのはとても幸せなことだと思います。

 話の筋から離れたことに触れてしまうと、楼門がせりあがって1階部分に真柴久吉が現れた時、「おお、なんかとても綺麗な人が出てきた。え、秀吉がこんな綺麗な人で良いの?」と思いましたね。だってサルですよね……。

 そして舞踊「隅田川」。人拐いにさらわれた息子を追って京から東へ来た母が知る悲劇。こちらは救いの光が一筋さえも差さない辛いお話。

図3

 素晴らしかったです。観終えた後もなかなか余韻が引きませんでした。鴈治郎さんの踊りは実に思いやりに溢れ、優しく柔らかい。母・斑女(子をなくして物狂いとなった女性)を演じる玉三郎さんの深い哀しみ。こういう言葉は気軽に使えないと思いつつ、至芸を観た気がします。

 調べてみると、能では船頭が「面白く狂ってみよ」と言うようですが、歌舞伎では斑女の方が「あの白い鳥は」と尋ねたところから都鳥のエピソードに入ります。舟長は東(田舎)の人らしく素朴で、純粋に優しく描かれています。鴈治郎さんの舞踊は、誰かを思いやる気持ちをこんなに手先に込められるのかというものでした。そして物狂いの女を演じる玉三郎さん。けれど、息子の塚の前でふと身なりを整える時があり、その瞬間は斑女が20-30代の女性に見えてとても驚かされました。

 「隅田川」に関しては、三月大歌舞伎にあたってYouTube等で解説されています。さらに梅若伝説も木母寺が紹介していますので載せておきます。

清元「隅田川」 手軽に聴ける歌舞伎浄瑠璃 https://youtu.be/ojRKtVEvlaQ 

隅田川 プチ解説&歌詞 - 清元國惠太夫Official blog http://kuniedayu.com/blog/2021/02/post-312.html 

梅若権現御縁起 https://youtu.be/i_QSU0dS7UQ

図4