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流転の姫君、上の巻。

 2021年4月24日(土)17:45開演。観られたことを感謝します。

図2

歌舞伎の世界(設定)という仕組みは、よくできているなあと思います。「こういう時代のこういう人たちがこんなことをする」というざっくりとした共通認識があれば、イチから説明しなくて良いので、物語を作る方も観る方も労力を使わずに済みます。さらに複数の世界を混ぜる「ない交ぜ」という手法、お話や役柄を何層にも重ねることで複雑さや深みを加えられそうです。業務効率化と品質向上を一度にやってのけるようなもの。これを得意としたらしい四世鶴屋南北さん、凄いですね。


図1

発端 江の島稚児が淵の場

 暗い中、灯りを手に白菊丸を、清玄を探すお寺の人々がやってきては去ると、定式幕が開きます。探されていたふたりは、今生では添い遂げられないと心中をはかろうとしています。花道から出てくる清玄・仁左衛門さんと白菊丸・玉三郎さん。岩場の上でひしと抱き合うと、伝説と違って相思相愛であることが分かります(良かったね清玄。そして思えば彼が報われるのはこの一瞬だけですね)。香箱に互いの名を書いて握り締め、念仏を唱え。ここで白菊丸さん、清玄に背を向けたまま思い切り良くドボン! 「え?もう飛び込んじゃうの」と観客の私が驚くほど早いタイミングです。これは清玄にも不意打ちでしょう。昂った感情が現実に引き戻されておかしくありません。実はあらすじを読んだ時には「稚児に飛び込ませておいて自分は怖気づくとは骨のない僧め」くらいに思っていましたが、ちょっと同情しました。岩の上でうじうじする清玄の横を火の玉が飛んでいきます。これまた「え?もう人魂になったの」と思う早さ。白菊丸、よっぽどすぐに転生したかったんでしょうねえ(せっかちな性格なのかな)。

序幕・第一場 新清水の場

 一転、舞台は華やかです。お公家・吉田家のお姫様がいらっしゃるお屋敷は赤色金色で煌びやか。真っ赤なお着物に身を包み、細かな銀細工を髪に飾り、階段を降りるときは手を引かれる桜姫。なんと可憐なことか。周りが、出家を思いとどまらせようとするのも納得です。

 それでも出家を願う桜姫のもとを、清玄阿闍梨が訪ねます。十念を授けると、それまで閉じられていた左手が開き、香箱が出てきます。この手の開いた瞬間、初めての感覚に驚いて喜ぶ表情。子供のように素直で無邪気で、本当に可愛らしいのです。ここで純粋無垢であればあるほど、後々、あちらこちらの場面でギャップが効いてくるように思います。

 一方で、香箱に名が書かれていることに、あからさまに動揺する清玄。それまでの阿闍梨としての風格が消えていきます。偉くなるまで修行を積んだはずですが、それでも、生来、脆い人なんでしょうね。

 入間悪五郎は、桜姫の左手が開いたと知って縁談の復活を望みます。悪五郎は相当あくどいことをやっているにもかかわらず、どうしてもあふれる小悪党感。巨悪をなすほどの器はなさそうに見えます。それならば、その男に使われている釣鐘権助も小さいはずなのに、得体が知れません。誰かにこびへつらうことも何とも思わずにできる、情の無さ。入間一味が吉田家の宝・都鳥の一巻を盗んだ話を立ち聞きしてしまった腰元に気付くと、ためらいもなくさらっと殺すだけでなく、首を絞めた手ぬぐいを何の気もなく胸元へしまいます。「顔を洗えば、平気でその手ぬぐいで拭くでしょう」と思わせる手軽さが不気味です。

序幕・第二場 桜谷草庵の場

 出家に備えて草庵にいる桜姫。そこへ悪五郎の手紙を持った権助がやってきます。最初はすげなくあしらわれるものの、うまく幽霊話で腰元たちに取り込んで、受け渡しの機会を伺います。清玄役の時とは打って変わって低い声、悪い口調とふるまいの仁左衛門さん。たいへん恰好良かったです。話のはずみで片袖を脱ぐと、腕には釣鐘の刺青が。はっと気づいた桜姫が腰元たちを下がらせます(正体不明の男が庭にいるのにお姫様をひとりにするなんて不用心すぎると突っ込みたくなりますが、この隙がないとお話が進みませんからね)。

 権助を呼び込む桜姫。権助は、なんのかんのと言いながらなかなか上がりません。面倒なことに首を突っ込みたくない、といった様子。もったいぶった後にようやく上がります。すると、実は……と話し始める桜姫。あのお姫様ムーブ(袖で顔を隠す、イヤイヤと左右に振る)がめちゃくちゃ可愛らしい。本当に、この辺りまでの桜姫は可愛らしいのです。が、いざコト及んで権助の手が姫の袂に入れられた時の表情は、まさに美女そのもの。一息に、大人の美しさへ早変わり。この変化には目を見張りました。そして、するすると降りる簾。

 やれ金蔓だとか、やれ口吸いが長いだのぼやきながら、残月が草庵へやってきます。簾の内に気付き、覗き見る。遅れてやってきた長浦も誘って、覗き見る。割れ鍋に綴じ蓋。お似合いの下種っぷりです。やがて覗き見るうちに盛り上がってきた長浦から残月が逃げる形でふたりとも退場。

 今度は入間悪五郎がやってきます。誰もいなくて丁度良い等と間抜けたことを言っていると、簾の中から姫の声で「必ず二世も夫婦ぞえ」と聞こえます。内を見れば、すでに相手は逃げているものの、何があったか見て取れます。皆の前で、出家前に不埒なことをしたと責められる桜姫。権助が邪魔そうに放り投げた香箱が部屋で見つかり、それが理由で清玄が疑われます。残月も(覗いていたので本当は違うことを知っているのに)声高に清玄を責め立てます。

 責められ罵倒される清玄の横で、身を小さくする桜姫の美しいこと。衣桁に掛けられた赤い着物(縦)と伏せる姫の広がる薄色の着物の裾(横)が背景となって、完全に桜姫スペースのできあがり。その中で相手のことを必死で隠しながら、嘆くお姫様。それでいて、事後の余韻もほんのり垣間見えるところが素晴らしかったです。


図3

第二幕・稲瀬川の場

 さらし者になるふたり(しかも棒たたきの目にもあっていて、それは想定していなかったので少しショックでした)。桜姫の赤ん坊を預かっていた夫婦から、もう金にならないからと突き返されます。赤子を抱いて戸惑い、不安になる桜姫。元気づける清玄。と、ここまでは感謝していた桜姫ですが、祝言を挙げようと言い出すに至って驚きます。ここからの清玄が、まあヒドイ。破戒堕落してしまったからには祝言を挙げてくれって。心中の因果と思い、人のためにその無実の罪を引き受けたのではなかったの、と問いただしたくなります。報いを求めるとは、やはり弱い(俗世の普通の)人ですね。

 さらに、この子を人質に結婚を迫ろうとする入間悪五郎まで。赤子を巡って悪五郎・桜姫・清玄がぐるぐると回る場面はなんとも滑稽でした。そこから立ち回りとなり、攫ったはずの赤子を置いて去っていく悪五郎。赤子は清玄に拾われます。

 それにしても舞台装置としての赤子がちゃち。「それだと分かれば良いよね」的な簡素さがとても良いなと思いました。ここで赤ちゃんのリアルを追求すると、土手に置かれるのも可哀相だしミルクもオシメもなくて心配だし、物語に集中できなくなってしまうので。こういう割り切りは好きです。

第二幕・三囲の場

 上の巻最後となるこの場面が、とっても良かったです。頬被りでやつれた様子の清玄。色褪せた着物の桜姫。夕闇の隅田川河畔。雨の降る中、互いに満足な傘もなく、ふらふらと気力なく歩いている。清玄は赤ん坊を抱いている。桜姫に/我が子に会いたいを言いながら、もう半歩踏み込めば分かるところまで近づきながら、すれ違うふたりがとても綺麗でした。

 そこまで近づいたら分かるでしょ、とは思うんですけれども。もっと言えば、桜姫ってそれほど子どもに愛着ありましたっけ?という疑問もあるんですけれども。隅田川物であるからには、子を喪失しますよね。なんともしんみり、切なく、じわりと心に残りました。

下の巻は六月大歌舞伎

 この後は、さらに勢いづいて変わっていく桜姫。執着心の鬼となる清玄。どこを切っても悪しかない釣鐘権助。下の巻が楽しみです。必ず、今度こそ無事に千穐楽まで上演されますように。全身全霊をあげて、願っています。

お世話になりました

釣鐘権助の「欲望むき出しで身勝手 特技:悪事をはたらく」は、文化デジタルライブラリーの「はじめての歌舞伎『キャラクター100人』」から。とても面白いです。

図4