教訓20230816

弾き語りでの活動歴が長かった僕は、Bluesや Country、World musicと同じように日本のURCをはじめとする70年代フォークや、明治大正時代に歌われていた壮士演歌あたりの影響を強く受けています。

特に70年代フォークは当時の時代背景もあり、音楽の持つ影響力というものに憧れに近いものを感じていたかもしれません。

やっぱり好んで聞いていたのも色恋沙汰なカレッジフォークではなく、社会風刺や反戦メッセージを含んだ「強め」の曲ばかりでした。

コピーのレパートリーも複数有り、路上で高田渡の「自衛隊に入ろう」を歌ってたら右翼崩れに〆られそうになったのも今ではいい思い出です。
まだ音楽の力ってあるじゃん! 怖かったけど。

んで、反戦やリベラル系のイベントに出ると、この年代の曲をリクエストされることが多々あります。
その中でも特に多いのが加川良の「教訓 I 」なんです。

この曲は加川良の代表曲でもあり、反戦フォークの名曲中の名曲です。
そのためリベラル系のイベントでリクエストが多いのも納得のタイトルなのですが、僕はこの曲をずっと歌ってこなかった。
どうしても気にかかるフレーズがあるんです。

命はひとつ 人生は1回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ

青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい

御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終るだけ
命の スペアは ありませんヨ

命をすてて 男になれと
言われた時には ふるえましょうヨネ
そうよ 私しゃ 女で結構
女のくさったので かまいませんよ

死んで神様と 言われるよりも
生きてバカだと 言われましょうヨネ
きれいごと ならべられた時も
この命を すてないようにネ

加川良 教訓I

この3番目の
「女のくさったので かまいませんよ」
というフレーズが僕にはどうしても歌えないのです。
ハンバートハンバートあたりがここの歌詞を
「腰抜け ヘタレ ひ弱 で結構
どうぞなんとでもお呼びなさいヨ」
と変えて歌っているのですが、まぁそーゆー意味として女性を持ち出しているわけです。

加川良が今でも生きていたら、ここのフレーズをどのように歌っていたのか聞いてみたいところですが、僕は歌詞を変えてまで歌う気はなく、リクエストを受ける度に申し訳なさそうな顔で事情を説明しています。

この時代は放送規定が厳しく、言葉狩りに遭ったことで放送できなかった曲も多い。
言い換えれば、その部分を書き換えることで放送できたかもしれないのだが、そうすると曲の本質が変わる。
岡林信康の「手紙」という曲はまさにそうだ。

言葉や価値観は時代につれて変わっていきます。
僕は加川良の教訓 I についてはあの時代だったから歌えた曲だと思う。
その時代背景を資料や文献からしか分からない僕が歌詞を変訳するのは、曲そのものを誤った伝え方にしてしまうリスクがある。
それならハナから歌わない選択をする。

そして、反戦や反体制をテーマとした曲は多いがジェンダーに関した曲はほとんど無い、70年代フォークばかりを聞いてきた
(日本では1985年に女性差別撤廃条約を締結したことから、それ以前はジェンダーフリーへの関心も低かったのかもしれません)
平成育ちの僕は、反戦歌の名曲といわれる教訓 I の詩に引っかかりを感じることはあっても、ジェンダーといった部分まで関心が届かずにこの歳までヘラヘラ過ごしてしまった。

僕自身が立派なマチズモだったことに気付かされたのも正に教訓 I があったからだ。

僕はこの先もこの曲を歌うことはないだろうが、事あるごとに聴き続けると思う。
そして時代時代で取っては替わる違和感を反芻しながら、思考と自己否定を続けているでしょう。

「アンタいい歳して、まだこんな浅はかな次元にいるの? もう音楽辞めたら?」

自分の浅さはよくわかってます。
もう少しだけやらせてください。

追記
当記事は加川良の教訓 I についての所感です。
加川良の作品は本当に素晴らしい曲ばかりなので未聴の方はこの機会に是非お聴きいただきたい。
教訓 I も一節が気に掛かっているだけで、他の部分については素晴らしく感じています。

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