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野球紀行/メダリスト凱旋 ~保土ヶ谷球場~

 保土ヶ谷球場は、「いつものリーグ戦」というよりは、何かVIPでも迎え入れるような緊張感と期待感に満ちていた。つまり観客の、ソフトボールを見る目そのものが違っているのである。それもそのはず、今日はシドニー五輪が終わって最初のリーグ戦だから。
 シドニーでのソフトボール日本代表の戦いぶりは周知の通り。銀メダルとは言え、予選リーグと決勝トーナメントを通じて最高の勝率を残したのである。ではなぜ銀メダルかと言うと、それはシステムのせいであり、実質金メダルと言っても良いであろう事は、ここにいる人のほとんどが認めるところである。
 日立ソフトウェアと豊田自動織機の一戦。日立ソフトからは石川多映子、田本博子、斎藤春香が、豊田自動織機からは高山樹里、内藤恵美が日本代表に加わっていた。ましてや保土ヶ谷球場は日立ソフトのほとんど地元。ファンとしては、ご近所の娘さんが、ほんの少しの間にいきなり偉くなって帰ってきたような、多少のとまどいもあったかもしれない。それどころか「冷遇されていた」(宇津木妙子日本代表監督)ソフトボールという競技そのもののステータスを一気に上げての帰還である。心なしかマスコミの数も多く、ファンの様子も何となくよそよそしいような..これは考え過ぎだろうか。ただファンの、見る目が今までと変わっている事は確かだ。「ああ、オリンピックのあの人」という反応も確かにあったから。

「世界へ飛躍!!」のノボリ。後ろの入山という投手は、石川の不振を尻目に頑張った。

 そんな「今までと違う」場の雰囲気を最も象徴するのが、僕にとっては「石川のキャップ」である。
 去年のリーグ戦での石川は、確かサンバイザーか、被り物なしだった。しかし五輪での石川はずっとキャップを被っていた。つまりサンバイザーの石川は以前の石川で、キャップの石川はメダリストの石川なのである。その石川がキャップを被って投球練習をしている。だから何となく五輪のような敷居の高さを感じなくもない。別にそれでもいいのだが、僕が彼女のファンなのは、去年高崎で観たリーグ戦で、髪を振り乱して投げる姿がいかにもソフトボール少女っぽかったからだ。ではファンとしての僕は彼女のピッチングをどう見ているかと言うと、実はまだそれほどソフトの投手というもの自体を、ああだこうだ言うほどよく見れてはいない。野球にはいろんなフォームがあり、球筋やスピード、球種もそれぞれである。ソフトもそうなのだろうが、プレートからホームまで12mしかない(日本リーグ)ため、どの投手もある程度速く見えるのと、だいたいフォームが決まっているのでそれぞれの違いというものがもう一つわからないという理由である。

すごく几帳面な感じの応援風景。

 しかしアメリカのエースにして豊田自動織機の先発であるミッシェル・スミスは、石川の個性というものをハッキリとコントラストを付けて見せてくれる、ワイルドなフォームから速い球を投げる。ワインドアップから長身を翻し、微妙に落ちる球、地を這うような低目のストレート。彼女の防御率は「0.00」。球場が狭く見える程ワイルドだ。
 だから、この場でスミスと正反対に見える石川は、やっぱり「日本の女性」らしい個性を持っているのだ。
 石川のフォームは小さくまとまった感じである。僕ははっきり確認していないが、どの球種もまったく同じフォームで投げられるという。これは当然、野球でも大きな利点だ。他に僕の印象としては「コントロールいいな」というくらいで、やはり順当に抑えていく。四回には三番堀口を三球三振に。いよいよエンジンがかかってきた感じだった。1点を争う投手戦がソフトの基本というか売りだが、投手を安心して見ていられるというのは気持ちが良い。相手が防御率0.00の投手で来れば、とても勝てそうな気がしないが、勝てるんじゃないか?というピッチングではあった。

グッズを売っている。欲しい気もした。

 しかし日立ソフトも打てない。手が出ないというのはこういう事を言う、という苦戦ぶりである。スミスから点を取るというのは、仙台六大学リーグのチームが東北福祉大に勝つのと同じくらい大変な事なのだろう。
 ようやく五回に亀田悦子が初安打。しかもバントヒット。なりふり構わず、である。打てないなら足で。二盗する亀田。しかしアウトの判定。これを「タッチしてない」とアピール。何と判定が覆った。果敢に三盗も決める。ソフトのいいところは、「何とかしよう」という時、それがプレーにわかりやすく表れる事である。が、「いける!」と思いきや、後の打者が三振...。
 六回には一死から新海直子がエラーで出塁の後、僕がトイレに行ってる隙に川崎千明がヒット。今度こそ!(本当に今度こそ)という感じである。集まる内野。たぶんスミスはニヒルに「本気出すわ(フッ)」とでも言ってるんではないだろうか?と思う。しかしここは前進守備。一居理恵がその裏をかく三塁越えヒット。これで満塁。ミツバチが集団で攻撃するとスズメバチも倒せると言う。ミツバチが集まると凄い熱が発生し、それで大きな敵を弱らせる事ができるそうなのである。そんな例えを思わせるシチュエーションだ。
 しかしソフトという競技では集団で襲いかかるわけにはいかない。田本博子の投ゴロで三塁走者アウト、四番斎藤春香、三球三振...。何て厚い壁だろう。

中央に石川。何かボールに話し掛けている風だが。

 大きな敵ではあるが、スミスはカッコ良い。ソフトという、ある程度型の決まった投法の中で、最大限、力強さを、また自分を出す事ができるのだから。
 スミスが意外とてこずりながら力で抑えていくのを尻目に、石川は理詰めで抑えていく。いや、抑えようとする。宇津木監督はスピードよりも技でシドニーのメンバーを選んだ。というからには石川は「技巧派」である。しかも、自分に速球がないという欠点をキッカケに努力し、考え抜いた末に創りあげた技巧派だ。元々スピードに恵まれたタイプにはわからない、異質な努力をしてきた筈である。だけど僕は圧倒的素質を持つ者よりもそういうタイプの方が好きで、そういう人は日常の色んな場面で「いかに効率を良くするか」なんて事を考えていそうな気がする。
 石川は、味方が難しいフライを捕ったりすると、グラブを叩いて拍手をする。投手という立場でありながらそれを普通にやってしまう彼女を見て、何となく気持ちが和む。投手を見ているような、女性を見ているような不思議な感覚である。でも、あまり、打った、抑えたという事で一喜一憂しないので、もしかしたら後者を見ているのかもしれない。

結構入る客。球場によっては満員御礼になる。

 不思議な感覚。それが突然打ち砕かれた。七回表、高崎の時と同じだ。「石川さん頑張ってー!」という少女ファン(いかにもいそうだ)の声援が空しい。
 石川のシドニーでの成績は、17.1イニングを投げて自責点4、防御率1.62というもの。野球ファンの感覚では素晴らしい成績なのだが、日本代表の投手陣の中では最低なのだ。そう、ソフトでは一度の失投で勝負が決まる。五番清水幸美のソロホームラン。1-0の敗戦、悔やみきれない一発である。
 メダリストの凱旋登板は、苦い結果に終わった。シドニーによる「燃え尽き症候群」と言われた石川の不振は、しばらく続く事になる。しかし11月、京都での決勝トーナメントで、宇津木監督率いる日立高崎を無安打1失点に抑え、創部16年目の日立ソフトウェアに悲願の初優勝をもたらした。
 次はアテネだが、どうなるだろう。代表に入れるだろうか、入れないだろうか。その時まで、野球を旅する傍ら、応援していそうな気がする。(2000.10)

[追記]
 石川多映子は2002年シーズンを最後に引退。プレート~ホームベース間が1m長くなった事が響いたと言われているらしい。郷里の「栃木市スポーツ協会」で仕事をしている事が2023年の段階ではわかっているが今現在はわからず、大平町役場に就職したとかいう情報があったがいつのものかわからない。結婚して子供もいるわけだからあまり特殊な事にはなっていないのだろうが、あれだけ活躍した選手にしては情報が少ない。五輪当時はたまにテレビに出ると口下手な印象だけ与えて終わりという感じだったが、それだけに苦労もしてきただろうから、若い世代に語って欲しい事はある。

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