見出し画像

野球紀行/川崎球場は死なず ~川崎球場~

 チープなシート、狭いグラウンド、井戸の底のようなライトスタンド...。それらすべてに別れを告げるために、川崎球場にとっては野球場としては最後の勤めになる「かながわ・ゆめ国体」を観にやってきた。
 しかし、「これで最後か」という時によくある感慨のようなものがない。というのは、国体の約2週間前に、ある人から「川崎球場はなくならない」との怪(?)情報があったからだ。その人はわざわざ球場に直接問い合わせたという。それが事実なら、この日まで「川崎球場最後の日」に思いを馳せてきた僕を含む一部の川崎球場フリークは結構マヌケである。「川崎球場のトイレで最後にウ○コするのは俺だ」などとイキまいていた人もいたかもしれない。にわかに信じがたいので、僕も解体の予定について球場に直接問い合わせてみた。するとやはり「そのような事実はありません」との返事。「そのような事実はない」という言い回しまで、怪(?)情報メールと同じだった。似たような問い合わせの相手ばかりさせられて辟易しているのかもしれない。実際、国体後に取り壊されると報道されていた筈なので、どういう経緯でそういう事になったのか尋ねても「そのような事実はない」の一点張り。こりゃ、何かある。

グラウンド全景、変わらぬ姿。

 非常に安心な、しかし肩透かしを食らったような心境で川崎球場へ向かう。駅から球場へは歩いて行くのが一般的で、ルートとしては国道132号を真っ直ぐというのが更に一般的だが、僕は地下街「アゼリア」を抜け、裏路地を行くコースをとる事にしている。地下街の賑わいと、繁華街の路地、立ち飲み酒場、住宅地。静寂と喧騒...。川崎という街のエッセンスの一部が、このコースに凝縮されている。
 繁華街を抜けると、空気が変わる。五感が静寂を感じるのとほぼ同時に、あの鉄骨むきだしの、無骨な、明らかに時代遅れの照明塔が視界に入ってくる。ナイトゲームでプロ野球をやっていた時は、この静寂が、街の喧騒と球場の一種野蛮なざわめきを結ぶトンネルのようなものだった。しかし今は、この球場の老いた姿は静寂の延長にある。
 しばらく尋ねないうちに、ずいぶん老けたように見える。外壁を塗り替えたり、人工芝を張ったりした頃は、年増の厚化粧を思わせたが、そんなごまかしも効かないようだ。「もう歳だな」。そんな言葉がつい出てきてしまうのだった。

球場名物ラーメン。

 そんな川崎球場に、最盛期とは比べるまでもないが、しばし歓声が戻ってきた。
 神奈川国体。言わずと知れた国内のオリンピックである。球場前は、記念のノボリが立ってたり、アトラクションの練習をする一団があったり、ひと頃の賑わいが戻ってきたようだ。何より嬉しいのは、あのラーメン小屋が営業している事だ。それほど腹が減ってるわけではなかったが、食べておかねば今度いつ食べられるかわからない。あっさりながらコクのあるオーソドックスな醤油味は健在。ここで新事実が。以下、おばさんの証言。

「川崎球場、なくならないんですか」
「お金がないみたいでねえ」

 本当に、意外な場所で事の真相を知る事に。ラーメンの話に戻るが、麺の方はやや貧弱で、早くのびそうなので、球場までは持ち込まず、ここで食べてしまう事を勧めたい。スタンドに腰掛け、久々の味を味わいながらの実感である。

スタンド点景。

 かってのデーゲームでの、不入りの時のオリオンズ戦並みの賑わいだろうか。それでもさすがに全国規模の大会。郷土の代表が集まるだけに熱の入った応援ぶりが楽しい。
 さて国体では、野球は何故か公開種目という事になっている。何となく野球という競技の立場の難しさを感じる。その野球にも硬式野球と軟式野球があって、ほんとにアマチュア競技と呼べるのは軟式の方である。国体でいう硬式野球とは「高校野球」なのだ。余談だが、僕はこういう時こそ社会人クラブチームが脚光を浴びるべきではないかと思っている。
 その軟式野球は、成年一部一般、成年一部壮年、成年二部に別れ、壮年というのは40代以上で、川崎球場で行われているのは、最もレベルが高い成年一部一般の部。つまり普通の社会人野球と同じ年齢層だが、二部との明確な線引きについてはよくわからない。とにかく国体の軟式野球の成年一部一般と言えば、天皇賜杯全日本軟式野球大会(年に一度の国内最高峰の軟式野球大会)と並び称されるほどの存在らしい。国体の軟式野球というと、凄く地味な印象を受けるが、神奈川国体のマスコットキャラ「かなべえ」は、スタジオジブリのデザインによる。だから何だと言われても困るが。

「リコー」と企業名丸出しで応援。

 試合は神奈川県のリコー野球部と、島根県の山陰合同銀行野球部。しかしそういう正式なチーム名は、始終、表示もアナウンスもされず、「神奈川県チーム」「島根県チーム」とアナウンスされるが、応援団の方は企業名丸出しで応援する。意識の違いか。
 僕は、軟式野球とは「見るものではなく、やるものだ」という考えがあったのだが、実際に見るとやはり草野球とはレベルが違う。神奈川の小林投手は、常時 130キロ台は出ているのではないだろうか。硬式ならもっと出るのでは?何で軟式をやっているのかと思うくらいだ。その小林からよく得点圏に走者を進める島根だが、ここぞという所で一番いいストレートを投げる小林を結局打てず。島根の左腕、松岡は小林程のスピードはないようだが、左特有のクセ球で勝負というタイプ。八回にはいきなり球が走りだし、三者三振に仕留める。試合は3-1で神奈川が勝つが、軟式野球にちょっと注目したくなる程の内容である。

川崎球場すぎる光景。思わずモノクロに加工してしまうのだった。

 軟球を金属バットで打つと、「スパーン」という音がする。硬式との違い、つまり硬式のようなダイナミックな爽快感のなさが、この音に凝縮されているのだが、球が飛ばない事と、硬式ほど球が怖くない事と関係があるのか、最後まで両軍エラーなしである。球はとにかく飛ばない。外野の頭を越える事はほとんどなかった。エラーがないのは球のスピードと関係があるのかもしれないが、凡ミスのない試合を観たい、という向きには案外軟式野球が向いているように思う。
 そんな風に観ているうちに、硬式との違いというものが何となく見えてくる。と同時に川崎球場という器が、軟式野球の舞台にすごく合っているように思えてきた。めったに打球がフェンスに届く事はないから、あの狭いグラウンドでもいいし、ゴロの速さも硬式ほどではないから人工芝でもいいのではないかと。応援の定番ソングを一通り心得た神奈川応援団、大人しい島根側応援席、どちらともつかない見物人、試合に退屈してか、僕の前を「すいませーん」と言って走り去る子供...。この中の何人が、その事に気付いているだろう。

トーナメント表に見入る人々。

 球場正面に掲げられたトーナメント表の周りを、多くの人が取り囲む。トーナメント表が注目されるという事は、大会が盛り上がっているという事だ。そして勝った神奈川の身内が「こんな大きい大会でいい試合ができて」と喜ぶ。プロ野球ファンに見向きもされなくなり、そのまま最期を迎える筈だった川崎球場。しかし臨終の床に、思わぬ別種の野球ファン達が駆けつけた。川崎球場は気丈に言い放つ。「まだ死なんよ」。
 市の財政難という意外な事情で寿命を延ばした川崎球場。しかし、この球場に染み込んだ「何か」の意志がそうさせたのだと、僕は思っている。結論を言うなら、川崎球場は「軟式野球のメッカ」にふさわしい。僕はこの日、そう感じた。できれば川崎市にもそれを知って欲しい。
 そうだ、まだ死ぬな。(1998.10)

[追記]
川崎球場は2000年3月26日のオープン戦「横浜×ロッテ」を最後のプロ野球とし、グラウンドと照明以外の部分は取り壊された。その後「株式会社川崎球場」の管理となり、本編で希望した通りしばらくは軟式野球場として残る事になる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?