見出し画像

手塚治虫の野球漫画?

『タイガー博士の珍旅行』(1950)

 手塚治虫が唯一手を出さなかったジャンルがスポーツもの、と言われる。しかしこんな昔に野球チームが主役の作品を描いていたのだった。

 内容は野球漫画と言えるかどうか微妙だが、インチキなトリックを駆使するチームと対決したりするのでそう言えるかもしれない。しかし野球という枠に収まらないテーマ性とストーリーの構築技法が当時の漫画としてはやはり凄かったんじゃないかと思う。

 氏がスポーツに手を出さなかったのは、本人が運動音痴だったからという説があるが、後にアトムやレオがプロ球団の意匠に使われるようになったように、常に戦後復興の傍らにあった野球には何か感じるものがあったんじゃないだろうか。当時のアメコミっぽい絵柄で描かれたユニホーム姿の選手が凄くサマになっているのを見ると、スポーツにコンプレックスのような感情を持ちながらもしっかり漫画の題材として見ていたのだと思う。

 あらすじは以下のようなもの(ネタバレあり)。日本の野球チーム「タイガース」は試合をするためにスター国へ向かっていた。途中立ち寄ったペタコン王国では王子の教育方針を巡ってファビオラ大臣とレベッカ夫人が対立していた。伸び伸びと遊ばせるべきだという大臣と、勉強だけさせるべきだという夫人。大臣は王子に野球を教えて欲しいとタイガースに頼もうとする。夫人はそれを妨害するが王に即位した王子に嫌われ追放される。その腹いせにタイガース一行を変な筒に閉じ込めてどこかアラブっぽい国に飛ばしてしまう。

 アラブっぽい国では魔法博士がインチキ魔法で王をたぶらかし実権を握っていた。王はタイガースの人たちに「野球というものを見せてみろ」という。王は一目で野球を気に入り、魔法博士はボールがまったく捕れず、恥をかかされたのを根に持ってタイガースに野球の試合を挑む。

 魔法チームはインチキトリックでタイガースを翻弄するが、タイガースの監督タイガー博士にトリックを見破られると形勢は逆転。王は改心し、タイガースはラクダに乗って旅立つが、砂漠の途中でラクダが倒れてしまう。魔法博士がラクダに毒を盛ったのだ。

 一行は巨大な蟻塚に逃げ込む。そこでは巨大な働きアリが機械のように働いていた。そんなアリたちに一行は「人間らしい心と生活」を説く。人間のようになったアリたちだが、同時にサボったり不満を持ったりするようになり、ついには暴動が起きる。

 間一髪逃げのびたタイガースを救ったのはスター国の飛行機だった。しかしその飛行機にはレベッカ夫人が乗っていた。「泣きも笑いもしない女」として研究の対象になるところだった。

 スター国では科学党が政権を握り、高度な文明を築いていた。機械文明を否定し政権奪取を狙う自然党はレベッカ夫人に近付き、タイガースとスター国のオットセーズとの試合を妨害するよう仕向ける。国の動力が集中する宇宙線塔を壊せというのだ。

 そして試合中に照明が消える。ここぞとばかりに「機械文明に頼りっぱなしで良いのか」と演説する自然党党首。そして政権交代(笑)。

 原因を調べに宇宙線塔に上るタイガー博士たち。しかしレベッカ夫人に銃をつきつけられ万事休す。救出のために救助隊が塔に上ろうとするがエレベーターなどは使えないので人力で足場を組む。らちがあかないので風船で食料を届けようとするが風船一個が500円もする。モノを作るコストが高騰したせいだ。もちろん自動車も使えない。自然党党首を乗せた馬車は暴走し池に転落。風邪をひいた党首は病室で科学党党首に遭遇。これからはお互い協力して行こうと和解する。

 そこでようやく宇宙線塔の頂上に救援が到着(笑)。銃撃戦の末レベッカ夫人は降参する。皆で風船で降りようとするが(風船が買えるようになったのだろうか)太っているタイガー博士だけ腰に風船をつけられず、足に風船をつけたまま逆さまの格好で降下。それを見てはじめてレベッカ夫人が笑った。

 限られたページ数にこれだけのメッセージ性を盛り込む力量に唸ってしまう。なるほどステレオタイプなスポーツ漫画など手塚治虫が描かない理由がよくわかる。そんな中で氏が一応野球好きである一面を思わせる台詞がいくつかある。

「ビッグニュース!」「どうした国鉄が優勝でもしたか」
「これが川上これが青田の背番号これが小鶴これが藤村...」
「野球がアメリカではじめられたのはダブルデーという人によってである」

 一応氏にとってプロ野球という存在が日常であった事を思わせる。アブナー・ダブルデーが野球の始祖であるという説は今日では否定されているが、その説が唱えられてから半世紀近く経っても結構信じられていたんだなというのがわかる。ちなみに2001年になっても大和市引地台球場のコンコースにはこの説を引用した掲示がされていた。

 野球アメリカ起源説をゴリ押ししようとしたA.G.スポルディングが、かって野球のデモストレーションのために自分のチームを引き連れ世界を旅し、皆でピラミッドに登るなど現地の人を驚かせたエピソードがあるが、博識な氏の事、この『タイガー博士の珍旅行』はそのエピソードが案外下地になっているのかもしれない。アラブっぽい国を登場させ「野球を知らない国」としたあたり、もしや。

 本作はこれに収録されている。

 スポルディングの世界野球行脚については以下に詳しく書かれている。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?