球宴ファン投票、第1回中間発表 日本ハム最多6人トップ…広島、ロッテ、楽天はゼロ
オールスターのファン投票を日ハム勢が席巻した、という話を聞くと、どうしても昭和53年、日ハムの公式ファンクラブ「少年ファイターズ会」による組織票を思い出してしまう。何と8人が1位で選出されてしまったのだ。ただし三塁の古屋英夫と遊撃の菅野光夫に関しては実績に乏しく「相応しくない」とのことで球団の方から辞退する結果となったが(古屋は翌年、実力で出場を勝ち取った)、逆に言えば他の6人に関しては選ばれても文句の出ない活躍をしていたという事だった。
私は前年の昭和52年、この組織票に加担していたのだが、その時は機構が怪しむほどの成果がなく、組織票なんてやってもこんなものか。やっぱり甘くない世界だなと思って終わりだった。
それが1年後にはこの成果である。一体昭和52年の日ハムと昭和53年の日ハムの何が違ったのか。
昭和53年は日本ハムというチームがはじめてAクラス入りを果たした年だった。また観客動員でパ・リーグのトップを行くなど経営努力が実を結び、勢いがついてきた年だったという事は言えた。
この時、組織票がはじめて問題視されたわけだが、今思うと何が問題だったのだろう、という気はする。
球団が少年ファンに「みんなの力でファイターズの選手をオールスターに出そう」と呼びかける。これは何も問題はない。この投票用紙を使ってね、と。これも問題ない。一人が5枚出すというのはどうかとは思えるが、ルール上は問題なかった(手書きでないといけない決まりはあった気がする)。組織的な動きであろうとなかろうと、反映されるのは個人の意思である。球団が「ファイターズの選手に投票してね」と呼びかけても、投票したくなければしない自由はある。
それから何年か後、ヤクルトから中日へFA移籍して活躍できていなかった川崎憲次郎投手に一人で票を集中させ晒し者にするという悪質な行為をするする者がいて問題になったが、そういうのとも本質的に違う。
あくまで「清き1票」が支えてきた歴史で毎回思うのが、各チームの人気差とかに関係なく、その時勢いのあるチームから多くの選手が選出される傾向が強い事にプロ野球ファンの良心みたいなものを感じる。つまりどこのファンであれ、贔屓チーム以外の選手が大活躍をしても素直にその実力を認め彼に投票するという行為に、全チームのファンが互いに培ってきた紳士協定というか仁義というか精神的土壌があるのだと。
私自身はオールスターの投票など子供の頃以来やっていないが、この時期になるとそういう「プロ野球ファンの良心」のようなものを感じてホッとしたりするのだった。
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