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野球紀行/「決勝」が観たい! ~天台球場~

 意外と思われるかもしれないが、僕は「決勝」というものを観た事がない。別に意識的に避けていたわけではなく、例えば、見たいチームを確実に見るには、どうしても「見れるうちに」という事になるし、「色んなチームが集まる」というのは、トーナメントの面白さの中では大きな要素だ。だからトーナメントの場合、会期の最初の方に興味が集中するのはいたしかたない。
 が、大会の熱気に触れたら、どうしてもその「頂点」まで立ち会いたいと考えるのが普通である。それでも決勝まで進んだ頃には、他の事が優先になってしまいがちだ。そうこうしているうちに僕は生の「決勝」を見落とし続けてきた。
 もっとも、先日観た社会人野球の関東地区主催大会で、準決勝と同日の決勝を「ついでに」観はしたが、わずか8チームの参加で、しかも準決勝と同じ日に済ませてしまう「決勝」では、僕の「決勝欲」を満たすにはもう一つ足りない。なるべく参加チームが多く、野球熱が高く、かつ「勝った方が甲子園」くらいの緊張感がある事が望ましい。ストライクなら右から、ボールなら左から、一球ごとに上がる歓声。観客の誰もが一瞬たりともゲームの動性を見逃さない。そんな熱気に僕は陶酔するだろう。さらに、決勝の日は決勝以外の事は行ってはいけない。決勝の日は決勝のためだけにある。

賑わうチケット売場。期待が高まる。

 そんな「決勝」が、かなり強烈に観たい。チームはどこでも良い。
 と思っていたのがちょうど高校野球の春季大会が、どこの地区も終盤に差し掛かる時期だった。この日、決勝を行う野球王国はどこか?それは千葉だ。迷う事なく、天台球場へ。
 春季大会というと、千葉の場合、優勝しても関東大会に進むだけなので、夏の選手権ほどの趣はないかもしれない。しかし野球王国千葉である。千葉である事自体が、僕に至福の時を提供してくれるだろう。
 しかし千葉で、しかも天台球場というのも不思議な縁である。小学生の頃、家にUHFの電波が入るようになると、大した番組もやっていないのに、もの珍しさで千葉テレビばかり見ていた事がある。ちょうど夏の甲子園の予選を連日中継していた時期で、僕はブラウン管ごしにその熱気が日増しにヒートアップするのを感じていた。中継されるのはもっぱら天台球場での試合が多い。そして決勝。千葉商が甲子園の切符を掴んだその年に、「決勝」の魔力は僕に刷り込まれていたのかもしれない。今日の舞台が千葉で、しかも天台球場というのは、たぶん潜在意識というものの働きだろう。

春季大会でもよく入っている。さすが千葉。

 さてその決勝に残ったのが東金商と八千代松陰。決勝らしい顔合わせだ。メインスタンドはよく入った方だろう。一応、決勝に相応しい演出はそろったと言って良い。欲を言えばチケット売り場に並ぶ人々の表情にもっと「今日が決勝だ」という殺気があってもよかったが、これはさすがに「甲子園」を賭けていないせいだろう。
 東金商の小高と八千代松陰の箭内(やない)は共に右の正統派。僕はどちらかと言うと投手戦が好きで、しかも双方がタイプの違う投手というのが理想なのだが、決勝となると、タイプはダブってもいいから「本格派」を期待してしまうのである。さらに、本格派と呼ばれる投手は、要所で右打者の内角をズバッと攻める事ができなければならない。
 ところが二人ともタイプが同じ上、攻め方が外、外、外...。内角を攻めようとするととたんに球の力が落ちるか、コントロールがなくなる。箭内は二回裏、2死球。内を攻めるのは苦手らしい。八番山下にレフト前へ運ばれ満塁になると、九番片岡センター前2点タイムリー。一番土屋にはスクイズを決められ、3点を失う。

試合寸景。

 小高は三回、二死二、三塁で四番田島を外、外、外で追い込むも、さらに中途半端な外へ逃げる球をセンター前にはじき返され2点を失う。2点目は本塁アウトのタイミングだったが空タッチ。これは捕手が悪かったか。とにかく投球が単調な印象だった。方や松陰は四回裏一死二、三塁で背番号1を付ける若米に交代。控えの投手で四回まで行って、そこからエースにつなぐという継投は、高校野球ならではで、プロでは見られない。
 しかしマリーンズの応援団がよくやる「レッツゴーボーリック」を東金の応援団が、「いわいわおー」を松陰の応援団が真似をする。地元のプロ野球が高校野球に影響を与えているのを見ると、あれも千葉独自の文化として定着しつつあるのかもしれない。
 千葉のプロ野球と言えば、マリーンズが千葉に移転してくるまでは、僕の中では割と冗談抜きで「千葉パイレーツ」だった。

スタンドの熱気と裏腹に、のどかな外野席。

 漫画の中で、ある日パイレーツが、地元の強豪校と試合をするという情けない話があった。強豪校のキザなエースが、「千葉の高校野球のレベルは全国でも屈指なのに、プロ野球はゴミクズなんだから笑っちゃうよな」とパイレーツの犬井犬太郎を挑発したのだ。この時、エースのズボンのチャックが開いていたのを犬井が笑ったため、怒ったエースがパイレーツに挑戦状を叩きつけた。これは当然、ギャグ漫画だが、千葉の高校野球が千葉県にとってただならぬ存在であるのは事実で、この一見現実離れしたエースの不適さも、あながち嘘ではないようにも思えた。
 若米はスピードもあり、コースを突く事もできる。松陰は五回、依然単調な小高から三番高橋が三塁線を抜き3-3の同点に。外角攻めで切り抜けてきた投手は、いずれつかまるのかも。流れが松陰に傾くのを感じる。六回裏、待っていればファールの打球をサード水谷さばいてアウトに。その後、一塁走者を牽制アウト。守備も乗ってくる。
 いつ松陰が勝ち越すか、そこに興味が集中するが、小高がパターンを変えてきた。内角をズバッと突いたのち、外角ギリギリで三振を奪うという、人格が入れ替わったかのような投球を見せた。試合は3-3のまま当初の緊張感を取り戻す。右から左から、途切れる事のないかけ声。満員というわけではないが、座席でない場所にまで人が座っている、一昔前の野球場そのままの光景。これは、千葉の高校野球の決勝なのだ。まったくダレる事なく延長に突入。ここまで来ると、守りの乱れが勝負を決める。そんな予感がしていたら...。

昔の野球場を思わせる光景。

 十回表の松陰。一死から三番高橋の遊ゴロがギリギリでヒットに。すかさず二塁へ走るが、捕手藤平の送球がオーバー、高橋は三塁へ。田島二フライに倒れるも、小高、また単調な外角攻めに転じ、五番染島に外、外...。2-1からまた外に逃げる球を実に順当にライト前へ。ついに勝ち越し。
 藤平はその裏死球で出塁。バントで二塁へ進み、小高のライト前ヒットで汚名挽回を焦ったか、本塁を欲張った。これで二死。
 動揺は、ゲームを壊しも、盛り立てもする。しかしギリギリのところでお互いが自らのプレッシャーと闘う様を見ると、大いに意味のある動揺と言える。七番斎藤を2-2まで追い込むと、捕手高橋が前へこぼし、走者二塁へ。あと一球、しかし一打同点。決勝にふさわしい決勝だ。そんな「決勝浴」を堪能し、ふと気を抜いて、松陰の歓声に我に返り、視線を落とすと、斎藤が悔しそうにバットを叩きつけていた。
 単純に楽しんでしまう事に罪悪感すら覚えるほどの真剣勝負が「決勝」だ。もう閉会式の余韻もいらないという程に堪能した僕は、早々に球場の外に出て、天台球場のエントランスを見ながら「やっぱり天台球場と、パイレーツの千葉球場は別だな」とか考えていた。球場からお偉いの挨拶が聞こえてくる。適当に聞き流していると、聞き捨てならない一言に一瞬、硬直する。
「どちらも関東大会で精一杯...」
 そうだ、決勝に進んだ時点で松陰も東金も関東大会に進む事は決まっていたのだ。ではこの決勝は、別に何も賭けていない、優勝を決めるだけの決勝ではないか。騙された(笑)。
 もはや決勝中毒の僕は、さらに強い「決勝」を求め、次の機会を待つ事になる。(2001.5)

[追記]
 考えてみれば「甲子園の決勝」と「甲子園を賭けた決勝」はどちらが熱いか。よほどの強豪以外にとって甲子園で勝つことより甲子園に行くことの方が、確率から考えてもバリューが高いのかもしれない。特に神奈川くらいの激戦区ならば。対して甲子園の決勝は、文字通り終わったら終わりで続きはない。
 しかし現場の熱量を考えるとやっぱり前者だろう。

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