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文章を書くこと

こんばんは、初めまして。

つい最近、Twitterでnoteというものを投稿している方を見つけて、覗いてみた。
彼女は自分の祖父のことを綴っていて、その活き活きした文章に私は心が躍った。
最近仕事が終わると疲れ果て、休日も趣味が無くだらだらと過ごしていた自分だったが、そのnoteを読んで思い出した。
私は文章が好きだ。

幼い頃から文章や絵で自分の思い描いたものを表現することが好きだった。
家には絵本がたくさんあって、祖母が毎日読んでくれた。
そのうち、自分で絵本を作って遊ぶようになった。
「こぐまちゃん一家」というクマの家族をえがいた絵本シリーズを書き溜めた。
これがまた適当な名前をつけられたクマの兄弟が山ほどいる設定で、今なら絶対に思いつかないような内容である。
小学校低学年だった私は家族にその出来を褒められて得意になったものだ。
「こぐまちゃん」の絵本を担任の先生に読んでもらったこともある。
当時読んでいた『小学○年生』の雑誌を真似て雑誌を手作りしたりもした。
ご丁寧に目次もあれば手の込んだふろく付きで。

本もたくさん読んだ。
それを真似て文章を書いた。
小学生の私は少し引っ込み思案だったが、夢中で絵本や小説(と当時は信じていた)を書いている時は自分の世界に浸れるので楽しかった。

中学、高校になっても時々パソコンで誰も読まない文章を書いてみたり、日記に思いを綴ったりした。
年頃の私は家族にも、友人にも、文章を書いていることを言わなくなった。
私の絵や私が書いた学級新聞は大人になっていく友人たちには興味の無いものになって、残酷にも私は「陰キャ」と呼ばれるようになる。
オシャレやイケメン俳優の話題は分からなかったが少しずつ私は絵や文章から離れて皆に話題を合わせるようになった。
そりゃ友達に見放されるほうがこの頃は恐ろしかったから。
絵を皆のノートに描いてあげて人気者だった時代はすぐ終わった。

大学生になり、一人暮らしを始めると勉強やバイト、友人たちとの時間が1番楽しいものになる。
絵を描くことも忘れて過ごしていたけれど、専攻が英文学科だったので文章にたくさん触れることができた。
皆が嫌がるレポートが1番楽しかった。
お気に入りのアメリカ文学作品を何回も何回も読んで変態扱いされていた。

文章を読むことも書くこともなくなったのが社会人になってから。
仕事中もパソコンしか使わない、スマホばかり、疲れて帰って来ると本を読むことも日記を書くことも無くなってしまった。
時々文章が書きたくなったりするけれど、どうやら創造力も無くなったようで手が進まない。

いや、そうじゃない。
純粋に表現することが怖くなっているんだな。
子供の頃は誰に何を言われるかなんて気にもせず、自分の好きなことを突き詰めて表現して自由だった。
大人になると人にどう自分が映るか、自分の創り出したものが良いか悪いか、そんなことを考えるようになってしまっている。
今はSNSで誰でも好きなことを表現できる代わりに、批判や誹謗中傷を覚悟で発信しないといけない。
そういうものを目の当たりにして自分にストップをかけているんだな、きっと。

だけどここならきっと皆が思い思いの表現で自分を伝えておられる気がする。
まだ使い方も何も分からないけど、分からないままでも良いからこの素敵な場所で自由気ままに文章を書きたい。
現実に引き戻されて面白くない社会人に戻る時もあるかもしれないけど、思い出したらここに書きたい。
語彙力なんて無いけど書きたい。

自己満足だけどふらっと流し読みしてくれる方がいるかもしれない。
よろしくお願いします。

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