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うちの父がパパ嫌期を回避できたわけ

私は娘の立場であるが、生まれてから30年過ぎた現在まで、一度も父を嫌だと思ったことがない。

周りの同世代の友人のほとんどが、思春期の頃やひどいと大人になった今でも、父親を邪険にしていたように思う。

他の父親を知らないのでなんとも言えないところではあるが、どうやらうちの父はかなり「わかる」方だったらしい。

父は基本的に優しく穏やかで、めったに怒ることはなかった。そのため、必然的に子供を叱るのは主に母の役目だったようだ。
しかし母からの小言に慣れてしまった私たち姉弟が次第に調子に乗り、それに手を焼いた母に「叱れ」と言われて初めて父が「叱る」というのがいつもの流れだった。

父はとにかく良き理解者であった。

小学生の頃、友人関係の悩みを母に相談したところ、母からは「もうその子とは遊ばなければいい」と一刀両断された。
今となっては、娘が平和な学校生活を送るために母ができる最良のアドバイスだったのだろうと思う。
しかし、当時の私は「母に相談しても全く共感してもらえない」と感じてしまい、それ以来学校や友達関係の相談は父にすることが多くなっていた。

子供のイヤイヤ期に向き合う際のアドバイスとして、「まずは子どもの気持ちに共感する声かけをしましょう」というのは必ず言われることだ。
父がやってきた育児はまさにそれであり、イヤイヤ期だけでなく思春期以降も変わらず有効な手段なのだと実感した。

別に父が特別気の利いたアドバイスをくれたわけではない。ただ、いつも子供らの相談に対して「そうだよなぁ。分かる分かる。」と共感し、さらに「俺も○○のとき〜だったなぁ」「俺も会社でこんなことがあって〜」と自分の経験を話してくれたのだ。

父に悩みを相談して解決はしなくとも、「パパも子供の頃は同じだったんだなあ」「大人でも悩むことがあるんだなあ」と思うだけですごく安心できたのである。

普段大したアドバイスはできない父だが(なんかごめん)、父が話してくれたエピソードで個人的にすごく気に入っているものがある。

父の実家はかなり田舎の方で、近所には田んぼやそのための用水路がどこにでもあったそうだ。
父が小学1年生の夏、学校からの帰宅途中に誤ってランドセルごとその用水路に落ちてしまった。夏の用水路は水量も多く、流れも速かったそうだ。
父はそのとき、「自分はこのまま死ぬんだ」とわずか7歳にして死を悟ったらしい。

幸いなことに、途中の分岐路でランドセルが引っかかり、なんとか這い出ることができたので命は助かった。
父曰く、「俺はあのとき死んでたかもしれない。だから、その後の人生は生きてるだけで十分ラッキーだと思っている。」らしい。

そんな父なので、子供の頃「今日は全然眠くならない。朝になっても寝られなかったらどうしよう。」と不安で相談したときも、「人間1日くらい寝なくたって死にゃしない。逆に何時まで起きてられるか試してみればいいじゃねえか。」という答えが返ってきた。

そんな「生きてるだけで十分」スタンスの回答が、これまで何度私の心を軽くしてくれたか分からない。

将来自分が娘から何かしらの相談を受けたときに、正論を伝えるだけでなく、父のように子供の気持ちをすくってあげることができるだろうか。

父の姿は、私にとって親としての理想である。


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