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少女漫画脳だった私の育児

「少女漫画脳」とは、幼少期より少女漫画を摂取し続けるうちに、現実と漫画の世界を混同してしまっている乙女の思考回路のことだ。

この「少女漫画脳」が一般的に許容されるのは、少女のうちだけである。

大人女子が「少女漫画脳」を露見させるのは、社会的信用を著しく損ねる恐れもあり、非常にリスキーだ。

「少女漫画脳」ができあがるのに、何も特別な要素は必要ない。

そもそも幼少期は誰だって、現実と空想世界との区別が曖昧なものだ。

テレビの戦隊モノや魔法少女モノに投入して遊んだ記憶がある人も少なくないだろう。
また、ごっこ遊びやままごとなどで、人形やぬいぐるみを擬人化して遊ぶことも同様だ。

しかし、多くの人はそのような時期を経て、だんだんと現実と空想世界とのギャップを受け入れていく。

最たる例は、サンタクロースの正体を認識する過程だ。

絵本やアニメはもちろん、周囲の大人たちによってもサンタクロースという概念をインプットされた子どもたちは、クリスマスにプレゼントが届けば当然無邪気にサンタクロースの存在を信じて疑わない。

しかし、子どもの成長により次第にその神秘的な存在に「?」が生じ始める。

「どうしてサンタクロースは僕の欲しいものがわかるの?」
「どうやってサンタクロースは世界中にプレゼントを届けているの?」
「サンタクロースって一体誰なの?」

こうして、子どもたちは日常の経験や学習からそれらの疑問に対する現実的な答えを導き出していくのだ。

私の場合、最終的にサンタクロースの正体を確信したのは、中学生になる直前だった。
かなり遅い方だったと思う。
うちの両親は最後まで意地でも認めなかったのだから仕方がない。
それでも確信してしまったのは、その年の私のクリスマスプレゼントが、ツリーにつるされた五千円札だったからだ(一応キレイに包装されていたのが余計に悲しかった)。

人より時間をかけてサンタクロースに関しての現実を知ったわけだが、おかげさまでその間に「少女漫画脳」の強固な基盤が出来上がっていた。

「少女漫画脳」は、何も少女漫画からの情報が全てではないと個人的には考えている。

もちろん女児向漫画は小学生になってから好んで読んではいたが、そもそもその前から見ていた魔法少女系アニメや絵本、児童文学、ジブリ映画なんかから受ける影響もかなり大きい。

つまり、「少女漫画脳」も大別すれば「メルヘン」とも言えるのではないだろうか。

そんなわけで、バリバリの「少女漫画脳」だった私の日常は実にメルヘンなものだった。

朝起きて青空が出ていれば、「今日はなんだか素敵なことがありそう」と胸を躍らせる。

散歩中に春の訪れを感じれば「つくしさん、おはよう」と(さすがに)心の中で挨拶をする。

図書館で本を読みながら、「もしかしてこのあと素敵な好青年が急に目の前に座って、恋が始まるかも」という類の妄想を常に夢見る。

しかし、いわゆるティーンになりそんな自分の「少女漫画脳」を否定しなければならない場面に遭遇するようになる。

中でも印象的だったのは、中学生になってすぐのある出来事だった。

中学生になると、他の小学校区からも人が集まり、それまでとは異なる価値観を持つ人々も増えた。

小学生までの私は、メルヘンフィルターで常に自分が物語の主人公として生きていたため、アニメのキャラクターのように自分の事をニックネーム(らんまる)で呼称していた。

中学生になり1週間程経過したある日の放課後、下駄箱の辺りで他の小学校だったクラスの女子数人の楽しそうな話し声が聞こえ、思わず立ち止まった。

「らんまるはね〜!」
「らんまるも○○する〜!!」

と、どうやら私のモノマネをして盛り上がっているらしかった。

本人の登場に気付いた女子たちは、きまりが悪そうに立ち去っていったが、私は目の前で起こったことの衝撃で、しばらくフリーズしてしまった。

もしかして、私って「ズレ」てる?


そのときに初めて、メルヘン世界のまま現実世界を生きることに危惧を感じた。

いくらメルヘンフィルターを通して過ごすとはいえ、いじめにあって孤立することは全く望んでいない。

それ以来、わたしは自分の中の「少女漫画脳」をひっそりと心の中にしまいこみ、時々誰もいないときに一人でひっそりと楽しむようになっていた。

そんな私も(「少女漫画脳」のおかげで苦労はしたが)結婚し、娘が生まれた。

子育てにおいて、まだ話す前の赤ん坊の頃から「声かけ」をすることが推奨されているらしい。

もともとおしゃべりは好きだったが、娘と近所を散歩しながら、
「今日は空が青くて気持ちがいいね〜」
「チューリップさんがたくさん咲いてるね〜」
と、久しぶりに堂々とメルヘンフィルター全開で過ごせることに気持ちが満たされるのを感じた。

そのおかげで、まだしゃべらない赤ん坊との会話も全く苦に感じず、自然と毎日たくさん声かけをしていた。

娘はあっという間におしゃべりになり、4歳となった現在、絶賛現実と空想世界とのごちゃ混ぜ期である。

風が吹けば、「あそこの木さん、わたしに手を振ってるよ」と言い、野良猫を見つけては「猫ちゃんどうしたの?お腹空いてるの?」と話しかける。

ときどき、空想の生き物の存在をチラつかせることもあり、流石の私も戸惑うほどのメルヘンぶりであるが、そんな娘は毎日とても楽しそうに過ごしている。

もしかしたら成長と共に現実主義者になるかもしれないし、私のように「少女漫画脳」のまま成長してどこかで傷つくことになるかもしれない。

それでも、「少女漫画脳」によって娘の毎日が少しでもメルヘンでワクワクできるものになれば、この先どんなに辛いことがあっても、希望を見失わずにいられるのではないか。

親として、今後導く必要が出てくることもあるだろうが、「少女漫画脳」の先輩として一緒に悩みながら、娘が毎日楽しく過ごせることを一番に考えて見守っていきたい。

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