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自分が好きってほんとなの?

と、言われたので、「そうだよ」と答えたら「私は一生そうは思えないなー」とのこと。

かわいくて、話もおもしろく、歌が好きで歌のために生きて、歌う以外にはなんにもしたくない、あでも猫は必要生きるのに、という子である。

私は成人してからの友人である年下のその子のことが大好きなので、その子の口から「一生好きになることはない」と聞いて少し、アイスの溶けたクリームソーダの炭酸くらい少し、衝撃を受けた。この子のことを大好きだと思う時に感じる幸福感、生きていてくれてありがとうという気持ち、力強い歌唱に涙が出るくらい感動し、会うたびに服や髪型や笑顔やはずむ声音に癒されているそれら全ての恩恵を、彼女自身は受け取れないのだ。

「でも私はきみが大好きだよ」
「いつも言ってくれるよね。優しい。私もきみのことは大好き」

友人のことを『きみ』と呼ぶのは私のくせ。いつしか友人にもそれがうつっていた。
私は高校時代に一度「私はそう呼ばれるのが好きじゃない」と言ってくれた子以外には『きみ』と呼びかけてしまう(好きじゃない、と伝えてくれた子のことは名前を呼んでいた。たしかにその方がずっと良い、とは思ったのだけど、私は親しい友人を『きみ』と呼んだときの距離感をすっかり愛していたのだ。そして、親しくない人は名前で呼ぶ)。

大好き、と言ってもらえるのは嬉しい。それは私が自分のことを好きだからかもしれない。あるいは、もっと好きになれそうな気がするからかも。


「自分が好きっていいよね。自分のこと信頼できるっていうか。ステージの上でも、間違えても慌てたりしなさそう。私ライブのあと毎回泣いてる。悔しくて」

知っている。彼女は自分に厳しい。歌に関しては特に。
そのストイックさは彼女の魅力のひとつだ。彼女の周りにいるたくさんの人たちはみんなそれを知っている。彼女だけがそれを知らない、っぽい。

半分溶けたアイスを急いで食べて、少しねっとりしたメロンクリームソーダをずずずと飲み干して、私たちは別れた。彼女はこれからスタジオでなんやかやとするらしい。私は散歩。満月は今夜だっけ、と思う。昼に屋内に入って出ると夜、というとき、私は毎回満月を期待する。


自分のことを好き。

そんなの、思い込みだ。

実際に自分のことが大好きで大好きで……という人は確実にいるけど、正直気持ちは全然わからない。

私のこれは思い込みである。『わたしは私のことが大好き』という暗示だ。毎朝鏡に向かって、化粧が上手いとか髪型がいけてるとかもし全部ダメでも無防備な姿もまた良いとか考えて(時には口に出して)いる。歯医者があるから甘い紅茶よりルイボスティーを選べてすごいよな、朝が苦手なのに毎朝5時半に起きてえらいぞ、とか。人に自分を否定されたとき、心の中で(おまえは私を嫌いでも、私は私が大好きだしな)と思う。たとえそう考えられる気持ちの余裕がクリームソーダにおけるさくらんぼくらいの大きさしかなくても、絶対に考える。

私は私が大好きだ。だから大丈夫。と言い聞かせる。


あと大事なのは、たまに「わたし」を「きみ」の距離感に置くこと。親しい友人のポジションにある子のことを、私はたいてい良い面しか見られない。悪い面が見えないのだ、本当に。
こういう欠陥を利用したり、けっこう、色々な手を尽くして、私はわたしを好きでいる。

私は思春期からこれをやっていた。すると、なんとなくそうかな、という気になってくる。徹底してやってきたので、つまり、後天的に獲得した特性というか、スキルとかなんかそういうもの。そこまで徹底して自分のことを好きだと思わなければ、たぶん私は生きていなかっただろうなと思える環境があったので、だからこれは生存戦略のひとつ。ただそれだけ。


メリットはたしかにある。でも別に、人間全員が自分のことを好きでなくても良いだろう。むしろ自分を愛せない、そこで生まれる摩擦がなにかクリエイティブなものを生み出したりもしないか?
少なくとも私はそういう歌を歌える人が好きだ。

これを友人に伝えるか迷って、今ここに書いている。深夜3時40分。彼女はたぶん、まだ歌っている。私の好きな声で。

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