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発光する植物と未来の私たち(雑文)

吊り下げた観葉植物(シュガーバインとか、ウスネオイデスとか?)が発光する研究が進められているらしい。

ストレスで瞳孔の調節がうまくいかなくなることがある。昼間は太陽光が眩しすぎて目をすがめるしかなく、同僚には怪訝そうな顔をされて、夜はヘッドライトの灯りで頭痛がする。PCやテレビの明るさはもはや吐き気を催すほどだ。ホームセンターには近寄れない。
仕事が終わって家に帰っても、LEDの温白色電灯をつけられずに、読書灯を持ち歩いていた頃の私が聞けば、すがりたくなるような研究だ。

発光するクラゲの遺伝子を移植するんだって。

近未来の映画のシーンみたいな、それこそナウシカのような、植物がある種の"力"を持っていて、人間はいずれ小さく、弱くなって、"巨大な植物の中でしか生きられない"というような妄想を、した。
サメが竜巻とともに襲ってくるよりかは現実的な妄想だと思うけど、こういった妄想で現実的なものに価値があるかと言われれば全くないと答える。狂ったほうが人生は楽しい。

(サメ映画は初代ジョーズが好きだからそれ以外あんまり見たくないだけ。海底47mは好き)

たとえばモリスのいちご泥棒みたいなウォールペーパーが、本物の植物であれば、人はもっと楽に息ができるかもしれない。
集中力は上がるし、眼精疲労は減るし、空気中のバクテリアやカビが減って、清潔になる。
蒸散作用で部屋は快適な湿度になり、健康によく、肌の乾燥がなくなって、化粧するのがもっと楽しくなりそう。

そんな未来を想像して、自然の中でより人間的に生きることを夢見ながら、私はもう一つの未来も選びたい。


全てバーチャルな世界。
5000km離れた土地の友人と目の前で話せる世界。
望む場所にどこへでもゆける、見たいものを見て、聞きたいものを聞き、なりたい姿になる。
白い箱のような家の中で、五感全てをバーチャルな世界へ繋いで、人とのリアルな接触がすごく贅沢なものになる。私たちの破壊は最小限で、最大限の幸福を追求できる。
バーチャルリアリティを創造するのは人間だ。だから、こんな生活はより人間的ではないかな、と思ったりもする。
今高らかに謳われているSDGsなんかも、色々達成できるのではないだろうか。


人間的。自然。自分らしく。
色々な未来を想像してみるけれど、結局、未来には幸福がない。外側に幸福はないのと同じだ。幸福はいつだって今自分の中にあり、"未来への期待"こそが幸福だと、気づく。

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