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【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#6

 8日までの二週間が待ち遠しかった。

 毎度のことなのだが、未来に楽しみがあるという現実だけでそれまでの過ごす日々を楽しく感じられる。願わくば、その先の未来も期待したいものだが、無かった場合のショックが大きいので過度の期待は良くないと、周りの友人から学んでいる。しかし今だけは二週間後の未来を楽しみにしていてもバチは当たらないだろう。

 気持ちの中では楽しみなのだが、生活自体に変化があるわけではない。月曜日から金曜日の平日は本当に平凡で、朝8時に出勤し、たまに残業をするもののほとんどが定時で上がる。その間、星川さんと連絡を取る事はあったが、お互いがお互いを気遣っている事と、若い大学生のカップルのように毎日何時間も連絡を取るということは無かった。携帯電話を使って頻繁に連絡を取ることが苦手だった私にとっては、返って好都合であった。

 会う約束をしている前日の金曜の夜になり、改めて明日の時間を確認した。玄野巣駅に16時に集合となったので、家を15時過ぎに出発すれば丁度到着する計算だ。

当日になり15時に家を出れば良かったのだが、特にすることも無いのとソワソワした気持ちが強くなり、14時半にはお気に入りの靴を履いて玄関を出ていた。駅までは歩いて15分程で、玄野巣駅までは電車で30分もかからない。駅に着くと丁度電車が到着したので、玄野巣駅へは15時20分に着く事になる。約束の十六時までは四十分もの時間がある。

 今日までの二週間に比べれば、40分はすぐだとも言える。その40分さえ経てば、星川さんと会っているのだからなんてことはない。そう考えれば約束の時間までも少ないと感じてきた。

 噴水の周りを囲むようにあるベンチに腰を掛け、周りの風景を見渡して時間を潰す。手を繋ぎながら笑い合って歩くカップルや、ただその時を楽しんでいるような、純粋な目をして雑談をする女子高生のグループ。平日であれば、帰路に着くために改札へ向かう人が多いのだが、土曜日なので私のようにこの時間からこの場所へ来る人も多い。駅の反対側を見渡すと、繁華街の看板が輝きを灯し始め、立ち並ぶ居酒屋が週末の戦いを告げているようにも見える。高校時代はマクドナルドやサイゼリヤなど安価で長時間居座ることができるお店にいたが、年齢を重ね環境が変わるごとに居酒屋など利用するお店も変化してきた。そんな思いに耽けている間に、約束の時間までわずかとなっていた。


ipodで聴いていた、ミスチルの旅立ちの唄のサビに入るところで、星川さんが歩いてくるのが見えた。イヤホンとipodを鞄の中へ雑にしまい、軽く手を振ってこちらに気付いて貰おうする。しかし、雑踏の中に紛れている私を見つけられておらず、広場に出たところで立ったまま、あたりを見回している。あちらから気付いてもらうことを諦めた私は、目の前を歩くたくさんの人々を避けながら彼に近づく。

「あっ!」と驚いた顔をして、その後にくしゃっと笑った顔が眩しい。ついさっき買い物をしたのだろうか、手には鞄のほかに紙袋を両手に持っていた。それをわざわざ地面に置いてから手を振ってくれた。

「やっぱり休日だと人も多いですね」と周りを見ながら、お互いに感心して話す。

「それより髪切ったんですね、しかもショートに。とっても似合ってます。きゅんとしちゃいました」

先程の驚いた顔の理由がこれで分かった。確かに切ったことを何も伝えていなかったので、驚かれるのも当然だ。彼のために短くした事、気付いてくれているだろうか。

「そうなんです。切っちゃいました。似合ってるって言ってもらえて嬉しいです」職場の人からはどうしたのと驚かれたし、褒めてもくれた。彼からの言葉は、彼のためにやった事だから尚更嬉しい。

 きっと今の私の顔は浮かれきってひどい顔をしていると思う。

「この後どうしましょうかー」

「何も決めずに集まっちゃいましたもんね」前回、前々回と予定を決めて会っていたのだが、今日は何も決めていなかった。計画を立てずに会い、その場で先を一緒に考える時間さえもが嬉しく感じる。

「意外って思われるかもしれないですけど、案外大衆居酒屋とか好きなんですよね。良かったら少し早い時間ですけど行きませんか?」

 騒がしい大衆居酒屋に、いい印象を抱いていないと勝手に思っていたので、彼が言うように本当に意外だった。以前連れて行ってもらったスペイン料理のお店のような、大人の洒落た空間を好む人にとって居酒屋は、異世界のような気もする。現に、例のお店の中では私は異世界にいるような感覚に陥っていた。

「えっ、意外でした。私も実は、少し騒がしいくらいのお店が好きなのでぜひ行きましょう!」

「お洒落な雰囲気のお店ももちろん好きなんですけど、居酒屋さんってなぜか落ち着くんですよね」それは本当にその通りだと思う。

「外で飲むことは少ない方だと思います。その代わり家で飲むので、ボトルとかも揃えてますよ」

「外に出なくても帰ればバーがあるみたいですね。お洒落だなぁ」私も家で飲むことは多いが、ボトルと言えば900円台の安いワインや、ハイボールを飲むための角のウイスキーしかない。置いているお酒でここまで差が出るのはあまりにも恥ずかしいので、この事は内に秘めておく事にした。

 そんな風に雑談を交えながら歩くこと10分。焼き鳥の美味しい居酒屋さんへ到着した。

 飲み屋街の大通り沿いにある、3階建てのビルの一階にあるお店で、間口のガラス扉全てを開放した、いかにも居酒屋という構えになっている。20本入りのビール瓶ケースの上に、使い古して色褪せた薄い座布団を置いた椅子と、積み上げたビールケースの上に、ベニヤ板を乗せただけのテーブルが所狭しとレイアウトされている昭和感漂う空間だ。

 自分の好みにこれでもかと突き刺さる空間で、心の中で解説をしながらお互いに着席をする。

 すぐに出てくるおつまみと焼き鳥の盛り合わせ、彼が赤星の瓶ビールと私は緑茶酎ハイを注文した。お通しと一緒に飲み物が運ばれて来て、「お疲れ様です」と敢えてかしこまった挨拶で乾杯をした。

「弥生ちゃんって、お酒を美味しそうに飲む姿が本当に似合うね」冷えたお酒を流し込んだところで不意に彼が、下の名前で私を呼んできたので、一瞬固まってしまった。彼を見ると耳たぶを触りながら照れた笑顔を見せており、こちらまで恥ずかしくなる。

「下の名前で呼んでくれましたね。嬉しいです」

「良かった。急に呼んだら嫌われるかもって思ってたけど、さん付けって距離があるなって思って、つい」

「まさか。私も呼び方変えようかなー。友達からなんて呼ばれることが多いですか?」心理的な距離が近づいた事で、口調も少しほぐれていることに気づく。

「いつきって呼びにくい名前じゃ無いはずなんだけど、どこ行ってもいっくんってあだ名で呼ばれることが多いかなー」

「あだ名は少し恥ずかしいから、いつき君って呼ぼうかな。いいで…いい?」

「もちろん。久しぶりにいつきって呼ばれるなー」

 お互い下の名前で呼び合い、敬語もやめ、冬から春へと移り変わる心地よい風が吹いた時のような、新鮮な気持ちになった。

 注文した焼き鳥が運ばれてきて、待ってましたという顔で二人で笑う。焼き鳥のタレが口の周りにつかないように、変な口の開け方で食べる。彼は箸で一つづつ串から外して食べている。彼の丁寧さと私の大雑把さに恥ずかしくなっていると、彼がこちらを見て笑っている。何か変なことを言ったかなと不安になっていたが「口にタレがついちゃってるよ」とおしぼりを渡してくれ、「さっきのお酒を美味しそうに飲むのもそうだけど、食べ物も美味しそうに食べるよね」と付け足した。そう言ってもらえるならいいのだけれど。それにしても、彼の所作一つひとつがどれも丁寧なことは、以前から気になっていた。まるで、お金持ちの生まれのように感じる時も度々ある。

 それよりもずっと聞きたかったことがもう一つある。お付き合いをしている女性はいるのだろうか。容姿は整っており、いわゆる爽やかイケメンという部類に入るだろうし、私をはじめ周りへの気遣いも申し分がない。だから彼女がいてもおかしくはないと思っている。今日もそうだが、こうして仕事終わりや休日に会ってくれていることも、仕事上での付き合いでという理由なら納得がいってしまう。しかし私がもし彼女だったら、仕事の付き合いと言っても異性と二人で会うというのは、幾分気になってしまう。そう考えると彼女はおらず、さらに私にも好意を持ってくれている可能性は高い。そんな分析をしているときには既に「いつき君って彼女いないの?」と聞いてしまっていた。

「いないよ。いたとしたらこうやって、弥生ちゃんと二人で会うこともないだろうし。会いたくて会っているんだよ」

「そうなんだ、少し安心した。もしいたらって考えてたから」それにしても、会いたくて会っているというのは、女心を分かっている言葉だ。そんなことを言われたら女の子はもれなく勘違いしてしまうと、義務教育で学んで来なかったのだろうか。

「ということは、弥生ちゃんも今付き合ってる人はいないの?」

「悲しいけどそういう事になるかな…二年前かな、最後にいたのは」

「意外だなぁなんて言ったら失礼かもしれないけど、少し意外」

「案外そんなもんだよ。いつき君はどんな人がタイプなの?」

 恋愛の話になったチャンスを逃すまいと、自然な流れで聞いてみる。こういった会話は久しぶりなので、質問の順序が大事かもしれない。

「そうだなぁ、外見で言えばまさに弥生ちゃんみたいな髪型かな。あとは典型的過ぎるかもしれないけど優しい人。好きになった人がタイプってやつなんだよね」

 優しい人とか、好きになった人がタイプは、一見答えているようで曖昧なので困る。しかしそんな曖昧な答えよりも、やはり彼は恋愛の義務教育を良い意味で受けていない。名指しでそんな事を言ってしまってはもう、私の心は保たない。

「この髪型こんなに褒めてもらえて嬉しい。切って大正解みたい」

「後出しジャンケンみたいでずるいかもしれないけど、短いのが好きって言ったら切ってくれるかなって、少し期待してた」彼は悪戯がバレた子供のような、無邪気な笑顔で微笑む。

「じゃあ、私はまんまと切っちゃったって事だね」と私は悪戯を見つけたお母さんのような笑顔で答える。

 なんの疑いもなく、目の前に出された食事を食す飼い犬のような単純な女だったようだ。飼い犬はそれで満たされているように、私は飼われている訳ではないが、満たされていた。

 学生時代に単位のために受講していた心理学の授業で、『オペラント条件付けの正の強化』という心理現象を勉強した事を思い出した。手作りの料理を振る舞った結果、美味しいと褒められたので再び振る舞う、というようなポジティブから生まれるポジティブの感情のことを言うらしい。私の記憶が正しければの話だけれど。

「そういえば、いつき君のメアドに1115ってあるのは誕生日?」

「そうそう、よく気が付いたね。あと一週間で誕生日なんだー」

「土曜だけど、ちなみに先客はいたりする…?」

「残念ながら。出張という先客がいるんだよね」あわよくばと誘う流れにしてみたが、出張となれば出る幕がない。それにしてもピンポイントで誕生日に出張というのも、可哀想な話だ。「そうなんですか」と苦笑いで答えることしか出来なかった。それを見た彼は、残りのビールを勢いよく流し込み、話を終わらせようとしているように思えた。彼なりの気遣いを汲み取り、私もグラスを空にした。

#7へ続く


自作小説「クロッカスの舞う夜に。」の連載
眠れない夜のお供に、是非。

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