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真壁の祇園祭

益子に行った帰り、今日から真壁町の祇園祭が始まるというので五所駒瀧神社へ宮出しを見に行った。この神社は、創建が平安時代の長和3年(1014)というから相当に古い。承安年間(1171)に、真壁城の初代城主の平長幹の一族が鹿島神宮の祭神武甕槌命の分霊を勧請したという。以降、真壁氏の氏神として崇められて、江戸時代には笠間藩主の祈願所でもあった。神仏混淆の時代にも、神道祭儀一筋を守り通してきたそうである。

五所駒瀧神社は、樹木が鬱蒼と繁り、広い境内を谷川が横切って流れている。地面一面をコケが覆っている。水音も聞こえる。今日もひどく暑かったが、境内に入ったとたんに空気がひんやりとした。観光などとはまったく無縁で、古くからの「神社らしい神社」といえる。僕の好きな場所の一つである。

毎年7月23日から26日の四日間、「夏祭祇園祭」が行われる。これは400年の歴史を持つ祭りで、国の無形文化財に選定されている。今日は午後四時から神輿渡御が行われて、御神体を神輿に乗せて神武社のお仮屋まで遷座させる。いま行けば、宮出しにはまだ間に合うので急いで峠道を車で走った。

山車の行列を見ていたら装束が微妙に違うことに気がついた。隣で見ていたおばあさんに聞いたら、次のような厳密な階層があるという。
1.黒絽の紋付羽織、白足袋、下駄、丸弓張提灯。これらの人々は「大老」または「中老」という指導役である。2.カンカン帽子、揃いの浴衣、紋付の黒羽織、白足袋、草履、筒形提灯の人々は「幹事(世話人)」でそれぞれの町内会の代表である。3.「月番」という人々は、「幹事」と似ているが紋付羽織の紋章が三つ紋。彼らは幹部の補佐役である。そして、厳しいことに「幹事」は雨でも傘はささず、休憩中に座ることも許されないという不文律があるそうだ。この猛暑の中、本当にご苦労様だ。
こうした幹部制度という町内の縦の制度と、町内間の序列制度という横の制度の存在が祇園祭を長く存続させてきたのだろう。カンカン帽子に黒羽織、これはこの町が最も元気だった頃の姿だ。

明治時代までは、この祭りは「駒瀧明神六月祭典」と言い五穀豊穣を祈願した祭りだった。もともとは真壁の町の産土神だったのだろう。大正時代までは「本祭典」が行われ、「花笠奴」という花笠踊りが披露されたという。
また復活してくれないかな~。花笠踊りが見たい!


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