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彼岸花

涸沼川の脇にある墓地の斜面にヒガンバナが咲いていた。もうすぐ秋の彼岸だというのに、今年は酷暑だったせいだろうか、咲いているヒガンバナが少ないように思える。やっと見つけた群落だ。繁茂した雑草の中で、毒々しいまでに鮮やかな赤色で自分の存在を主張していた。

子供の頃から、こんな所に誰が植えたのかと疑問に思ったことが度々あった。日本のヒガンバナは三倍体なので種子ができない。では誰が? あんな大きな球根を鳥が咥えて運んだとは思えない。動物かというと、球根には毒があるから動物は手を出さない。やはり、人間が意図して球根を植えたのである。それも有史以前から。稲作が日本に伝わってきた時に、中国から稲と一緒に持ち込んだといわれている。その目的は、ヒガンバナの球根は有毒なので、田んぼの畦に植えておくとネズミやモグラや虫が近づかず穴を開けるの防止できるからである。また、墓地でよく見かけるのも、昔、土葬だった頃、動物が遺体を荒らすのを防ぐために植えたようだ。さらに、仏教伝来以降は、花の咲く時期が秋の彼岸の頃だし、イメージが仏陀が法華経を説いた時、天から降ってきた赤い花である「曼珠沙華」と重ねられた。いよいよ抹香臭くなってきた(笑)。
また、ヒガンバナの晩秋から冬を越して茂っていた葉は初夏に枯れる。そして、一見、何も無いような地面から、突如、花茎を伸ばして大きな真っ赤な花を咲かす。これも、昔の人を驚かせて、不気味に思わせたのだろう。

また、ヒガンバナが全国に広がった背景には悲惨な飢饉の歴史がある。昔、飢饉の時、毒抜きして救飢植物として食べられた。これを潰して餅にして食べる地方もあるくらいだ。確かに球根は小さな玉ねぎみたいで食べられそうな形をしている。以前、友人が試しに食べたところ、その不味さに二度と口にしたくないと言っていた。ものすごくエグい味だったそうだ(笑)。
案外、ヒガンバナが全国に広まった理由の一つに、救飢植物だったことがあるかもしれない。

どこか暗い影を引きずる彼岸花。
彼岸花の花束なんかいらない!


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