叶姉妹

血の繋がった姉妹ではなく、
ユニットだということを初めて知った。

いい意味で、すごく裏切られた。

心の底からいい意味で。

物心ついた頃からテレビの中に叶姉妹さまがいらっしゃることを認識して、20数年。
ファビュラスな彼女たちのことを、血の繋がった姉妹だと思っていた。
今日この日まで、なんの疑いもなく血の繋がった姉妹だと思って生きてこられたことをとても幸せに思う。

本当の姉妹でないと知って、がっかりなどはしなかった。
それどころか、ユニットとして「姉妹」を貫き通している彼女たちに深い感動と感謝の念を勝手に持った。

妙に納得した。
血の繋がった姉妹では出せない、彼女たちだからこそ可能だった「姉妹」の色。
まさに「叶姉妹」。

なんだろう。
自分自身に姉妹という存在はいないが、「姉妹」というとどこか女ならではの複雑な血の関係性とそこに絡まる情念のようなものを連想してしまう。
しかし、この「血が繋がっている女同士=姉妹」という考え方を、今回の件が一掃してくれたように思う。

独特の空気感を持ったふたりの女性。
互いを尊敬し尊重する接し方。話し方。考え方。

こういう女性がふたり揃ったら、「姉妹」になるのだ。
そう思った。

どうやって「叶姉妹」というユニット名が付けられたのだろう。
ユニット名会議ではどのような会話がなされたのだろう。


そりゃあ、彼女たちは芸能人だから、いわゆる「キャラ付け」のようなものが一般人と比較するとはるかに重要とされる世界にいらっしゃると思う。

しかしそんな「キャラ付け」のようなものは飛び越えて、
「叶姉妹」だからこそのプロ意識や尊厳、"ファビュラス"を、
今日この日まで血の繋がった姉妹だと信じて疑わなかったからこそ、
身をもって少しでも体感できたように勝手に思う。

「叶姉妹」というユニットというか、ブランドというか。
そういう力を感じた。


もう一度言うが、物心ついたときから当たり前のようにテレビ越しに拝見していた彼女たちのことを、当たり前のように血の繋がった姉妹だと思い込めていたことを心の底から幸せに思う。

叶姉妹さまのお力によって、
新たな発見と感動を与えられた人間がいたことをここに記しておく。


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