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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-20

 長編小説『路地裏の花屋』の読み直し。
 続きから。

「蓮二朗さんはいつから花屋でお勤めですか」
 中西は蓮二朗の話がちょうど終了したところで言葉を挟んだ。
「私は響子さんが花屋に来られる前からあそこにいます。近くにお寺があるのをご存知でしょう。そこの住職は若い頃、昔住んでいたアパートの隣部屋におられまして、そこで仲良くなりましてね、私が菊の栽培もしている話をすると、寺専用の花屋をこしらえたいから手伝ってくれと言われました。それ以来私は花を卸すだけではなくて時間が空くと店先に立つ。でも薔薇園が本業ですからいつでもいるというわけにはいかず出たり入ったり。そうするうちに二階のお部屋に響子さんが来られました。住職はお寺を継いで忙しくなったということで、響子さんとはどういう関係かは存じませんが、彼女にお店を譲られた。ほら、この版画を作られましたのも住職のお知り合いです。仏画です。住職が作家さんにこのギャラリーを紹介してくださいました。妙な言い方ですが、あのお寺の住職はやり手でしてね、非常に優れた経営者です。だってね、菊はお寺、蘭は花柳界、とまあ、ある意味節操もなく売りさばくわけですから」
 中西は部屋中の版画を眺めてうなずいた。仏画と言わなければそうとは分からない華やかな色彩で表現されている画だった。「仏の姿が見当たらない画もありますね」
 蓮二朗は立ち上がって一枚の画の前に行き「アバンギャルドな仏画で、決まり通りではない描き方をされているらしい。仏さんはどこかに小さくいらっしゃるそうですよ。いちいち探したこともありませんけれど。ほとんどが花鳥風月のようになっていても、実は分からない程小さな点くらいの大きさで描き込んであるとか」指さして「これなんか、ほとんど風景画」と言う。
「確かに、どこに仏が?」 中西も近寄って行き、目を細めながら隈なく画を見つめたがわからなかった。
 蓮二朗は顔を皺だらけにして笑い、「ひょっとすると、この画そのものが仏。万物を包む宇宙からしたら見えもしない点なのかもしれません。仏様を侮っているのではなく、万物もまた仏画のように区切られた世界であり、より大きなものからするとちっぽけな点。要は曼荼羅というわけです」
 中西はふうんと声を漏らした後、ふと耳を澄ました。
「そう言えば、さっきからずっと同じ音楽が鳴ってますね」
「これですか。ドビュッシーの曲です。私はピアノ曲の中ではこれだけを愛好しております。他のものは全く聴きません」
 ちょうど曲が最初に戻ったところだった。
 蓮二朗の右目がわずかに端に寄った。先日見た記憶の風景を辿る表情だ。何か言うだろうかと蓮二朗の言葉を待ったが、何も言わず、沈黙のまま音楽だけが流れ去った。

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