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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-37

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき。

《七章

 クライアントのクリスタルガラスを仕舞っている棚のことを,奈々子はトンボ棚と呼んでいた。
 棚に収まっている木箱にはアルファベットと数字で構成された管理ナンバーを貼り付け、預かったクリスタルガラスを保管している。ガラス細工には小さな薔薇を象ったものもあれば、箱いっぱいに入るくらいのバースデーケーキを象ったものもある。他には蝶だとか熊だとか、シンデレラの靴を思わせる片側だけのピンヒールもある。
 最初はせいぜい十個ほどしかなかった棚が、時の経過と共に一つ増え、二つ増えして、今では三百個を越えるまでになっていた。部屋の壁三面をずらりと覆い尽くしており、その中から適合するものを探そうとして困惑する時、彼女自身が設置したのにも関わらず、いつでも棚の数に唖然とせずにはいられなかった。カウンセリングルームを始める時に、知り合いの発刊している幻想小説の雑誌にたった一枚の広告を出しただけなのに、一人目が訪れた後、途切れることなく次のクライアントが訪ねてくるようになり、トンボ棚の方もあっという間に契約が増えたのだった。
 彼らがカウンセリングセッションの中で語るエピソードには、なるほど辛かっただろうと納得できる悲劇的なものもあれば、どうしてその程度のことを悩むのかと理解できない些細なものもあるが、出来事に反応する彼らの感情の強さはある一定の水準を越えてしまうと似かよった旋律を奏で始める。笑顔で語られてもヒステリックに泣きながら語られてもそれには関係なく、話しているうちに固い物体を間違って飲み込んでしまったように見える。横でそれを眺める奈々子はいっそ吐き出せばいいのにと思う。どんなに苦痛な塊でもごろりと胸から吐き出してしまえば、かきむしるように奏でているものは終わるはずだ。だから、どうしても最後まで吐き出せないとき、奈々子のコレクションしている大量のクリスタルガラスの中からクライアントの思い描く吐き出したいイメージに近いものを選んでもらい、木箱に入れてトンボ棚に仕舞い込むことで悩みを昇華させることにしたのだった。
 これらのガラス細工はクライアント達が耐え切れず奈々子に託した、いわば悲しみや苦しみの骨髄だった。もしも吐き出した苦痛の骨髄を目にすることができるとしたら、火葬場から取り出した骨に似て無情なほどあっけない姿を露呈するだろうから、クリスタルガラスに転嫁してまじまじと眺めてみることも乗り越える手がかりになるだろうし、もう終わったのだとトンボ棚に葬れば、忘れられなくとも生々しかった思いが少しずつ色褪せていくに違いない。
 つまり、トンボ棚はまさに小さなお墓だ。お骨が行儀よく並んだ墓場だ。奈々子はお墓が嫌いではなかった。死者たちの眠る墓地にはもう悲しみは起きることはないから。墓地は永遠に静かであり、いずれはどんな時間も終わりゆくものだと当然の約束をきちんと保持して、無頓着な訪問者がところ構わずはしゃぎたてることを暗黙に禁じている。だから奈々子はずらりと並んだ棚にフランス語で墓石を意味するtombeauからトンボ棚と名付け、全く不吉だとは思わなかったし、静かに再生を待ちながら眠っている魂の遺伝子のように、むしろ希望がおとなしく仕舞い込まれている至極清潔な棚だと考えていた。
 歪んでいるかもしれないけれど――。
 クライアントが手放していった悲しみに包まれていると奈々子は夜空に煌めく星々に囲まれている満月の気持ちになった。明るすぎる太陽が拒絶したことで生まれてしまった星の犠牲の中心に立ち、掌握し、数々の相対的な優越に支えられながら浮かんでいるあの満月の心。月はどれほど星に優越しようとも太陽にはなれず、そのせいか冷ややかで、客観的に悲しみを美しいと捉えているに違いないと考える。そんな喩えを想像しなくても正直、トンボ棚の使用を奈々子自らが提案しておきながらクライアント達は苦痛をガラス細工に託して手放すべきではなかったのではないかと思うことさえある。彼女にとって太陽は闇を照らすものというよりも影を作り出すためのものであり、夜の輝きを任務のように背負った星々と月だけが闇を照らすものであったからだ。それらがうまく癒されてしまったりすると、クライアント達は自らが主体的に闇を照らす手段を永久に失ってしまったのではないかと思う。温かい太陽の光の中に紛れ込んで幸福に馴染み溶けてしまうだろう。
 受け取りに来る人もなく棚の中で終了となったガラス細工を見る時、クライアントが当時あれほどの旋律を奏でた苦痛をすっかり忘れてしまうほどになったのなら、もうそれを手放せたのだろうと心底安心し、お疲れ様と心の中で呟きながら箱から取り出して浄化水を溜めた白い琺瑯のボールにコトンと入れるのだった。あっけないものだと感じる。ガラスは水の中で輪郭を失ってしまえば悲しみの骨髄なんかではなく本来のガラス細工に戻っていく。その後シルクの布で拭いて庭で月光浴をさせ、月明かりに照らされるガラス細工を眺めると悲しみや苦しみを失った物質の透明な朗らかさに感服する。あれほど陰鬱だったものがキラキラと笑い出すのだから。》

つづく。

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