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解読 ボウヤ書店の使命 ㉔

 約束通り解読の続きをと思ってボウヤ書店のサイトを開き、制作順に従ってカテゴリーを見ると『花シリーズ4 菊 クリサンセマム』となっているが中身が入っていない。まだ整理中のカテゴリー短編の中を探すと出てきたので移動。そして改めて読んでみたところ、非常に驚いた。

 ここにも全文を掲載する。
《「菊 クリサンセマム」 文 米田素子

 郵便受けの蓋を開けるとぎっしり詰まっている。ほとんど広告の類だ。手紙や葉書が届くことなどほとんどない。嘆いてもしょうがない。私自身、書きもしないで何かと電話で用を済ますのだから、年々、知人からの便りなどは減っていくのが当たり前だろう。
 実際、海外へ旅をしたとか孫が大学に合格したとか、そういった話題が長々と書いてある便りは、読むと羨ましい気持ちばかり刺激されるだけで、妻の介護で家に縛られている身としては全く嬉しくもない。電話なら、適度にこちらは楽しいこともない毎日ですよと、さりげなく早めに切り上げてくださいの合図を出して切ることもできるが、手紙となるとそうはいかない。読まなければいいと言えばそうなのだが、幸せの詰まった封筒がそこにあるだけで、どんよりと重い気持ちになることさえある。さらに、良い年をして偏狭な心を持った自分を残念に思う感情すら重なっていくので取り返しがつかない。
 所詮手紙なんていうのはこのように、現実の自分を覆い隠して酔いながら書くようなものかもしれないのだから、今となっては欲しくもないのだと自分に言い聞かせ、まあ、どうせ今日も広告ばかりであろうと、届いたものを取り出し、さっと目を通して確認しようとしたところ、珍しく一通だけ、表書きを万年筆でしたためた封筒があった。
 濃紺のインクでなかなかの達筆、指で挟んでみたところ便箋がたくさん入っていると思われる厚みもある。手紙なんぞ自己陶酔の極致と批判しかかっていたくせに、やはりそこは、心にぽっと明りが灯るように思い、少々胸躍るものがあった。はて、こんな私に一体誰がと、差出人を見ようと裏返したところ、名前に見覚えがない。なんだ、間違って配達されたのだなと思い、再び宛て名の方を見るとやはり私の名前と住所が書いてある。どういうことだ。全く知らない人間から、やたら丁寧な万年筆のお便りをいただくなんて。
 こうなると、一瞬温まったように感じた心が急速に冷えて、何事かとむしろ恐ろしく思えてくる。だってそうだろう、見たことのない名前の方から、ご丁寧な手描きの手紙を受け取ったら、嬉しいどころか、ぞっとして当然だろう。しかし、そうは言っても、いきなり捨てるわけにもいかない。少なくとも私宛てであることに間違いはない。
 とりあえず家の中に入り、座り込んで心を落ち着けようとまずは種別を始めた。広告の類をくず入れに放り込み、役所からのお知らせのようなものはテーブルの上に置く。それから、やっと先の一通の手紙をじっくりと眺めた。
 差出人の住所は富山県砺波市、名前は「島田鶴治」となっている。
 私、生まれは東京で、現在の住まいは埼玉県だ。六十半ば過ぎというこの年齢になるまで、せいぜい東京と千葉との境目にある本八幡か、南なら横浜あたりにしか住んだことはない。不勉強もあってそれ以外の土地のことなどさっぱり分からず、富山県砺波市とみても地図を思い浮かべることすら難しく、考えてみても把握している範囲において富山県に親戚もないはずだから、その時点で、差出人に関して手がかり不明と思えた。
 さらに島田という苗字も、いくら考えても覚えがなく全く途方にくれてしまった。さては最後の手がかりと思い、残る名前の鶴治に関して思い巡らしたが、こちらにも覚えがない。間違いではなかろうかと、ひっくり返して再び宛先の方を見たが、やはり、はっきりと、私の住所と名前が書いてある。気味が悪いなと思った。
(どういたしましょうかねえ、かあさん)
 畳に布団を敷いてひたすら寝ている妻の和子に心の中で問いかけたが、もちろん答えるはずもない。三年ほど前に脳溢血で倒れてからずっとこうなのだ。それまでは元気で一日中おしゃべりをしているような和子だったのに、倒れてからは、もう人生しゃべりつくしたとばかりに眠り続けている。だから、問いかけても答えるはずはない。それでも癖で、和子ならどう言うだろうかと考えることが常となってしまった。
「そりゃあんた、中身を見てみないことにはどうにもならないでしょうよ。なにをびくついてんのさ、どこかでしでかした浮気が今さら私にバレたところで、こちとら、へえ、あんたなんぞに惚れる女もいましたかねと笑い飛ばしてやりますわよ」
 とでも言うか。そして
「だけど借金返済はお断りですわよ。それだったなら……」
 などと付け加えるだろうか。
(確かに借金返済はいやですよ)
 私は心の中で独り言を言いながら、
(借金をした記憶はないし、それさえなければ大丈夫か)
 と、ようやく開けてみる気になった。
 ハサミを取ろうかねと立ち上がったところで、そう言えばと思い出した。ハサミの入っている鉛筆立ては、亡くなった父が牛乳パックを組み立て千代紙を貼って作ったものだ。なんでも器用に工作をする父が、夕食後にそういったものを作りながら、私に語って聞かせる話の中に「ツルジ」という名前がよく登場した。

 ツルジという名前の男は、存命中の父に「ツルジの奴もあんなことをしなければ」とか、「ツルジは困った奴でね」とか、あまりよい人間ではない風に語られていた人間だったのだ。私たち家族の方では一度も見たことがないのだから実のところは分からないが、話によるとどうしようもない人間らしく、こちとら興味もないままに聞き流してばかりいた。それでも、父が頻繁に話題に出すので、どういう間柄の人間なのかと尋ねたことがあり、
「あれは幼馴染、若い頃にいつの間にかいなくなってね」
 と話したことがあった。「全く情けない男でね、何をやっても俺より劣る。小学校のかけっこではビリだしお勉強の方はからっきしだめ。ところがいつでもニヤニヤして悔しがる風も見せない。そうなると泣かせてみたいと思うのか、学級のみんながいじめる。いじめられてもニヤニヤと笑っている。それで終いには誰もいじめなくなるほどよ。俺はそんなツルジが歯がゆくてね、中学を卒業した頃だったか、『人生この後はいいこともあるかもしれないから運命鑑定をしてもらおうぜ』と誘って、駅前に椅子を置いて手相やら顔相やらを見ている占い師のところに行ったことがあった。すると、その占い師、俺には、何歳頃に恋人が見つかるとか、外国に関する仕事をすればいいとか長々と話をしたくせに、ツルジの番になるとあいつの顔をじぃっと見て、ただ一言『あんた、ウィスキーは飲んじゃいかん』と言った。たったそれだけ。いつでも笑っていたツルジも真顔になりましたよ。なんだか思いつめたような顔つきをした。それを見ていると、かわいそうに思って、『それだけですか。他になにかないんですか』と俺が占い師に聞いてやると、『他には言うことはない。とにかくウィスキーだけは飲むな』そういうと、すっと横を向いて、もう帰りなさいという合図をした。ところがね、鶴治の奴、どうやら、飲んだらしいんだよ、学校卒業してしばらくしてね。占い師が飲むなといったウィスキーを、ある行きつけのスナックで飲んだ。で、その後から行方知れず。確かにあの占い師の言うことはいちいち当たっていてね、俺は海外旅行の添乗員をして、それから旅行会社を経営して大当たりだろう。だからツルジも、やっぱり、飲まなきゃよかったんだろうね」
 悔しいのか蔑んでいるのか分からないような口調だった。行方知れずなら、どうしてウィスキーを飲んだとわかるのだと聞くと、後で手紙が届いたと言う。
「だけど、まあたどたどしい、へたくそな文字で『僕はあのスナックでウィスキーを飲んでしまいました。智之くん、さようなら』と書いてあったさ」
 と苦笑いをした。
 
 私は、箪笥の前で立ち止まったまま父の話をそこまで思い出して、そうか、たどたどしい字と父は言ったのだから、この私に届いた達筆の手紙は別人からかもしれないと考え、では一体、どこの誰なんだろうと思いながら、ようやく鉛筆立てに差してあるハサミを取り出し、封を開けた。
 ところが、やはり、その「幼馴染のツルジ」からの手紙だった。

「岸義男様 私は島田鶴治と言います。ご存知ないかと思いますが、あなたのお父さんの幼馴染です。私は今年で八十八歳になりました。あなたのお父さんである智之さんは十年以上前に亡くなったと聞いています。もう八十八歳にもなりますと、ほとんど友人というものはいなくなりまして、後はこの世を去る日を待つだけです。ずっとバカ正直に生きてきたはずだから、何も思い残すことはないと思っていましたが、よく考えてみるといくつか、思い起こすこともありました。そのうちの一つに智之さんに差し出しました手紙のことがありました。『私はウィスキーを飲んでしまいました。さようなら』というような手紙を出したことがあるのです。そのような手紙を書いたのは、智之さんに対するちょっとしたあてつけのような気持ちからです。ご存知ないとは思いますが、実は智之さんに連れられて占い師のところに行ったことがあり、その方にウィスキーは飲むなと言われたのです。そのことから、私にとっては忘れがたい辛い出来事がありました」
 ここまで読んで、ああ、まぎれもなくあのツルジだなと思う。続きを読んだ。
「当時、私には好きになったマリアちゃんというホステスさんがいました。色が白くてふっくらとして優しい人でした。他のホステスさんたちは私に冷たかったのですが、マリアちゃんだけは優しかったのです。それですっかり好きになってしまって、会いたい一心で働いたお金をほとんどその店で使っていました。毎日のように飲みに行っていたのです。だけど、ウィスキーだけは飲みませんでした。いつもビールばかり飲んでいたのです。マリアちゃんにおいしいウィスキーが入ったから飲んでくださいと言われても、断っていました。頑なに飲まなかったのです。なぜでしょうか。あの占い師が言った言葉が忘れられなかったからです。ところが、智之さんは通っていた大学から帰省して来られた時に、私がそのスナックに通っていることを知って、私がいない時にこっそりお店に行ったのです。それで、鶴治はウィスキーを飲むかと聞いたらしいのです。店の人たちが飲みませんと聞くと、私が占い師に言われたから飲まないのだということを話したようなのです。後で私がお店に行くと、そのことをホステスさんたちみんなが話題にして笑いました。『そんなの、占い師に言われたからといって、少しくらい飲んだって大丈夫よ』と言い、マリアちゃんは『特別無料にしてあげるからこれを飲みなさい』と言ってウィスキーの水割りを作ってくれました。でも私は飲みたくなかったのです。バカな私ではありますが、あの占い師がそのことを言った時の顔は忘れることができませんでした。今から思えば演出だったのかもしれませんが真面目に見えたし、それ以外には何も言わなかったのです。だから、絶対に飲みたくはありませんでした。なんだか匂いを嗅いでも気持ち悪くなるのです。ところが、私がウィスキーに手を付けないで黙っていると、『これを飲んだら、今夜一晩付き合ってあげる』とマリアちゃんが言いました。これには驚きました。分かりますか。私が初めて好きになった女の人なのです。その人に、そんなこと言われましたら若い私は震えがきました。そうしたいとも思うし、そんなことをしたら取り返しのつかないことになるとも思いました。お店の人たちが、どうするかと伺うような目で私の方を見ておりました。これはいじめられているのだとすぐに思いました。それでも私はとても迷いました。マリアちゃんは、色白で、胸が大きくて、笑うと目尻が下がるような女の子でした。それまでに見たこともないような、優しげで温かそうな人だったのです」
 なるほどそれは困りましたねと私は思った。私だったら、一も二もなく、ググッとウィスキーを飲み干して約束だからとマリアちゃんの手を握って離さないところだが、鶴治さんはいったいどうしたのか。父の話に寄れば「飲んだ」ということらしいが。
「それで、どうしたと思われますか。実はそれでも飲まなかったのです。それほどまでにあの占い師の言うことを信じてしまっていたからです。マリアちゃんは、そんな私に『弱虫』と言いました。今から思えば傷付けたのかもしれません。本当の恋だったらウィスキーを飲んで死んでもいい、バカにされてもいいと、飲み干すべきだったのかもしれません」
 なんだ、飲まなかったのかと少し残念に思った。他人事ながら、もったいない話ではないかと不謹慎ながら思う。
「そんなことがあった後、なんとなく街にいられなくなって引越しました。当時は道路工事など現場の仕事がたくさんあったのです。寝るところや食べるものも与えてもらえるからあちこち行けたのです。私など何か大事なものがあるわけでもなかったし、もうどこへでも行ってやるという気持ちでした。その旅先から智之さんにあの手紙を書きました。ウィスキーを飲んでしまったと書けば少しは罪に感じてもらえるかと思ったのです。スナックでの出来事については書かなかったけれど、少しは後悔してくれるだろうかと」
 なるほど、いなくなったというのは聞いていた通りかと思う。若い頃には恋にしても友情にしても、ひとつ失えば命がなくなったと思うほどの騒ぎを起こさずにはいられないものだし、いなくなってしまいたいという鶴治の気持ちも分からないではない。
「今は、流れ着いて富山県に住んでいます。そのような私ですが結婚もして子どもが六人も生まれました。百合栽培の農家の娘に拾われたのです。拾われたというのもおかしな言い方ですが、彼女の方が私を気に入って結婚して欲しいと申し出てくれたのです。それで落ち着くことができ、やっと親にも連絡をとりました。智之さんが心配して、私の家族に毎年年賀状を送ってくれていることも知りましたが、それでも反抗心から、智之さんに私の居場所を伝えないでくれと親に言いました。それから、ここだけの話ですが、実は、結婚してからも、私はずっとマリアちゃんのことが好きなのでした。もちろん思い出の中のことです。考えてみれば特に何をしてくれたわけでもありません。初めてお酒を作ってくれてテーブルに置いて飲ませてくれた、それだけです。だから私はやっぱり、みんなにいじめられた通りバカなのでしょう。大した思い出もない女性をずっと好きでいるのです。結婚するときだって、マリアちゃんでないなら、もう誰でも同じことだと思って、半ばやけくそになり言われる通りにしたのです。妻はそんなことも知らずに私の子どもを六人も生んで育ててくれました。学校時代はいじめられた私でしたが、富山の家族には大切にしてもらって、考えてみれば宝くじに当たったようなものなのです」
 そんなことも知らずにって、まあ、そんなこと言えませんよねえと思う。それに、百合農家というのがどんなものかは分からないが、突然親切にされたのだったら、それはやっぱり、ウィスキーを飲まなかったおかげでしょうかと考えた。続きを読んだ。
「しかし、もしもあの時、ウィスキーを飲んでいたらどうなっていたのでしょうか。睡眠薬でも盛られて放り出されて寝転がっていたのでしょうか。どうあれマリアちゃんを一晩抱いたりはできなかったのだろうと思います。運よくそうなったとして、その後、却って辛くなっていたかもしれないし、今でもずっとマリアちゃんを好きでいるというようなことが出来ただろうかと考えると、そうはならなかったと思います。私のように取るに足らない人間にしてみれば、たったひとつでもやり遂げられたことがあってよかったのかもしれません。初恋の女性のことを、一生思い続けていられたなんて、もうすぐ人生も終わるという今になってみれば、笑い話のようなものですが嬉しくもあります。だからこれでよかったのでしょう。もちろん、今でもウィスキーは飲みません」
 大したものだなとため息をついた。父よりも鶴治の方が出来のいい人間ではないかと思い始めた。父の方で悔しくて、それで忘れられずに、「ダメな奴だ」と言っていたのではないか。記憶というのは分からないものだ。
「智之さんに嘘の手紙を書いて、ポストに入れようとした時、もうすでに本当はこんなことはどうでもいいことだと思いました。実はその時、それよりも気になったのは、その時に書いた自分の字があまりにも下手だったことでした。怒りに任せて書いたのに、よく見るとまあ、間抜けな字だったのです。こんな字を書いているからバカにされるのだと思いました。それで、手紙をポストに入れた後、早速文房具屋に行って万年筆を買いました。そして、字の練習をし続けたのです。だから、こうして、それなりに上手に書けるようになりました。今書いているのも、その万年筆なのです。私があなたのお名前を知っているのは、智之さんから私の家に届いていた年賀状から調べたのです。突然のお手紙、失礼しました。私が本当に幼馴染なのかどうかと悩んだりしないでください。本日八十八歳になったので記念に書かせてもらっただけなのです。私自身、どうしてあなたに書いているのだろうと思いつつ、はっきりと自分の気持ちを把握することは出来ません。たぶん、ずっとマリアちゃんを思い続けて、どこでどう亡くなったのか、それともまだ生きているのか分からないマリアちゃんのことを、誰でもいいから打ち明けたくなっただけなのだと思います。お許しください。島田鶴治」
 読み終えると、なんとなく感動して、ふと横で眠っている和子を眺めた。私にとってのマリアちゃんとは誰なんだろうと思う。和子なのか、それとも、そうではないのか。
(鶴治さんは、なんで私宛に書いたんだろうねぇ、この手紙を。お前のことを考えさせるためですかね)
 もちろん答えることなく眉間に皺をよせたまま静かに息をしている。
 鶴治のマリアちゃんへの恋心を思うと、私の和子に対する愛情などは汚れたものだったのかと考えた。浮気こそしないが、ああしろこうしろ、料理が下手だ、おたふくだとけなしてばかりで、優しい言葉のひとつもかけたことはなかった。和子のことはまるで自分のためにあるように思っていたのかもしれない。今では、せめて施設や息子夫婦に預けたりせず、私自らが世話をして寝たきりの床ずれが起きないようにと気を付けてやっているけれど、そんなこと、意識不明の彼女が気付くはずもない。もう感謝を伝えようもない。
 
 数日後、島田鶴治に返事を書いた。
「島田鶴治様 岸義男です。先日はお手紙ありがとうございました。鶴治さんが本当に父の幼馴染かどうかと考えることもしませんでした。ウィスキーの話を父から聞いたことがあったのです。父はあなたのことを心配しているようでした。もしも生きておりましたら、このような達筆のお手紙を頂いたことを喜んだだろうと思います。それにしても、息子の私が考えましても、父は少々横柄で大雑把なところがありました。若い頃、心ない行いをして傷付けたこと、許してやってください。鶴治さんのマリアちゃんへの思慕はともかく、すばらしい奥様と出会われて子どもをたくさんもうけられたこと羨ましく思います。また、百合農家さんでいらっしゃることも、羨ましく思います。実は、私は園芸が趣味で百合を咲かせることが大好きなのです。今は妻の介護でほとんど外に出ることもない日々ですが、百合の手入れと、真っ黒い犬のクマに慰められて生きている私です。お元気でしたら、またお便りください。岸義男」

 すると、数日後、段ボール箱と共に再び手紙が届いた。段ボール箱を開けてみると百合の球根がいくつか入っている。手紙には、私が返事を書いたことのお礼などがしたためられており、球根についてはこのように書いてあった。
「これは、この辺りで咲いていた野生の百合の球根です。戦争前に妻の兄が発見しました。当時は食糧不足で、見つかれば食用にされてしまうことが多かったので、兄さんがこっそり持ち帰って隠しました。絶やさないように栽培していたらしいのです。戦争も終わったことだし、新しい野生種だと言ってどこかに発表すればいいのかもしれませんが、そうなると、すぐに混合種を作るための実験に持っていかれてしまいます。混合種が悪いというのではなくて、あまりに不自然なことをされるのが嫌だと兄さんは言っていました。何年か前に亡くなりましたが、兄さんには救って頂いた恩もあり、誰にも言わず、受け継ぎ隔離栽培しておりました。名前も私が勝手に付けまして『マグダラのマリア』としました。ホステスだったマリアちゃんを思って付けたのです。しかし、私ももうすぐ九十ですから、園芸が得意な方を見つけると少しずつ譲っています。あなたは園芸がお好きだとお手紙に書いてありましたので、ご迷惑かと思いながら送らせてもらいました。兄さんの考えとは合わないかもしれませんが、私の家だけで絶やさないようにすることは無理なのです。それに、実は私はもう『マグダラのマリア』はいらないのです。勝手ながらウィスキーの出来事についてあなたにお手紙を書きましたらほっとしました。長年思い続けたマリアちゃんですが、今なぜか、どうということはないのです。横にいる年老いた妻を見ましたら涙が零れてきました。私のマリアちゃんのことなど知らず、皺だらけになった顔で笑っています。妻を花でたとえると何でしょうか。おたふく、おたふくとけなしてばかりきましたので、今さら花にたとえるのは恥ずかしいような気がします。しかし本当のマリアは妻だったのでしょうか。無一文で放浪していた私を拾ってくれたのです……」
 私は目頭が熱くなった。涙を拭きつつ、やはり誰でも妻のことはおたふくとけなすものなのかと泣きつつ笑い、今さら花にたとえるのが恥ずかしいのも同じだなと思う。
 和子に目をやると、急に頭痛がすると言って倒れた日のことが思い出されてくる。いつものように大したことないだろうと思いそのままにしてしまった。ところが、本人も休めば治るからと言って眠ったきり起きてこない体になった。倒れるまでは、いつも強気で明るい口調で話しはしたが、考えてみれば、体の方は向日葵のように頑丈な様子ではなく、どことなく儚げなような、それでいて流れに逆らわないせいで折れることなくいられるコスモスのように思っていたが、結果的にこうして、疲れたように眠ってしまったことを見ると、勝手に思い込んでいただけなのかもしれない。マグダラのマリアでなくても、確かにマリアという品種の百合はあるが、大目に見積もっても自分の妻をそれにたとえる勇気はないし、こうして寝ころんでいるばかりだから球根のようだなと思ってみたり、ならば花が咲くはずだがと苦笑してみたりした。それでも、眠る姿に愛しさがないわけではい。 
 時季を見計らい、私は鶴治から送られてきた「マグダラのマリア」を植えた。いくつかは家の鉢植えにし、いくつかは河川敷にある百合栽培の畑に混ぜてこっそり植え込んだ。こうすると、いつしか自然に混ざってしまうのだろうが、年齢を考えると、譲ってもらった球根の純潔を守り続けるのにも限界がある。息子夫婦が近くに住んではいるが頼むわけにもいかない。共働きで忙しそうなのだ。
 初めて鉢植えの百合が咲いたのは真冬だった。白い花びらで茶色の斑点がある。野生の百合はそんな風に地味なことが多いが、今までに見つかっている野生種と特に変わったところがあるようにも思えず、
(あれは本当に、誰にも知られていない、秘密の野生種なんでしょうかねえ)
 などと、和子に寝返りを打たせる時などに、ふと心の中で聞いてみた。もちろん答はしないが、もしも答えるとしたら、
「お前さん馬鹿だねぇ、百合なんてものはね、野生だろうがなんだろうが、球根で咲くんだから、一個ずつ一輪ずつ。品種にばっかりこだわっちゃ、花が可愛そうってもんよ」
 とでも言うのだろうか。

 咲いて数日後の夕方。いつものように裏庭でくつろぐ愛犬クマの首輪を外し、散歩に出ようと表まで連れてくると、玄関先に置いてあったマグダラのマリアの前で唸り声を上げ始めた。鉢植えの近くに猫でもいるのかと思い、首を伸ばして裏側まで眺めたがいる様子もない。何か勘違いでもしているのかとクマを見るが、やはり唸り声をやめはしない。
「おい、どうしたんですか」
 つい、声を出して聞いてしまった。それこそ答はしないのだが、思わず問いかけたくなるほど通常ではない様子を発揮している。特にクマは、普段は、ほとんど吠えない犬で、子どもに「クロ、クロ」とからかわれようが、散歩中に他の犬とすれ違おうが、キュンとも言わない大らかな性質だと言うのに、この時と言えば立ち止まってもう動かない。
「ほら、一体どうしたの」
 再び声を掛けると同時に、クマは狼のように高らかな声を発して吠えたてたのだった。一旦、声を発してしまうと制御が効かなくなった機械のようになって、噛みつかんばかりの様子を見せた。こうなると、冷静でもいられなくなって、こら、と叱ったのだが、それでも全く言うことを聞かない。記憶を辿ったところで、これまでに、他の百合が咲いてそのような声を上げたのを見たこともない。とにかく牙を剝き、喉を鳴らし、叱る私の声を無視して吠え続けた。私は戸惑いながらも、このほっそりとした小さな白い花に、大きな黒い犬が警戒心と攻撃性を剝き出しに吠えるのを見て、そうかと確信した。
(なるほどね、鶴治さん、これは本当に、秘密の野生種なんですね)
 白いマグダラのマリアは、華やかというより辛抱強そうに見えた。
 どうにかリードを両手で引っ張り、吠えたてるクマを引きずり出すようにして路地へと出た。外に出てもしばらくは興奮した様子を見せたが徐々に収まり、ほっとして、いつものコースである河川敷まで行き、知り合いに会えば立ち話をしたりお決まりの場所でのどかにマーキングするクマを見守ったりしていると、私がマグダラのマリアをこっそり植えた辺りに近づいていった。真冬でも促成栽培の百合がちらほら咲いている。そうなれば、他の花と混ざってしまい分からなくなってしまっているが、きっと咲いているのだろうと願う。あるいは、寒空だから咲かずにいるのか。
 ところが、ある場所に来るとクマが立ち止まってまたもや喉を鳴らし始めた。百合の咲く辺りを見ている。昨日もここを通ったがそんなことはなかった。しかし、家に咲いたマグダラのマリアを見てスイッチでも入ってしまったのか、百合の咲いている方を見て唸っている。そして、やはり高らかに吠え始めた。百合の一部に向かって街中に響き渡るほどの声で吠え立てるのだった。
(おい、百合を見たら吠えるようになってしまったのかい。それとも、マグダラのマリアを見つけたのか。咲いているのか、お前には見分けがつくのかい。匂いが違うのか)
 クマは体中を力ませがっしりと立ち止まっている。どうにか、見極めてみようかと百合の咲く方も眺めたが、遠すぎて私には見分けがつかなかった。私はクマを吠えるままにさせた。広い河川敷だからいいだろう。うるさいと言って叱られはしない。しばらく吠えるに任せておいて、ようやく収まってきたところで、行くぞと声を掛けた。すると、満足したのか、徐々に吠える声を小さくし、トコトコとついてきた。
 歩きながら百合の咲いている辺りを見た。ところどころ白い花が風で揺れている。あれだけ吠えたのだから、恐らくマグダラのマリアは咲いているのだろうと考えた。あの中に混ざって、鶴治の百合も誇らしく咲いているのだ。そうと思うと心が浮き立つように感じ、散歩から戻ったら早々に鶴治に便りを書きたいと思った。あれほど手紙なんぞはと否定していた私だったのに、おかしなものだ。
 何もなかったように元気に歩いているクマの方も見た。吠えた姿を思い出してみれば、なかなか逞しいものだったなと思える。考えてみれば、吠えることも必要だったのかもしれない。
 クマよ、これまで吠えなかったことが、お前、不自然だったのかもしれないねと、揺れている背中に向かって私は呟いた。(了)》

 なぜ驚いたか。ひとつには、前に近所でよく見かける黒い犬のことを書いたと思うが、ごく最近、散歩中に遭遇し、互いにアイコンタクトを取ったところだ。あの犬はいつから存在しているのだろう。私があの辺りを散歩し始めたのは2020年頃のことであり、この小説の制作年は2013年だから、まだあの犬と遭遇していないはずだ。
 そして、この小説についてはすっかり忘れていたのだが、読んでみて、ちょうど現在、父が八十八歳なのでびっくりしたのだ。この小説を書いた後、2014年頃には宇宙風とも呼べる風が吹き、一度はボウヤ書店は破壊されてしまい、別に保存しておいたファイルからひとつずつ戻して復活させたのだが、復活させつつ、花シリーズの続きともいえる長編『路地裏の花屋』を書いていたので、後ろを細かく振り返っている暇はなかった。それ以降も湧き出てくるものを書き取るのに必死で、保存には気を付けつつも中身をしっかりと読むことはなかった。
 それでもタイミングよく、父が八十八歳の時に開封したとでも言うべきか。びっくり仰天の今なのだ。
 それにしても、この作品のタイトルがどうして『菊 クリサンセマム』なのか。妻は百合ではなく菊だと書きたかったのか。
 いずれにしても、我ながらいい作品だと思い、恥ずかしながら涙を流した。

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