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連載小説 星のクラフト 4章 #6

 数日後、ランがホテルのカフェで朝食を取っていた時のこと。
「ラン、居たぜ」
 ナツが驚きを隠せないといった顔でテーブルまで走って来た。
「そんなに顔を赤くしてどうしたんだ」
「驚いたのさ。居たんだよ」
「誰が? もしかして――」
「そう、クラビスだよ。あるいはエルミット」
 ナツはランの耳元で囁いたが、吐き出す息の金属音で耳が痛くなりそうなほど興奮していた。
「どこに?」
「中庭さ」
「一人で? それとも鳥と?」
「いや、二人だ。相手は女性」
「なるほど。確かあの時、連れて行きたい家族はいないが、鳥を連れて行きたいと言ったはずだが、考えてみれば、想定外に、誰しも置いて来た家族と再会することになったのだったな」
 すっかり忘れていた。「で、二人は何をしていた?」
「中庭でティを楽しんでいたよ。よく見ると、女性は鏡の文字に使ったと思われるリップスティックの色の唇をしていた」
「じゃあ、あの部屋で二人一緒に? シングルルームだと思ったが」
 ランはカップに残っていた珈琲を飲み干し、歩いているウェイターに手を上げて、自身の為に珈琲をもう一杯と、ナツの為にも一杯を持って来てほしいと頼んだ。
「確かにね。部屋を変更して貰ったのだろうか。それでいなかったのか」
 珈琲が届くと、
「これを持って、中庭でくつろいでいるふりをしながら、クラビスとその女性の居るところに近付いてみよう」
 ランは立ち上がった。
 ナツも、それはいいアイデアだな、と立ち上がった。

 クラビスと連れの女性は背の高い樹木の下にあるテーブルを陣取っていたので、ランとナツは樹木の後ろからそっと近づき、見えない位置に立って耳をそばだてた。すると二人は、小さな声ではあったが、はっきりとこう言った。
「ハルミ。いつまで居られる?」
「いつまでも居られるわよ」
「ならよかった。こんなことになるなんてね」
「クラビスにも想定外だったのね」
 それを聞いていたランとナツは顔を見合わせた。
「どういうこと?」
「女性がハルミで、クラビスが俺たちの知っているクラビス?」
 小声で言う。
「じゃあ、リオの知っている鳥籠を携えた人とはハルミか? でも、リオは彼って言っていたはずだが」
「後で聞いてみよう。それより、二人は立ち上がったぜ。そっと後を付けて行き、部屋を改めて確かめよう」
 ナツの提案に、ランは大きく頷いた。

 ハルミとクラビスは、前日にリオも含めた三人で侵入した部屋に入っていった。
「おい、結局、あの部屋に居たのか。この前はどう見てももぬけの殻だったが」
「荷物が何もなかっただけかもしれないし、今日、どこかから戻ってきたのかもしれない」
「でも、鳥は?」
「連れて行っていたのだろう」
「だけど、じゃあ、あの鏡にリップスティックで書いてあった《名前》ってなんのことだ。しかもリップスティックで書くなんて意味深じゃないか」
 ランとナツは部屋の前で混乱した。
「それより、何食わぬ顔をして、部屋の呼鈴を押してみるか、あるいは、ルーム電話で呼び出してみたらどうか」
 ナツがいい思い付きを得たとばかりににやける。
「なるほど。直接、呼鈴を押してみよう」
「それに、昨日、返すのを忘れていた鍵がここにあるからね」
 ナツは胸ポケットから鍵を取り出して見せた。「思い切って中に入ることもできる」
「もしも出て来なかったら、そうしよう。理由を話せば分かってもらえるだろう」
 ランは承諾した。
 ナツが呼鈴のボタンを一度押した。
 出てこない。
 もう一度押した。
 しばらくして、扉が開いた。
 顔を出したのはクラビスだった。
「これは、隊長」
 相変わらず穏やかな笑顔を見せる。「お久しぶりです。ホテルの部屋に割り振られてから、初めてお話しますね」
「見かけないから、心配したよ」
「私の方からは時々お見かけしましたよ」
 中から鳥の鳴く声が聞こえる。
「鳥、居るのか」
 ナツは意外そうに言った。
「ええ、ご覧になります? 今は部屋の中で放していますが」
 クラビスは室内に入るかと誘った。
「放し飼いなら、少し覗くだけにしとくよ」
 ナツは苦手らしい。
「じゃあ、少しだけ、どうぞ」
 リオが言った通りのクリーム色の鳥が一羽、ベッド横のテーブルに止まっている。
「他に誰かいるのでは?」
「いいえ。私一人です」
 クラビスはにっこりと微笑む。
「本当に?」
「部屋を見渡してください。気になるのでしたら、クローゼットとかバスルームとかトイレもご覧になります?」
 ランとナツは顔を見合わせた。
「じゃあ、遠慮なく、僕だけ」
 ランは中に入り、あらゆる扉を開けて全てを確かめた。
「いない。誰もいないね。鳥だけだ」
「インディ・チェム、という名ですけど」
 クラビスは相変わらず穏やかだった。
「そうか。今は少し混乱しているから、俺たちは帰るけど――」
 ナツが言い掛けると
「今度ゆっくり話ましょう」
 クラビスが微笑む。「それより、返してください」
 手のひらを出す。
「何を?」
「何をって、昨日、書いておいたでしょう? 鏡に」
 クラビスは微笑んだまま、わずかに眉尻を下げた。
「ああっ」
 ナツは声を上げ、胸ポケットから鍵を取り出した。
「それです」
 静かに言い、ナツがクラビスの手のひらに鍵を置くと、
「勝手に入られては困ります」
 にっこりと微笑み、
「では後日、話しましょう」
 と言って、扉は閉じられてしまった。

つづく。

 

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