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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-18

 長編小説『路地裏の花屋』の読み直し。
 続きから。

四章

 五月半ばになると再び蓮二朗から電話があり、裏に手紙の挟んである絵画の詳しい話を聞くことになった。かつては蓮二朗の離れ家の壁に掛けてあり、今ではカタギリユミカのサロンにあると思われる絵画。
 先日の様子からすると、蓮二朗は人間と話をするのが嫌いと言いつつ実はおしゃべり好きで、話が長くなるだろうからと録音機を持って行くことにした。向かった先は「余白」という名前の画廊。着いてみると、その名前に相応しく、壁のスペースは充分に空けられ、額が大切に飾られていた。十枚ほどの展示だった。
「いい絵ですね」
 中西は仏画を見渡し、「ああ、絵ではなく、版画か」と呟いた。
「仏画は、毎年展示をしてくれる作家さんのものでして」
「展示をしてくれる、ということは、この画廊は蓮二朗さんのものですか?」
「管理をしているだけ。昔は私も目立たない場所に展示をさせてもらう側でしたが、オーナーが私の絵を気に入って下さって、まるで私専用みたいになりました。実を言うと私の描いたものは全て地下に保管してあるのです。時々、オーナーの店や自宅に飾ることを許可するという約束でここを自由に使わせてもらっています。その代わり私の絵を私自身が勝手に持ち去ったり、誰かに売ることは出来ません。要はすべてオーナーのものです。いいんですよ別に、売りたくて描いているわけでもないし、一階ギャラリーの展示で頂く料金は全て私のお小遣いとなっておりますので」
「後で地下の絵を見せて頂けるんでしょう?」中西は蓮二朗の淹れた緑茶を啜った。 
「もちろん。空気を入れ替えておきました。でも、黴臭いかもしれませんよ」表の硝子扉に鍵を掛けると「どうぞこちらへ」と言って地下室へと中西を誘う。
 蓮二朗が前を行きその後ろを中西が着いていく。階段は細く古い木製で、二人が足を進めるたびにぎいと音を立てる。
「離れ屋に行くときも細くて薄暗い通路、絵の保管庫に行く時も細くてぎいと鳴る階段」蓮二朗は冗談めかして言い「足下にお気を付けください」少し振り返って笑った。
 階段横の壁には花や樹木を描いた小作品が並んでおり、地下室には壁の半分ほどもある大作が二つ、それ以外に、抽象画や赤茶色のコンテでデッサンした人物画、果物や花瓶を描いた静物画など、さまざまな絵画が所狭しと並んでいた。
「すごい数ですね。全て蓮二朗さんが?」
「そうです。三十過ぎてから初めて描いたのですけども、ほとんど教わらないのにまあまあ巧く描けたので驚きました。自画自賛してはお恥ずかしいですが、ほんの少しだけ習った先生にもほめられて、いっそ画家になったらどうかと言われました。まあ、そんな、恐れ多いことできますかと断わりました。確かにこの程度であれば描けるのは描けるのですけれども、特にその頃は絵画というものの存在価値がよくわからなかった。壁に飾るインテリアなのか、それとも、画家の命の一部とも言える芸術なのか、買うと言う人はいったい何を買い、また、売ると言う人は何を売るのか」
「一枚も売らなかったのですか」
「そうです。今ではここのオーナーに気に入られて、ある意味何を描いてもお買い上げと考えれば積極的に売ろうとも思わない。本来、先史時代のことを考えれば芸術の目的なんて、神様か何か、大いなるものに捧げる生贄みたいなものだ。人間に売ることだけが至上として設定されてしまいますと、それはどこか、画家が人間の小間使いみたいでいささかプライドが傷付けられる。いや、構わない。そういうのも構わない。芸術だってもっとフレンドリーでいい。だけど、私はね、どこでもかしこでも小間使いでしょう? せめて絵画に向かう時にはそうではない私でいたい。まあ、だけど、結局、オーナーとかいう大いなるものの小間使いであることには変わりないけれども」
 蓮二朗はある絵の前に立った。「これを見てください」
 絵の幅は中西が両手を伸ばしてやっと胸に抱えられる。縦はその半分より少し長い。木造の長屋が建ち並ぶ路地で十歳くらいの女の子が毬をついて遊んでいるところが描かれている。女の子は白いブラウスを着て赤いスカートを履き、三つ編みにしたお下げが耳の下から見えていた。淡い色合いの油絵だった。「想像です。けれどもリアルでしょう? それに比べてこちらの絵を見てください」
 長方形や正方形、台形などが折り重なる抽象画だった。グレーや茶色の色彩でグラデーションを付けてある。
 中西はじっと見る。「こちらも、もちろん想像でしょうね?」
「ところが、そうではありません。この抽象画、本当は風景画です。運河の近くで写生しました。単に緻密ではないだけで、運河や歩道、マンホールや植え込みの鉢の関係性をぴっちりと測量して、ちょうど夕暮れ時のトーンか、描く部分の見たままの平均値的色彩を塗ったのです。ほとんど、事物の模写とも言えるほど計算ずくに描いた精確な創作物です。おもしろいでしょう。私たちは具体的な表現を見ると事実であると錯覚し、抽象的な表現を見ると妄想的な想像であると錯覚する」
「それにしても、この女の子の絵画はあまりにリアルですよ」
「思い入れがあります。お話したあやのという女の子のイメージです。子どもの頃に別れてしまったのでうる憶えでしかないけれど、想像で描きました」
 中西は黙ってうなずいた。
「こんなのも描きました」
 そう言って、蓮二朗が棚に挟んである額を引っ張り出すと、それは骸骨の絵だった。中西があっと声を上げるほど、画面上にたくさんの骸骨がある。「強烈でしょう?」
「一体どうして、こんな絵を?」中西が言うと、
「こんな絵とは失礼な」蓮二朗は苦笑し、「これは、写生でもなければ想像でもなく、抽象でもなければ具象とも言えないものはないかと考えた結果です。私たちは見たことがないし、だいたいの人は見たくもない。だけど、必ずある事実。こんな形の骨の野郎が私たちの内側でかくかくごとごと動いておるんですから、こいつらを忌まわしいと言い切れるかどうか」
 再び棚に仕舞った。「ところで、もっとも見て頂きたい絵は階段の途中にあります。それを外して一階のギャラリーに戻りましょう」
 蓮二朗は階段を上る途中で薔薇の絵を外しギャラリーまで持って来るとテーブルの上に置いた。「さて、この絵です」テーブルに置いた絵を中西に絵を見せた。
「この花を見てください。私がずっと若い頃に描いた初期作品。完璧な薔薇を描きたくて知り合いに黄金比率を割り出してもらって描きました。リアルな立体に見えますが、これも想像の花。さて、ある場所でこれにそっくりな絵を見たことがあるのです。花びらの置き方がまるでこれにそっくりだった。アイデアを盗まれたというわけではないでしょう。誰かが同じことを考えて創作したに違いない。黄金比率って、そういうものなのです。一番美しいが、意図せずしてそっくりさんがどこにでもある。私自身でさえ、もう一枚、自分でこれを模写して描きました」
 確かにこの薔薇ならどこかで見たことがありそうだ。中西は目を近付けて筆運びまで見つめた。「ひょっとして、セラピストのところにある絵もこれを模したものと思われる絵なのですか」
「ご名答。もともとは離れ屋にあった絵です。あの絵を初めて見た時に、ああ、私の薔薇の絵だと思いました」
 私の? どういう意味だろう。そっくりな、ではなくて? 蓮二朗の表情から答えを探り出そうとしたが、よくわからなかった。
 しばらくの沈黙の後、蓮二朗が先日のように途切れることなく喋り始めたので、録音を始めた。

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