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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-36

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき。

《初めて奈々子のヒーリングルームを訪れてから数週間経って、ようやく二回目のセッションを受けてみようという気持ちになり、連絡を入れて予約を取った。二回目を受ける前に、奈々子の庭にある楓からの発信情報を受け取ることが出来るだろうかと、箪笥に仕舞っておいた小さな欠片の方のハーキマーダイヤモンドを取り出した。特に変わったことをするわけではない。その欠片を自前の楓の盆栽の前に置いて、ぎんに語りかけるように問うだけだ。正直、樹木とはいつでもそんな風に対話しているのだから、蓮二朗にとっては日常的なことなのだ。
「さてさて、どうですか。奈々子さんは何かありますか」
 縁側に盆栽を持ち込み、その土面においたハーキマーダイヤモンドに問いかけた後は何も考えずにその辺りをぼんやりと眺める。庭土の上で雀がチュンと鳴いた。鉢の中で一度落葉した枝に新しく芽生えた小さな葉が風で少し揺れている。それを見ていると、先日、奈々子の庭の楓が雨に濡れていた様や、門から一本道を抜けて養老園へと折れる森の道で輝いていた楓の根っこ辺りの匂いが蘇って来る。土の中で眠っているハーキマーダイヤモンドのことも想像してみる。
 ヒーリングルームのヒノキの香り、首元に付けていたオレンジカルサイトの色、窓から入って来る風の感触。いろんなことが回想されてくる。あの部屋は骨董の壺の内側のようじゃないか。骨董の壺の内側に居て、様々なクライアントのカルテを確認している奈々子がいる。今日も働いているのだろうか。中西は? いない。彼はほとんどいない。そうか、彼はアロマセラピストの偵察に心を奪われているからな。いや、そうじゃないのか。ずっと前から中西はいない? 何年も。そんなはずはない。結婚はしていないけれど、内縁の妻だと言うのだから愛はあるのだろう? でも、いないのか? そんなわけないだろう。
 蓮二朗はひとつ咳をして身震いする。
「何を考えているんだ。こんなこと全部、ただの妄想じゃないですか」
 己を戒める。そして、盆栽の前に置いたハーキマーダイヤモンドをつまんで立ち上がろうとした。指がちりちりと焼けるような感覚がする。なんだこれは。もちろん、焼けたりはしない。熱く流れ出るような手触りがする。
涙? 誰の。奈々子の? 独自でヒーリング方法を考案した冷徹なセラピストの?
 手のひらに乗せた石を見た。それは涙のようにも見える。彼女は泣いているのだろうか。
「そんな馬鹿な。私には一体何が見えているというのだ? 思い込みだろう」
 言葉では否定しながらも、ハーキマーダイヤモンドの感触自体は確かなもので、否定する余地はどこにもなかった。手のひらの石をぐっと握りしめる。やはり熱い。

 二回目のセッションに向かう時、森の途中で埋めたハーキマーダイヤモンドを掘り出した。チャンスがあれば庭にある楓の根っこに直接埋めたい気がしたが、もちろんそんなことは無理だろう。
 約一時間のセッションの最後に、
「木花さんにとってその虚無感が苦痛でないのであれば、特に消去する必要もありません」
 奈々子は淡々と言い「苦痛がないのにヒーリングを受けてみるのも悪いことではありません。何か発見があればそれでよかったと思います」カルテのような記録用紙に終了の文字を書き入れようとしていた。
 蓮二朗は慌てた。
「苦痛ではありませんが預かってもらえませんか」ここで終わるのは嫌だった。「消去出来なかったことをクリスタルガラスに託して預かってくださるのではありませんか」
「その必要がありますか? 何かお預かりすべきものがありますか」
 奈々子はペンを止めた。「正直、私にはそのように見えないのです」
「虚しさとは苦痛なものではありませんが、それがあると気付いてしまった以上、ずっと抱えて日常生活を送るのはいささか不便なものであります」
「ここに託してしまいたいのですか?」
 奈々子は蓮二朗をまっすぐに見る。「ご自身で能動的にそのように感じられるのですか」
 澄んだ瞳に見据えられて、ええ、まあ、と少しうろたえる。いちいち自分の気持ちが能動的かそうでないかなど考えたこともないが――。「能動的に、そのように思います」
 それでは、ということで、奈々子の方から料金などのシステムについての詳しい説明があり、もう一つの部屋へと案内された。玄関を入ってすぐの部屋と寝椅子のあるセッションルームとは別に、クライアントから預かったクリスタルガラスを入れる棚のある部屋があるのだった。壁一面に棚がびっしりとある。
「これが全部クライアントですか?」驚いたな。
「いつの間にか増えてしまいました。これでも、連絡のなくなったものは整理するようにしております。知らない間に置きっぱなしということはありません」
 奈々子は壁を見渡した後、クリスタルガラスを引き出しからいくつかを取り出して中央にあるテーブルに並べた。蛍光灯の明かりを映してプリズムを創り出し煌めいた。「クリスタルガラスは、私が所持しているものから選んで頂くか、あるいは希望する形のものを新たにオーダーメイドで注文するか、どちらでも構いません。後者であれば時間もお金もかかりますけれど一点ものですし、前者の場合はクレンジングしてはいますけれど、以前に誰かが使用したものとなります。お好きな方法を選択してください」
「できれば、この石を象ったクリスタルガラスを造ってもらいたいのですが、だめでしょうか。少々形が複雑なのです」
 蓮二朗はポケットに入れていたハーキマーダイヤモンドを手渡した。奈々子は手に取ってしばらく眺め、石についていくつかの質問をした後、わかりましたと言った。
「たぶん大丈夫です。腕のいい職人さんに頼んでいますが、まったくそっくりなものが出来るかどうかは分かりませんが可能です」
 蓮二朗はこれでうまくいったと胸を撫で下ろした。ハーキマーダイヤモンドを預けたら、後は料金を支払って、もうこのハーキマーダイヤモンドは取りに来ないつもりでいた。ここと自宅は繋がっている。
「先生、それにしても、多くのクライアントが消去したかった何かというのは、美しいものですね」
 テーブルの上でクリスタルガラスは虹のような光を放っている。「この棚に仕舞ってあるクリスタルガラスを一度全部取り出して、テーブルの上に積み上げてみたいと思われませんか。そうすると、この天井や棚や床に、一斉にこの虹のような光を創り出すでしょう。そう考えると仕舞っておくなんてもったいないですね。ねえ、先生、きっとそれは、驚くほど美しいでしょう」》

つづく。

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