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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-外伝-1

 長編小説『路地裏の花屋』の読み直しつづき。ここからは外伝部分であり、本体の12章と14章の間にある13章に位置付けられるもの。
 タイトルは中編『ツツジ色の傘』。『路地裏の花屋』の中西マウルが12章で倒れ、その後、14章で起きるまでの間に見た夢、あるいは訪れた別次元といった位置づけとなる。

『ツツジ色の傘』    文 米田素子

《《私は蝶でございます。己の色は知りません。わたくし、ほとんど永遠と言っても差し支えない年月を生きているのでございますが、そんなことはきっと信じてもらえないだろうと思います。たとえほんの一瞬、気の迷いのように信じてみようかと心を向けて頂いたとしても、どんなやり方でもってそんな事が出来るのだろうか、やはり命あるものひとたび生まれたのなら、いつかは必ず死ぬ運命だろうと、思い直される方がほとんどでございましょう。それでもどうにか信じて頂きたいと願って、何か証拠になりそうなものを探してお伝え申し上げたとしましても、きっとひどい罵声を浴びる。大嘘つきのほら吹き野郎と言われてしまうに違いありません。
 実際、同じ蝶たちであったとしても、ある時、すれ違いざまにこのことをそっと打ち明けてみましたら、せせらわらうかのように翅を震わせ、蔑むようにしてさらさらと遠くへと飛び去っていく次第。
 けれども決して嘘ではございません。
 本当に私自身、最初の頃のことはもう記憶にないほど永い年月を生きているのでございます。どうにか思い出せる一番古いもので言えば、この辺りであっても、樹木も生えずに岩ばかりが延々と続いていた頃のこと。空高くの月や太陽も彼らを愛でるものがなければいっそ冷たく、ただ丸い光がぽっかりと浮かんで、他に何もない白々とした月日がございました。わずかに生えておりました黄色い花の蜜を吸い、時折降る雨によってできる水たまりの水滴を飲んで、ただひたすら無意味に生きていたのです。考えることもない。ただ夕日が橙色に沈めば樹木の葉陰で眠るのでした。それでもやはりわたしのように蝶は辺りを無数に飛んでおりました。白い蝶、青い蝶、赤い蝶、緑の蝶、黄色い蝶。しかし、最初に申し上げました通り、私は私の色だけは知りませんでした。それは今も変わらず、そうなのだけど。
 こんな命、ひょっとしましたら、この頃の人間さまの世界で申し継がれている意味においての「生きている」とは全く異なるのかもしれません。人間さまの思い浮かべる意味での「生きている」とは「まだ死んだことがない」という意味でございましょう? 
 だとすると、そういうお前は一度も死んだことがないのか、それで延々と生きているのかと問われた時に、私はどうお答えすればよいのかわかりません。でも本当は、人間さまも、私の考える意味においては死んだことがおありなのかもしれません。ひょっとしたらお忘れになっているだけじゃございません? だから「まだ死んだことがない」と考えておられるのではないでしょうか。お疑いになるかもしれないけれど、私は覚えているのでございます。私が死んだ時の事を。
 ついこの間死にましたのは、男の子の虫取り網に捉えられて籠に入れられ、その後花の蜜をくださらなくて翅が萎れてしまった時のことでございます。運よく男の子の母親が虫籠の傍にあった花瓶にお花を活けられましたから、それをじっと見つめて、花瓶の花に心を移して、花びらそのものに成ることが出来ました。そうしてみんなが寝静まった夜の間に、成り済ました花びらを翅の如くに動かしまして、茎を千切って飛び立ちました。もちろん誰も気付きはしないはずでございます。どんな方でも居間に活けた花の花びらの正確な数なんて覚えてなんかいらっしゃらないでしょうから。そうして飛び立った後、私は見ました、籠の中で萎びてしまった私の以前の身体を。ああ、また死んでしまったのねと私は私の身体のために涙を流し、それから常の住処でございます松の木へと帰ってきました。当面成り済ました花びらは黄色いものでしたが、飛んでいるうちに私の翅は青く透き通る色になっていくのです。もちろんそれは想いの中の色ではありますけれど。やはり本当の色は知りようがないのでございます。
 とにかく、いつだってこうするのです。翅が終わりそうになったら近くにある花びらに飛び移ってしまう。こうやって何年も何年も生き長らえている。それは運がよかったのだと仰るのなら、あえて否定は致しません。確かに私はいつだって、死にそうになった時にはそばに花びらがありました。もしかすると、一生懸命飛び回って生きた時には誰だって、身体が終わりそうになると近くにお花が咲いて、すっとそれに飛び乗ることができるのかもしれません。人間さまがお弔いをなさる時にお花を添えるのも、うすうす心の奥底でそのことをご存知で、亡くなった方の魂が次のお花に飛び移ることができるようにとのお計らいなのかもしれないのでございます。
 ただ、人間さまはきっと何もかもお忘れになるのです。だって生まれた時の事だってお忘れでしょう? だからきっとそれと同じように、お亡くなりになった時の事もすっかりお忘れになって、いつでも何もなかったかのように、その時々に新しい命だと信じて暮らしておいでなのでございます。いつ死ぬか、いつ死ぬかと案じながら。
 私などこっそりそれを眺めて、あら、いつ死ぬか、だなんて、ついさっきあなたお亡くなりになったじゃありませんか、そしてもう一つの身体に移動して、新しい町の方に移動して来られたじゃありませんか、と心の中で思うのですけれど、如何せん、私は蝶でございましょう? 人間さまにそんなことをお伝えすることなどままならず、ただその方の周囲をはらはらと飛び回るだけなのでございます。
 そういえば、以前こんな人たちをお見かけしました。》》

つづく。

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