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連載小説 星のクラフト 2
ランは動揺しているナツと家族たちを残して、船を保管している部屋の扉を開けた。
扉のある壁面以外は、側面の壁も、天井も、床も頑丈で透き通ったガラスで作られている。だから、船は空間に浮かんでいるかのように見える。
ランがガラスの床を歩くと、下階の工房で働く人が見えた。少し前には建物が揺れて浮き上がり、予告する間もなく出奔し始めたのに、誰一人としてうろたえてはいない。うろたえるどころか、揺れたことで撒き散らされた部品などを拾って、淡々と元の場所に入れ直している。もちろん、前もって、近々、知らせもなく建物ごと軌道に入るから心構えをしておくようにと伝えてはいたが、それでも、全員が平然として、全く取り乱していないのには感服した。
――プロだな。
ランは改めて彼らに感謝した。
側面と天井のガラスからは夜が訪れる前の夕景が見える。この後、すっかり日が暮れれば、プラネタリウムのように星が見えるだろう。あるいは海底に光るクラゲが漂うように。
以前の予定では、この側面と天井のガラスを割って、ランとナツの二人だけが乗った船が軌道に入って行くことになっていた。そして数週間の旅路の後、目的としているエリアに辿り着いたら、組み立て専用に雇われた人々が待っているはずだった。そこで彼らと共に工房で製作されたパーツを組んでいく。
ところが、ひと月前に司令塔からメールで変更の通達がきたのだ。
《ラン、今回はその建物ごと出奔する。テーブルのある部屋の右側のカーテンの横に青い猫のシールが貼ってあるだろう。それを剥がすとボタンがある。時が来たらそれ押せ。建物ごと浮き上がり、予定された軌道に入る。》
意味がわからなかった。
これまでにも二人乗りの船でなんらかのルートに入り、司令塔からの通達に従って何度も仕事をしてきたが、今回は建物ごと出奔? どういうことだろう。
《意味がわかりません。》
ランは返答した。
《意味などわからなくていい。時が来たら実行せよ。それまでに、建物に乗せるべき人材を選抜して告知しておくように。何人でも構わない。必要物資はいつも通り、軌道の途中にあるステーションから受け取れるようになっている。出発までに人数などの情報をエントリーしてくれ。必要なものを送り込んでおく。滞在は長くなりそうだ。それを考慮して、人材を選抜するように。実行する日は追って知らせる。》
ランの立場では司令塔の指示に従うしかない。
通達を受け取ってからは、書斎に工房の人々を一人ずつ呼んで面接をし、家庭の事情などを聞いた。滞在は長くなるが連れて聞きたい人はいないかと。数人いる職人のうちの一人を除いて、一緒に連れて行きたい家族や友人はいないと言った。一人だけは小鳥を連れて行きたいと言い、ランは許可した。
「出発は突発的なものになりそうなので、いつ出奔しも大丈夫なように、毎日小鳥を工房に連れてきておくように」
しかし、ナツにだけは最後まで内緒にしておいたのだった。おそらく、今回は建物ごと出発し、長期間になりそうだと言えば、すぐさまナツは家族を置いていくと言うだろうし、それができないのであれば、今回は離脱すると言うだろうから。
――ナツがいないのは困る。しかし、マヤさんや子供たちを置いてけぼりにするのも気が引ける。
そう考えて、ランは裏でナツの妻であるマヤを呼び出し、事情を話して、マヤ自身はどうしたいかと聞いた。
「もちろん、一緒に行きます。これまでだって、一緒に行きたかったのに、船には二人しか乗れないと言われて、諦めてきたのよ」
マヤは目を輝かせた。
「こどもたちの学校はどうします?」
「学校は行かせなくても大丈夫。私が勉強を教えるから」
マヤは絶対に決意を変えるつもりはなさそうだった。
「その瞬間まではナツに言わないで。きっと、彼はマヤさんたち家族を連れて行きたくないと言うだろうから」
「私もそう思う。私も夫の性格についてはよくわかっている」
マヤはあの時興奮して、林檎のように頬を紅潮させてうなずいた。
幸か不幸か、ラン自身には連れて行きたい家族はいない。
「だけど、本当に建物ごと移動できるのだろうか」
ランは通達を受けてからずっと、それだけが不安だった。「試しにボタンを押してみることもできないし。一体、司令塔側は何がやりたいのか」
そして今、とうとう司令塔から合図が来て、指示通りにボタンを押して建物ごと浮き上がったのだ。
天井と床と三方の壁面をガラスで囲まれた部屋に立ち、乗り込んで、この建物から飛び出す予定だった船体を眺めていると、司令塔の指示通りに建物が動き出したことに対する安堵と、これからどうなるのかといった不安が同時にランの心を支配した。
これまでの経験では、動き始めてから数時間で軌道に入る。
「それにしても、戻ってくる時にはどこに戻ればいいのか」
ランはガラスにへばりついて外を見た。大地が遠ざかって行く。息がガラスを曇らせる。これまでの出奔では船体だけが飛び出すので、帰る時にはあの建物に戻るのだと目印があった。ガラス張りのこの部屋。
でも、今回は建物ごと飛び出したのだ。
ランは下を見る。建物があったところには数本の街灯が見える。
「目印はあれだけか」
絶望的に思えた。
いや、実際には絶望する必要などどこにもない。
これまでの経験では、予告の司令が届くと、こちらが何をしなくても帰還ルートに入り、勝手に船は戻るべき軌道に接続し、収まるべきところに収まった。
「心配などしなくていい」
ランは自身に言い聞かせた。
徐々に目印も遠ざかり、建物は宇宙空間に浮かんでいた。まもなく、司令塔からの牽引磁力によって、予定された軌道に入るだろう。
ランは船を保管する部屋を後にした。
軌道に入る前に全員を集合させて、旅が始まったことを宣言しておく必要がある。
つづく。
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