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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-28

長編小説『路地裏の花屋』読み直しつづき

《六章

 中西さんはいつまであんな風にしているのかしら、というのが響子の口癖だった。小説を書くと言いながら雑誌に投稿する気もなさそうだと言う。
 満開を過ぎて朽ち始めた花を店内のバケツから抜き取りながら、蓮二朗は、ああそうですね、と気のない返事をする。もう聞き飽きた。何度同じことを言うのだろう。
 菊のぬるぬるとした茎の先を折って屑入れに投げ込む。しょんぼりした葉もむしり取る。菊は葉っぱからだめになっていく。そうなると、まだ咲いていても後は下り坂で、商品としての価値は少ない。切り花は投資株みたいなもので、これから咲くものが重宝される。だから蓮二朗は、もう売り物になりにくい満開過ぎの花は遠慮なく頂戴し、自宅に持ち帰って生けることにしていた。熟れかけて値引きされた桃が一番美味しいように、本来花は満開から終わりまでの時間帯が一番の見どころ。いつでもそこを頂けるのは役得と思っている。
 考えてみれば響子自身そういうお年頃だ。口にする話に代わり映えもなくなった。上り坂にいる若い女ならばやたらと奇を衒ったことを言うので、周囲からちやほやされて面白がられるが、何時の頃からか、彼女はそういった意表をつくようなことは口にしなくなった。わざとらしさに気付いて自ら止めていったのか、それとも思いつきもしなくなったのか。いずれにしても蓮二朗の本心からすると、奇天烈すぎるのは味も匂いも少ないものだから、むしろ今の彼女の方が昔よりずっといい。それなのに本人は私なんかと言って無防備、幼子みたいなものだといえる。実に危なっかしい。
 掌に集め束ねていた赤紫色の小菊を新聞の上にどさりと置く。花から日焼けした黒髪のような匂いが立ち上った。
 次のバケツに取り掛かり始めた時、
「お琴の生徒さんが、もう一度中西さんに会いたいというのだけど」響子が話を続けた。
「もう一度って?」花をいじる手を止めて、やっと彼女の顔を見た。「一度でも彼に会ったことがあるのですか」
「先日いらっしゃった時、帰り際にすれ違いましたでしょう。牡丹柄の着物を着た子」
 そう言えばそうだったな。ちょうど中西に例の手紙を渡した日だ。あの時、ちょうど話が終わった頃合いで稽古を終えた娘が現われた。だけど、あれだけで? 何も会話など交わすことすらなかった。本当にすれ違っただけではないか。それで会いたくなったりするものなのだろうか。
「素敵な方ですね、とか言い出してね」
 蓮二朗は何も答えずに再び花を選り始めた。
「彼女のお父様が新聞社にお勤めで、随分お偉いさんらしいのよ。中西さん、物書きになりたいならそういう縁もいりますわよね。二人を引き合わせてあげましょうか」
 響子の気持ちが分からなかった。身辺調査の仕事をする中西がメモの受け渡しのために花屋に出入りするようになったのは十年ほど前のことで、それ以来、彼が来るという日には濃い口紅を選んで塗っているのを知っていた。早く帰りたがっているのにお抹茶を点てますからと引き留めては断られ、たまに中西が折れて、ではと奥座敷に上がった時には翌日まで華やいでいる。その都度、たったあれだけで? と思わずにはいられなかったが、誰から見合いを勧められても断ってきたのは、自分より若い中西のことを好きでいるからなのだろう、意外と世間知らずの響子ならば、その一緒に抹茶を楽しんだという程度のささやかなことでときめいても仕方がないだろうと考えていた。その響子がどうして若い牡丹柄の小娘を中西に引き合わせようとしているのか。
「そうしたいなら、そうされたらどうですか」
「冷たいのね。そんな言い方」
 何も言わなかった。どう答えろというのか。選り分けた菊を新聞にくるみ腹に抱えて立ち上がった。響子が立ったままで蓮二朗の動きを目で追っているのを鬱陶しく思いながらも、気付かないふりをした。
「終わりかけの菊ですけれど、響子さん、何本か使われますか。床の間に活けても数日ならもちますが」
 響子は小さく首を横に振る。「要らないわ。床の間には蓮二朗さんが御造りになった盆栽しか置かないって、いつも言っているじゃないですか」
「ならばこれは私が持ち帰ります。肥料にもなるものですから」
 帰り支度をして外に出た。》

つづく。

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