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解読 ボウヤ書店の使命 ⑳

 昨日(2023年4月28日)は絵画教室の日で、二週間前に描いたシュルレアリスムのオートマティスムの技法による木炭画を物質化に向けた工程に入る第一回目だった。
 この木炭画をどうやって物質化するかは私にとって、この木炭画が物質ではないのかどうかの問題も含めて重要なテーマなので、この二週間、美術館や林、森、文喫、カフェなどを訪れながら思いを巡らせていた。シュルレアリストにとって物質化とは目の上のたん瘤のように常に付きまとう問題なのだ。
 森美術館、近代美術館を訪れたところまではすでに記録した。さらに2023年4月27日には現代美術館の『被膜虚実/めぐる呼吸』展を観て、木炭画を物質化する工程第一回に向けての準備はひとまず出揃ったことになる。『被膜虚実/めぐる呼吸』展はコレクションからキュレーターがテーマに沿って展示したもの。この中で遠藤利克さんの《泉》と松本陽子さんの作品を観て、
 ――木炭から色へ、か。
 とのインスピレーションを受け取った。さらに、
 ――それだけでは、真似になる。
 とも思う。
 様々な作品を観ておくことの意味としては、参考になるのもあるが、同じものを出さないためというのもある。
 松本陽子さんの作品を観ながら、文喫で読んだ福沢一郎の言葉を思い出していた。純粋なオートマティスムとそうでないもの。そして、そこから、松本陽子さんの作品にある偶然性が創り出すものとオートマティスムの差異へと意識が拡がっていく。
 これまではコラージュや版画には偶然性が入り込む隙間があるのでシュルレアリスムの作品を物質化する時に使いたい技法だと考えていたのに、この偶然性とオートマティスムは異なるのだと、松本陽子さんの作品を観て気付いたのだ。
 というわけで、ひとまず、「シュルレアリスムのオートマティスムの技法による木炭画を物質化に向けた工程第一回目」では、「シュルレアリスムのオートマティスムの技法による木炭画を単にパステルで模写する」の下地作りに徹することにした。

絵画1 シュルレアリスムのオートマティスムの技法による木炭画
絵画2 パステルによる模写

 当初、版画技法を使おうと考えていた時、きっちりと複製するために透ける方眼紙で写し取ってアタリを付けることを考えていたが、最初のオートマティスムをイデアだとしても、物質化において精密に同型である必要はないだろうと考え(物質的な林檎にイデアと合同なものはない)、木炭画を見ながら新しいパステル画を描くつもりで模写することにした。木炭画に少し色味を足していくのでもない。パステル画には木炭は使わない。絵画1の左上辺りに描かれたシャドウのような人物が木炭を持って白く輝くポイントを突いている。すると光のような葡萄があふれ出ているのだとすると、次の絵画に木炭は要らないことになる。
 パステルをArche Charcoal Paper MBM紙に乗せて沁み込ませるのは木炭で行うよりも時間がかかる。しかし、削ったパステルを混ぜ合わせて紙の上に置き、地道に沁み込ませていくのは楽しい作業だ。色はどうやって決めるのかだが、木炭画を描いた時点で色は脳内に見えているので、それを実現するだけだ。この作業を何回か繰り返し、パステル画を仕上げ、できればその後、そのパステル画からアクリル画、油絵と展開したい。
 覚書として、この日、絵画教室の体験として母親に連れられた中学2年生の男の子がいた。剣道を週に三回も習っているが、さらに絵も習わせたいのだとお母様が仰った。あえて「習わせたい」と書いたのは、本人がどう思っているのかはよくわからなかったからだ。男の子は終始言葉数は少なかったが、私の木炭画を鋭い目でじっと診てくれた。下手だなあと思ったのかもしれないし、面白い絵だなあと思ったのかもしれない。どちらでも嬉しい。なんとなく母親に連れられて来ただけなのだといった感じのした男の子の唯一能動的な目線を受けるのは嬉しかった。何が描きたいのかと聞かれた男の子は「廃墟が描きたい」と言った。
 ――なるほど、それでこの木炭画をじっと観たのか。
 私は勝手にそう思った。
 お母様と先生と少年の間では、どのようにすれば廃墟が描けるようになるのか、それが今後どんな仕事につながるのかなどの話が繰り広げられていた。
 ――その答えは、まず一枚、廃墟の絵を描いてみることでわかる。
 と私は思ったが、黙っていた。

 さて、『キャラメルの箱』はそろそろ終盤。できれば今回で復刻自体は完成させたい。前回はりんごおばちゃんと見知らぬ男が縁台に座っていたのに、主人公「僕」がふと見ると、二人はいなくなっていたところまで復刻した。
 続きである。

《 同じ年の夏頃、
  りんごおばちゃんはその男と結婚をした。
  結婚したといっても、
  結納を交わしたり
  派手な結婚式を挙げたりすることもなく
  ただシモクレンの下に身内だけが集まって、
  万歳万歳というだけの
  小さな祝いをしただけだった。
  後で聞くと、
  長い間、あまり大きな声では言えない恋、
  つまり奥さんのいる人と恋をして、
  やっと先方が折れてひっそりと、
  二人の生活を始めることになったらしい。
  ということは、
  あの頻繁に訪れていた
  派手な男たちはなんだったんだろう。
  一本の煙草まで一緒に吸って、
  今にして思えば深い仲だっただろうに、
  りんごおばちゃんにしてみたら、
  憂さ晴らしをしていただけだったのかもしれない。
  つまり月に一回我が家に来て、
  化粧混じりの涙を流して訴えていたのは、
  ぞろぞろと周りをうろつく
  派手な男たちのことではなくて、
  たった一人の恋人に対する
  行き場のない思いをぶちまけていたのだろう。
  これでやっと、
  「りんごおばちゃん」ではなく「れん」となり、
  そっとお嫁さんになったのだ。
  シモクレンの下での祝宴の日に
  僕はクッキーの空き缶からお金を取り出して
  家の裏にある駄菓子屋でキャラメルをひと箱買い、
  ――お祝い。
  と言って渡した。
  りんごおばちゃんは祝いの日だからと
  近所の美容室でいつもよりもさらに濃い化粧をして
  見たことのない白いワンピースを着ていた。
  夏だったから半袖で、
  ぽっちゃりと太った腕が
  窮屈そうに袖口から伸びていた。
  僕がキャラメルの箱を両手で差し出すと、
  その濃いお化粧がぐずぐずと崩れて落ちることも気にせず
  オイオイと泣き出した。
  ――ありがとうね、いつも、ありがとうね。
  そう言って、
  一度はキャラメルの箱を受け取ったが、
  ――だけどわるいよ、もったいないよ。
  こちらに返そうとする。
  ――おばちゃんがくれたお金で買ったんじゃないか。
  ――なにをいうんだよお。
  さらに泣き、キャラメルに巻いてあった封を破って開け、
  中身のキャラメルは全部僕の両手に握らせた。
  いつものように温かい手のひらで僕の手を包み、
  確認するようにぎゅっと握りしめた。
  零れ落ちそうだ。
  ――中身はゆうちゃんが食べなよね。
    おばちゃんはこれでいいから。
  キャラメルの箱を僕に見せた。
  ――箱でいいの?
  零れ落ちそうなので
  手のひらを開くこともできない。
  ――そうだよ。箱でいいんだよ。
  ――キャラメル嫌いなの?
  ――そうじゃないよ。箱が好きなんだよ。
  りんごおばちゃんは大事そうに
  そのキャラメルの箱をボストンバッグの中に入れた。
  ――ずっと大事にとっておくね。
  夏の日差しが僕たちを隠すことなく照らし、
  何もかもがさらけ出されていくようだった。
  ジージーと蝉の声がした。
  ――元気でやりなさいよ。
  ――しっかりな。
  じいちゃんやばあちゃんがかわるがわる何かを言い、
  りんごおばちゃんが母に
  ――よろしくお願いします。
  丁寧に頭を下げた後、 
  おばちゃんは男の運転する車の助手席に乗り込んだ。
  窓を開け、
  泣きながら手を振り、
  いつまでもやめないものだから仕方なく、
  結婚相手の男は済まなそうに
  ゆっくり、ゆっくりと車を発進させた。
  僕たちは、車がT字路を左に曲がり、
  橋を越えてずっとずっと遠くに行くまで見送り、
  見送ってもまだしばらく、
  行ってしまった方を見つめて佇んでいた。
  去った後のひどく静かな夕暮れの感じを
  僕は今でも思い出せる。
  両手の中のキャラメルがじっとりと
  夏の太陽で溶けかけていた。了》

 物語の復刻はこれで終了。あと一回、全体の回想、解説をして『キャラメルの箱』の復刻と解読を終わる予定。

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