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解読 ボウヤ書店の使命 ㉒-3

 一昨日(2023年5月26日)は絵画教室で、パステル画が一枚仕上がった。今年に入ってから始めた絵画教室での作品を順番に並べてみよう。

描きかけのブルータス

⇑最初の絵。⇓顔の部分は先生が手を入れてくださった。

自宅に保管

⇑を塗りつぶして⇓の絵にしてしまった。

新しい紙にパステル画を描き始めた。

⇓出来上がり。

 次回からは、このパステル画を水彩絵の具で描いてみる予定だ。絵画教室ではおしゃべりをしながらリラックスして描くので、絵が楽しそうに見える。
 この絵画は現在制作中の『コルヌコピア&クリスタルエレベータ』と関連しているが、絵単体のタイトルとしては今のところ『異次元から登場した青い人が葡萄をワインに変えた』であり、絵画教室での会話などを加味して考えると、右上の指は四国の佐田岬半島辺り、葡萄は阿蘇辺りを指しているかもしれない。自分で描いておいて(かもしれない)とは怠慢ではないかと思われるかもしれないが、シュルレアリストとはそのようなものだ。小説制作と並行して、輝くもの探しを継続したい。

 さて、短編小説『心に咲く花』の解読である。

《 バス停のあるメイン道路に入るまでの路地には、この辺り一帯がベッドタウンとして新開発される前の佇まいが残っていて、朝の六時半ではまだ静かだ。のんびりとしたもので、それほど動き出しはしない。家の近くにある喫茶店は、古びた木製の扉に「準備中」のプレートをぶら下げて閉まったままになっている。
 そこを過ぎると一般の住宅に混じりながらいくつかの商店があるけれど、ここでも豆腐屋以外はシャッターが下りたまま物音すらしない。豆腐屋だけはいつでも早朝から店を開け、路地の清掃をしたり水を撒いたりしている。ショーケースの後ろには、紺色の前掛けをして黒い長靴を履いた女性がしゃがみこんでいて、納豆や煮豆の惣菜をそのショーケースに陳列しているのが見えた。
「おはようございます。いつも早いですね」
 声を掛けると、前掛けをした女性は手を止めて顔を上げ、
「あら、おはよう。気を付けていってらっしゃいよ」
と笑顔を見せた。時々、ハトコに頼まれてこの店で買い物をする。それで挨拶をするくらいの顔見知りになった。大型ショッピングセンターは便利だけれど、近所でお買い物できるのもありがたいのだからとハトコは言う。もちろん丁寧に作ってあり、美味しいことも買いに行く理由のひとつではある。
「はい、行ってきます」》

 何気ない情景だが、ひょっとしたら徐々に失われつつあることなのかもしれない。私が子供の頃には「〇〇屋さん」が近所にもいくつかあって、町が血の通った状態であるために、満遍なく足を運んで買い物をする習慣があった。お互いに「正月を越える」ために、買い物をし合う。
 ちなみに私が幼い頃に”初めてのおつかい”をしたのは八百屋(カヤマ)さんで、「高野豆腐を買ってくるように」と言われたのだった。子供の足で歩いて十分もしない場所にあったが、着いたら何を買うのだったか忘れてしまい、「名前の最初に”コ”が着いている食べ物をください」と言った。お店の人が困って私の家に電話をして母に尋ねて、「ああ、高野豆腐ね。確かに”コ”が着いているね」と仰ったのを覚えている。つまり、家の電話を知り合っている仲であり、おそらく、日頃、どのような食材が食卓に並んでいるのかも八百屋さんが把握している状況だっただろうと思う。そして、いつしか近くにスーパーマーケットが登場し、それから様々な栄枯盛衰あって、今はその八百屋さんはなくなった。
 いずれにしても、便利な方、安い方で買おうといった意識だけではなく、お互いの家の商売までも気に掛け合ってものを買っていた。価格としては割高なこともあっただろうけれど、おつかいをしたらチュッパチャップスをご褒美にくれたり、上記のような懐かしい記憶となるエピソードを残してくれたり、総じて考えれば面倒でも贅沢で豊かなものだった。

 続き。

《軽く会釈をしてから歩き出すと、スーツ姿のサラリーマンや重そうなスポーツバッグを斜め掛けしたジャージ姿の中学生が道の前を歩いているのが見えた。ほんの数分過ぎただけだけれど、ようやく、少しずつ朝の町が動き始めたようだ。道の後ろの方では、どこかのシャッターが開く音も聞こえた。
 夏至を過ぎたばかり。歩道の脇の植え込みには咲き終わったツツジが縮れてところどころに残り、まだ始まりきらない夏といった風情で、盛夏にはまだ少し猶予があるが、早足に行くと軽く汗ばんできそうな陽気が差している。ブラウスと素肌の間に着ているキャミソールに汗が沁みるのが嫌で、出来るだけ日陰になっているところを選び歩いた。汗も気になるけれど、日傘も差さずに直射日光に当たるとシミになるのではと思う。色が白いから目立つだろう。だから建物や電柱の間から早朝の光が差し込んで顔に当たると、つい、ハトコの化粧もしない顔を思い浮かべて、私も年をとったらあんな風になるのかしらと考え、眉間に軽く皺を寄せてしまった。そうしてしまってから、一瞬立ち止まってぎゅっと目を閉じ、
(いけない、そんな残酷なことを考えては)》

 若い娘が「専業主婦」の母親に抱きがちな嫌悪感を、思い切って描き出していると我ながら昔の私に対して尊敬する思いがした。
 女性解放の為に、「賃金労働」「ファッション」「お化粧」とさまざまな”喜ばしいもの”が登場し、雑誌やテレビ、映画などによって日本全国に浸透したのはいつのことなのだろう。
 私自身は「専業主婦」でもないが「賃金労働者」でもないので、ほとんど「賃金労働者用ファッション」を着る機会がなかったのだが、ある時、なんとなく「賃金労働者用ファッション」を提供している店に入ってみたことがあった。要はテレビのアナウンサーが着ているようなタイプのもので、それまでは関係ないと思ってスルーしていたのだが、なんとなく懐かしさを感じたのだ。聞くところによると80年代風ファッションとも言うらしく、
 ――私が着るとコスプレになるな。
 と直感した。手に取って見ていると、年配の店員の方が横に立って、
「お仕事をされている女性にも人気なんですよ」
 と仰った。憧れるでしょう?と言いたそうだった。
 つまり、近現代では「賃金労働者である女性」のことを「仕事をしている女性」と呼ぶ不思議な習慣があるのだ。店員の方は綺麗な柄のTシャツとラフなフレアパンツを着ていらっしゃって、そのファッションの文脈から考えると、どうやら自身のことは「お仕事をしている女性」だとは考えていないようで、要するに、そのお店にあるようなファッションを身に着けて、賃金労働の為の場所へと向かう人のことを「お仕事をしている女性」というのだとわかった。確かに昔の女性雑誌で着回し術などを展開してポーズを取っていたのはこんなファッションのモデルさんたちで、「アフターファイブにはこう着崩して!」みたいなコピーを見かけたような気もする。
「へえ、素敵!」
 私はそこでなんとなくヒラメイタ。
 ――賃金労働をしなくても、このファッションをコスプレ風に楽しんでしまえばよいのではないか。
 それで、生まれて初めて私は「賃金労働者である女性風ファッション」を集中的に購入して着てみた。とある占星術家がそれを見て「本人としてはもっとも安心するであろうファッション」と言った。確かに、それを着用していると、街は歩きやすかった。それによって居場所を得たかのように思えた。
 これでもう納得したのではないか。結局やりたいのはこれではないか。賃金労働者になることではなく、賃金労働者風ファッションをコスプレ風に着こなすこと。それ自体はなかなか面白かった。それだけで、その夢は満ち足りて終息した。
 実に、ファッションの威力を痛感した!

 さて、続き。

《 小さく首を左右に振り、溜息さえついてから目を開くと、雀が二、三羽飛び散るのが見えた。青空に向かっている。印刷屋の屋根の向こうに羽ばたきながら消えていくのを見送ってから、深呼吸をして、再び二、三歩歩いたところで、今度は植え込みの下に生えだしているタンポポが目に入った。和紙のように縮んでいるツツジに比べると、チクチクしそうな葉も青々として元気いっぱいに咲いている。タンポポの生き生きとした黄色を眺めていると、そういえばと、家で見たハトコの部屋の花のことを思い出した。
(あれは、一体、何の花かしら?)
 もう萎れかけなのか、花びらが数枚、がくのあたりからこぼれ落ちそうだったように思う。だから、枯れる寸前には違いないのだろうけれどサクラの心に眩しい黄色を残した。
 また歩を進めて、
(それにしても、どうしてお母さん、自分の部屋に生けたのかしら?)
 首を傾げる。(他の部屋にはほとんど生けたことなんかないくせに)
 あの狭い空間、階段下の三畳ほどのデッドスペースを利用して作った場所の黄色い花を想像していると、家の設計図を指さしながら「この部分は私がもらっていいかしら」とハトコが言った日のことが思い出されてきた。》

 主人公のサクラはタンポポの黄色を見て、ハトコの部屋に生けてあった黄色い花を思い出している。この小説の中ではサクラはまだ気付いていないが、前作『スカシユリ』まで範囲を広げて考えると、この黄色い花はハトコが近所の老人からもらったスカシユリだ。大雨の日に未確認飛行物体を見た後のものだから、やはりただならぬものだろう。ハトコも萎れてもなお捨てることなく飾っているのだ。
 娘のサクラは母親のハトコを見て「ああはなるまい」と張り切って、ハトコを反面教師と定めて、反対側の道へと向かうべく、おそらく「賃金労働者用ファッション」を着飾って通勤に励んでいるのだろうが、ハトコの部屋でえ零れ落ちそうになりながらも大事そうに飾ってある黄色い花を発見して、ハトコの変容を嗅ぎ取ったのだ。それだけ、母親であるハトコのことを意識しているともいえる。


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